隠し絵

初版 2024/01/31 17:58

改訂 2024/01/31 18:09

モーツァルト/弦楽四重奏曲第20番二長調 K.499

第1楽章 アレグロ
第2楽章 メヌエット
第3楽章 アダージオ
第4楽章 ロンド:(モルト)アレグロ 
     ( )は自筆譜に後から書き込まれており、モーツアルト自身の指示かどうかは不明。


いわゆる『ホフマイスター』と呼ばれている作品。
弦楽四重奏曲は後期のほとんどを何らかの形で記事にしたけれど、この曲は正直今でも掴みづらい。
標題の由来はどのライナーノーツにも書かれてある。まあ、一般には親しかった出版者であった当時32歳のホフマイスターへの借金の形であろうと言われる。
一聴、ニ長調の明朗さとシンプルさが強調され、晴れやかで当時の聴衆に好まれるスタイルであり、やれ『難しい』だの『暗いだの』と難癖を付けて出版を遅らせる傾向があったホフマイスターにしては珍しく、この曲に関しては即出版している。


でも、何回聴いても透明で穏やかな律動のなかに何か据わりの悪い翳りが感じられる。

第1楽章の主要主題が何度となく立ち現れ、曲の気分が明朗に晴れやかに歌われている最中に数瞬満面の愛想笑いが息継ぎする合間のような底の知れぬ愁いに沈む。
聴衆が歌われる主題の明朗さに次の展開を先取りし、心を走らせる瞬間に振り返って気づけないくらいの巧妙さでそれはヴァイオリンがチェロの豊麗さの下に沈み込んだりする。
これは何なのでしょうね。
単純明快さを好み聴衆に迎合する出版者の鼻をあかしているのか。
モーツァルト特有の皮肉だろうか。
それとももっと深い傷が癒えずに新たに広げられた傷口からの抑え切れぬ情動の表出か。
どうにも心が落ち着かない。
(第2楽章の)メヌエットはどうだろうか。
非常に美しく軽やかでありながらしっかり音楽の背後にマイムが描かれている。
単純ではない。でも熟慮されている風でもない。
天賦ですね。
第3楽章の美しさはそんなに単純なものではない。
ヴァイオリンとチェロの対話は夢みるように続き、語られる物語はモーツァルトの円熟期が30歳そこそこに訪れている現実を思い知らせる。

深淵が快さの踏み出した後から黒く悲嘆を地の底に崩しながら広がってゆくけれど、その気分的な晴れやかさとは異なるダイナミズムは19番と21番の間にあって、まったく異質のクオリティを保っている。コーダはもの凄まじいね。ト長調の音楽ではないね。

そして確信的に描いた音の絵が表層と下絵に分かれるのが第4楽章
ボクの聴いている演奏はモルト・アレグロだね。
ここにはモーツアルトの音楽家としての技術の最高峰がある。ありながらまだ先に行こうとしている前のめりの創造性が生きている。まだモーツァルトは先に行くのだ。


第3楽章はまず一回ぼーっと聴いてから二度目にヴァイオリンとチェロの対話の中で紡がれる旋律が決して単純で明朗さを意図していない部分を聴いてみると、その落差がよくわかる。上絵に隠れた別の絵が見える。

最終的に僕が参考にしたのは手持ちのCD。ベートーヴェンとはまた違ったアプローチだけど、少し分析的なところがこの曲の内面にあっているような気がしてる。

ウィーン的な典雅さははないけどね。

現代的な演奏で繰り返し聴くにはこちらがいいかも。あまりに彫琢されていて録音がよすぎるので一筋縄ではいかない。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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