大仏を作った銅の鉱石 明延鉱山
初版 2020/11/18 00:00
改訂 2020/11/18 00:00
大仏を作った銅の鉱石は、山口県の長登鉱山と言うことになっている。しかし、それは証拠もあって間違いない事実だが、どこにも100%とは書かれていない。日本各地にも、その客観的証拠は無いものの、銅を供出したと言う言い伝えは多い。
平安時代に入ると、しばらくして、急に銅の精錬遺跡が無くなる。そして約100年後に再び銅の精錬が始まる。これが、長い間、考古学界の謎だったらしい。そのことを聞かれたので、「それは、銅鉱石の枯渇が原因だろう」と話をした。その銅鉱石というのが孔雀石。地表近くに在って、色が鮮やかな緑色、発見も容易だし、採掘も簡単、その上精錬も簡単だから、言うこと無しの銅鉱石。だから、すぐに枯渇してしまう。
その後、約100年が経って、大陸から黄銅鉱等の製錬技術が伝わってきて、再び銅精錬が始まった。この雲根誌21説が、今の定説のようになっているらしい。
大仏の銅を供給したと言う、鉱山の一つに明延が在る。隣の赤銅鉱山もその様な言い伝えが在ると言う。
まあ、この説の提唱者は雲根誌21だから、せめて、明延の孔雀石鉱石を得たいと思っていた。
やっとの事で、50㎏程の孔雀石鉱石を見つけた。重たいので、持てる大きさにカットしたら、約22㎏の大きさに。これを、さらに二つに切断研磨して、より良く構造が見えるようにする予定。
昔の人は、この孔雀石を剥がして、焼いて、銅を作っていたのでしょう。
実を言うと、この石は珪化帯の標本にしようと思っていたのです。割ると、思いも寄らず、孔雀石がたくさん付いていたので、大仏の銅鉱石にも良いかなと思った次第です。切断標本は、珪化帯の標本としての役目を果たしてくれる物と期待しています。
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