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大洞式土器
【推定年代】 縄文時代晩期 【産地など】 岩手県九戸郡軽米町山内駒板 【解説】 縄文時代晩期、北東北に展開した亀ヶ岡文化に属す縄文土器。 大洞式に見られる典型的な小壺形土器である。 画像の完形品の状態のまま出土した貴重な資料。 壺の形をした縄文土器は、縄文時代早期の南九州及び縄文時代後〜晩期の東日本でのみ見られる。 なお、この土器と同系の壺形土器(大洞C2〜A1式)が弥生時代開始期の北部九州でも出土しており、北東北の縄文文化の担い手が九州に移住していた事を示している。 東の縄文文化が、初期の弥生文化に与えた影響を考える上でも重要な土器と言える。
考古Shimomotoyama3
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Dactylioceras sp.
【推定年代】 中生代ジュラ紀後期(1億6000万〜1億5700万年前) 【産地など】 ネパール 【解説】 ジュラ紀後期の示準化石、ダクチリオセラス属のアンモナイト入りノジュール。重量252g。 ヒマラヤ山脈を源流に持つカリ・ガンダキ川での採取と考えられ、現地語でサリグラムと呼ばれるものになる。 ネパールのムスタン地区、世界で最も高標高(海抜4000m程度)寺院であるムクティナート至近のカリ・ガンダキ川源流部の露頭で採取されたジュラ紀アンモナイト入りノジュールを、ヒンドゥー教徒は「サリグラム」と呼び崇拝の対象としている。 一説には、ヒンドゥー教ヴァイシュナヴィズムにおける最高神、ヴィシュヌ神の化身ともされる。 新生代漸新世頃、インド亜大陸がプレートテクトニクスに従ってユーラシア大陸に衝突、その褶曲運動で二つの大陸間に存在したテチス海が隆起してヒマラヤ山脈が形成され、現在もなお造山運動中である事実はよく知られているが、サリグラムもまたその証左の一つである。 テチス海に生息していた古生代〜中生代の海棲動物の化石が、ヒマラヤ山脈の各地で産出するのはこの褶曲による海底隆起が原因である。 サリグラムは、地球で最も高い山脈がかつて海底だった事を示す証人とも言えるのである。
化石Shimomotoyama3
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アオトラ石製磨製石斧
【推定年代】 縄文時代前期〜中期 【産地など】 出土地不詳 【解説】 アオトラ石製の磨製石斧。重量350g。 アオトラ石は、北海道日高地方の幌尻岳から端を発する沙流川水系の額平川上流でしか産しない特殊な火成岩で、独特の粘性や淡緑色の縞模様を持つ緑碧玉のような質感を持つ。 アオトラ石製の磨製石斧は縄文前期〜中期の北日本各地で出土しており、額平川上流から直線距離で400km以上離れた秋田県東成瀬村の上掵(うわはば)遺跡では、長さ1mを超えるアオトラ石製の巨大磨製石斧が出土するなど、縄文前期〜中期の北東北の縄文人に珍重された石材である。 当資料もその年代、尚且つ北日本での出土と考えられる。 完形品で、状態も良く非常に貴重な物。
考古Shimomotoyama3
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メソポタミア文明の土偶
【推定年代】 メソポタミア文明後半期〜中アッシリア時代 【産地など】 上部メソポタミア 【解説】 メソポタミア文明期と推定される地母神土偶。 全高16cm弱。 右耳正面側、鼻、脚部下側が樹脂か何かの素材で補修されている。 画像6枚目は、すでに紹介しているメソポタミア文明の土偶残欠との比較。 大きさがほぼ均一に造られている事が分かる。 この鳥とも蛇ともつかないような謎の偶像は、新石器時代〜金属器時代の古代西ユーラシア世界においては普遍的に見られた。(既に紹介中の、ヴィンチャ文化ならびにヒッタイトの土偶も同じものか。) 農耕の開始と何かしらの関係があると考えてみても良いかもしれない。
考古Shimomotoyama3
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古代地中海ガラス玉
【推定年代】 BC2~AD2 【産地など】 地中海地方 【解説】 ローマ初期、前2~2世紀ころのローマン・ビーズで、濃紺のクリアなガラスで制作された長径11mm程のガラス小玉。 ちょうどパチンコ玉と同程度の大きさ。 引きガラス製法で制作され、このため本品の胎には、縦に細い線が確認され、また、孔の両端の面でも孔に向かい細い線が表層近くに残されている。 気泡崩れの跡や縦線の割れ目、また、両側の気泡崩れなど孔などに、小粒の銀化が確認できる。 銀化は、弱い酸性の水がガラスに浸透して、ガラスの成分が周囲の鉄、銅、マグネシウム分などと化学変化が生じ、形成された被膜によってプリズムのような光学干渉を起こして虹色に見える、古代ガラス特有のパティナ(古色)の一種。 特に東地中海地域で制作され、古代世界で植物灰ガラスに代わって圧倒的になったナトロン・ガラスで銀化が多く発生するとされる。 ローマ期のロイヤル・ブルーからネイビイ・ブルーの発色には、少量のコバルトが用いられ、本資料の濃紺や青は、ローマ期のクリアな青ガラスと同様に、コバルト青を着色剤に用いたと想定される。 地中海や西アジアで制作された古代ガラスは、シルクロードを経由して弥生〜古墳時代の我が国にも齎されており、例えば弥生時代の北部九州にみられる首長クラスの王墓では、この様なローマンガラス製ガラス小玉が副葬品として既にみられる。
考古Shimomotoyama3
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蛋白石(ボルダーオパール)
【推定年代】 現代 【産地など】 オーストラリア 【解説】 オーストラリア産のボルダーオパール。6.75ct。 全面に渡って遊色が見られるが、特に側面の緑系の繊細な遊色がかなり強い。 掲載画像は全て乾燥した状態のものだが、水に濡らすと更に遊色が強くなる。 既に紹介している巨大ボルダーオパールよりサイズは非常に小さいが(単純なカラット数比では約1/145)、遊色の美麗さでは負けていないと思う。
鉱物Shimomotoyama3
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縄文土器片 装飾把手
【推定年代】 縄文時代中期 【産地など】 出土地不詳 【解説】 縄文時代中期と思われる装飾把手の残欠。 残念ながら出土地不詳だが、おそらく関東甲信越のものではないか。 立体的な渦巻き模様の意匠が非常に巧妙で、「隼人の盾」のS字紋様や、アイヌの刺繍に見られる渦巻き紋様に似たものを感じる。 小さいがよく作り込まれており、個人的には気に入っている。
考古Shimomotoyama3
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ミャンマー産翡翠
【推定年代】 現代 【産地など】 ミャンマー 【解説】 ミャンマー産の翡翠。3.809ct。 翡翠資料は多く持っているが、正式な鑑別機関によるソーティング付きはこれが唯一のもの。 インクルージョンの影響か色斑があり、「琅玕質」まではいかないものの、明瞭な緑の発色から比較的高品質の翡翠(バイヤーが言うところのa貨翡翠)と考えられる。 しかし宝石業界の言うところの翡翠の良し悪しは、個人的にはよく分からない。 天然石である以上、インクルージョンが含まれているのがふつうで、「不純物が無い程良い翡翠」というのは究極の人間都合(または我儘)だからである。 また、翡翠の緑色はクロムに由来するもので、完全に純粋な翡翠は白色である。 界隈ではやたらと尊ばれる緑色(ラベンダー色も)の翡翠は、そもそも不純物の賜物とも言えるわけである。
鉱物Shimomotoyama3
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蛋白石(ボルダーオパール)
【推定年代】 現代 【産地など】 オーストラリア 【解説】 オーストラリア産のボルダーオパール。重量196g(980ct)。 全体に渡って遊色が強く、オパール層も厚く、大きさもかなり良い。 掲載画像は全て乾燥した状態のものだが、水に濡らすと更に遊色が強くなる。 蛋白石(オパール)は、3-10%程度水和された天然シリカのアモルファスであり、特殊な形成条件を満たした極僅かな物のみ遊色を示す。 特に遊色効果を示すオパールをプレシャス・オパールと呼び、貴石の一つとして珍重する。 ボルダーオパールは、オーストラリアに固有のオパールの一種。 現在のオーストラリア東北〜南東部は、白亜紀には古エロマンガ海という内海が広がっており、当地区地下の鉄鉱石を多分に含んだ岩盤層へ、シリカを大量に含んだ海水が流入、岩盤間の亀裂などに充填された。 このシリカ含有海水が、長い年月経過で適度に脱水作用を起こし、茶褐色の母岩の間隙にオパール層が充填されているという、ボルダーオパールの独特な外観を形成するに至る。 なお、この地域では貝化石や木化石もオパール化している事がある。
鉱物Shimomotoyama3
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石鏃・石槍
【推定年代】 縄文時代草創期〜晩期 【産地など】 北海道、青森県、大分県、福岡県 【解説】 縄文時代の石鏃や石槍一式。 石材は、北海道十勝地方産黒曜石、大分県姫島産黒曜石、サヌカイト、瑪瑙、頁岩など。 縄文時代は、大型獣の狩猟のため石器サイズも大型化した旧石器時代と異なり、比較的小さな鳥獣を仕留めるため石器サイズが小型化・軽量化している。 縄文時代の石鏃は骨董市場で多く出回っており、考古資料としては土器片と並んで比較的入手しやすい部類である。
考古Shimomotoyama3
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緑柱石(ベリル)
【推定年代】 現代 【産地など】 パキスタン 【解説】 緑柱石(ベリル)の結晶を含む原石。白い物は共生している雲母。 アクアマリンという事で入手したが、青みが薄くどちらかと言うとゴシェナイトなのではないか。 純粋な緑柱石は無色透明だが、各種イオンが混じる事で発色し、有名なエメラルドはクロムイオンやバナジウムイオンが混じって緑色を呈したもの。 鉄イオンが混じって青色を呈したものはアクアマリンと呼ばれる。
鉱物Shimomotoyama3
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縄文人のフィギュア
【推定年代】 現代 【産地など】 日本 【解説】 国立科学博物館限定のガシャポンフィギュア。海洋堂制作。 同館に展示されている縄文人男性の復元像を、若干チープながらも再現している。 縄文人は日本史において独特な人々で、現代の平均的な本州日本人とかなり異なる特徴を持つ。 最新のゲノム分析から、縄文人はアンダマン諸島に分布する狩猟民や、タイ奥地に住むマニ族という先住民に遺伝系統が近く、またホアビニアン文化と呼ばれる東南アジアの古代人とゲノムの特徴がほぼ完全に一致することが判明している。 身体的な特徴としては、 ・身長が低く、体脂肪値や血糖値を高めやすい。 ・感染症に弱い一方で、アレルギー傾向は少ない。 ・上顎前歯の裏側が平型。 ・顔高・眼窩高が低く、前頭骨・鼻骨が矢状方向に発達する。 などがある。 沖縄人や北海道アイヌは遺伝的にはかなり縄文人に近く、特に北海道アイヌに関しては、骨格を比較した解剖学者から縄文人そのものと考えられていた。 現代では「そのもの」では無いにしろ、遺伝的にも非常に近い存在の事は変わりないという結論が出ている。 本州日本人においてもゲノム中の縄文人由来遺伝子の割合に地域差が存在し、東北各県・北関東・島根県・南九州では縄文人度が高く、逆に近畿・四国では縄文人度が低い事も最近判明している。
海洋堂Shimomotoyama3
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二枚貝の化石
【推定年代】 中生代白亜紀後期(1億〜9390万年前) 【産地など】 北海道三笠市 【解説】 道北の蝦夷層群で採集されたの二枚貝化石。 重量511g。 マルスダレガイ科に属する絶滅種と考えられる。 現生のハマグリやアサリと比較しても特に違和感の無いフォルムであり、恐竜の時代に生きた貝の形態は、隕石衝突による大量絶滅を乗り越えて現生の貝に受け継がれている。
化石 白亜紀Shimomotoyama3
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擦切磨製石斧
【推定年代】 縄文時代中期 【産地など】 富山県滑川市千鳥遺跡 【解説】 縄文時代中期と推定される全体の1/2程の磨製石斧残欠。 重量219g。 側面が鋭く切り取られたような形状になっており、縄文時代中期〜後期の北日本や極東ロシア・朝鮮などを中心に見られる擦切石斧に分類される。 非常に丁寧に研磨されており、石材(結晶片岩か)と相まって、縄文時代のものと思えないほどのクオリティである。 このような丁寧な加工が施されたものは、実用品というよりも祭祀用であった可能性が高い。
考古Shimomotoyama3
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糸魚川産翡翠輝石岩
【推定年代】 現代 【産地など】 新潟県糸魚川市青海 【解説】 新潟県糸魚川産の翡翠輝石岩。 画像一枚目上が13.7g(簡易計測比重3.27)、一枚目下が44.1g(簡易計測比重3.11)。 画像一枚目上は純度の高い翡翠。 画像一枚目下は、目視でも曹長石が共生している事が確認できる為、若干比重が下がっているようだ。 どちらも透光性は高い。 市場で流通している糸魚川産翡翠の原石は、不純物の多く混じった純度の低いものが多く、純度の高いものはこの大きさでもかなり高価となる。 翡翠輝石が構成成分の50%未満の石については、「翡翠」と呼称しないとする宝石鑑別機関もあるという。
鉱物Shimomotoyama3