疾走する悲しみ-追いつけない影

初版 2024/10/25 23:11

モーツアルト/弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516

 ---確かに、モオツァルトの悲しさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる---小林秀雄                                         

モーツアルトの弦楽五重奏曲はルイジ・ボッケリーニのスタイルを踏襲していて弦楽四重奏のパートにヴィオラが加わり、低音楽器のチェロ以外は総て2挺ずつの構成となっている。

現代では弦楽四重奏団にソロの著名なヴァイオリニストやヴィオラ奏者が第1ヴィオラとして参加する形が多い。純粋な弦楽五重奏団というのはウィーンフィルのメンバーとかで組む場合以外あまり聴かない。弦楽四重奏曲に比べて弦楽五重奏曲はエレパ―トリィの上で極めて少ないからだと推察する。ハイドン以後は6曲書いてるのはモーツァルトくらいでブラームスが2曲他は一曲が多いんじゃないか。シベリウスは別だろうけど。

とにかくこの楽器編成はモーツアルトによって深められたといえ、以後この編成では並ぶものがない。シューベルトのは『鱒』が有名だけど、あれはヴィオラではなくてコントラバスが加わるものであり、楽器編成が異なる。

第3番とこの4番とはあたかも、順番は違うけれど、ジュピター交響曲(41番)とト短調交響曲(40番)との対比のように、アポロ的な作風とデュオニソス的な作風の代表格といえる。

純粋に音によって『悲しみ』が純化され音符の形に変化したと、そういいたくなるような世俗的なものを突っ切ったところに湧いてくる言いしれぬ涙の素。
人によってはそれが『悲しい』という表現になるだろうけど、この曲から受ける感情を表現する術をボクは知らない。
『これはなんだろう』と、『この身内に湧き上がる明確な感情は何だろう』と、

背を向けて去ってゆこうとする旋律を追いかけようにもすでに次の孤独が音の形を取って追いついてくる。
やり過ごせばそれにも置いて行かれる。
追いつけない。
まるで、自分のその時の心の有り様を相手に影踏みをしているような徒労がある。
モーツアルトが書いたのは旋律であって言葉ではない。
悲しいかなそれはいつまでもボクの頭にはとどまってはくれない。
ボクの頭の中でそれは弦楽から離れ、口ずさめる音楽に変化する。
その時『悲しみ』はふるい落とされ、美しさだけが残る。
この曲の動かし難い中心にも美しさがみちている。
決して複雑な抒情の流れが滔々と感情を浸しつつ呑み込んで行くようなスケールのある音楽ではない。
シンプルで一度聴いたら忘れられないフレーズがちりばめられている。
アンダンテの中にもアレグロの中にも抜きがたく美しさがあり、弦楽を通してそれは肺腑をつくような『悲しみ』を生む。
美しさは踏もうとして踏めない影。背後から日を遮って立っている悲しみを映している

第1楽章:アレグロ(ト短調)
第2楽章:アンダンテ(ト短調)
第3楽章:アレグレット・テンポ・ディ・メヌエット(変ホ長調)楽器は全てミュート(弱音器)を装着する。
第4楽章:アレグロ(ト短調)の第1ヴァイオリンのエレジーが序章となり短調に染まりかけるが、ようやくト長調に転じて閉じる。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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