歌うアレグロ

初版 2024/09/30 16:26

改訂 2024/09/30 16:26

モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ第19番変ホ長調K.302


第1楽章 アレグロ 
第2楽章 アンダンテ グラツィオーソ

1778年に作曲されたマンハイム・ソナタの第2番
クリスティアン・バッハ風の2楽章形式のヴァイオリンとピアノのためのソナタだけれど、2つの楽器の有機的な関連はほぼ均等化するところまで高められていてマンハイム第1番よりもさらに一歩、モーツアルトはヴァイオリンの伴奏付きピアノソナタから新しい領域に達している。
このじゃれ合うように明るく駆けながら歌い続けるアレグロは『魔笛』の序曲のような印象を随所に残しつつ、明と暗を絶妙の陰影で区切る。
婉然と微笑んだあと振り向いた頬を涙が伝うような無言の影が、まだアレグロの速度のまま展開部の短調の部分不意に浮かぶ。
楽譜上の音符の領域の比較など関係なしに音楽として耳を通過するとき、ここにはもうヴァイオリンは協奏的にピアノに対峙し、寄り添いつつ飛翔する。
生み出す汗と創造の苦悩が全く感じられない。
立ち止まった気配がどこにもない歌うアレグロ。
ロンド形式の第2楽章はK.301よりもさらにピアノとヴァイオリンの溶け合いとリードが均等の器の中に収まっている。
テーマをリードするピアノはすぐに同等の表現力に満ちたヴァイオリンの聴き手にまわり、自ら歌ったパートをピアノが点で繋いでゆくのを薄い旋律で支えながら次の展開を聴いている。
ニュアンスを微妙に換えながら歌われる主題は主役をクルクルと変えながら慌ただしさは全くなくて、陰影は深く、ヴァイオリンとピアノは明と暗の中を絶妙の協奏で緩やかに舞う。
やがて全てを語り終えたように音楽は滲みながら消える。
なんちゅう間合いか。
入魂というか、渾身の思いが全くない。

 


音楽が音楽だけを歌う。なのにモーツァルトであるということは誰にでもわかる。
ちょっと人のもつ才能ではない。

フランコ=ベルギー派のヘンリック・シェリングのヴァイオリンにちょっとロマンティックな音色のイングリット・へブラーのピアノで

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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