闇と光 弦楽四重奏曲第19番ハ長調465

初版 2024/05/12 21:41

モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調K465『不協和音』

第1楽章 序奏(アダージォ)-アレグロ
第2楽章 アンダンテ カンタービレ
第3楽章 メヌエット
第4楽章 アレグロ

ハイドンセットの最後の6曲目。
モーツァルトがハイドンによってフリーメイソンに導かれ、その後に書かれた最初の作品。
専門的には様々なことが言われているが、ジャック・シャイエは彼がフリーメイソンに入門したとき目隠しの暗闇から燦然たる光の中で幻惑されたその感動的な魂の高揚が、この作品の序奏の混沌とした不協和音と続いて立ち上がるアポロ的な弦楽の総奏に顕れているという。本当にあったかどうかのところが、宗教的な根っこが異なるぼくには考えにくいが、そういう立ち位置なら納得しやすいのも確かだ。


モーツァルトの時代に彼がその気になれば書くことが出来た不協和音の中の闇の美しさ。
光によって導かれることのない闇には精神の強さが前進を生む原動力になる。
音楽は常に闇に近いほど精神性を感じる。
デュオニソス的な力。
当時このような音楽が、モーツァルトから生まれたことに聴衆は戸惑っただろう。
それはまさしくベートーヴェンを予感させる序奏だ。
均整と設計の上に描かれた不協。

この序奏とアレグロの世界は、その後ベートーヴェンが後期の弦楽四重奏曲で描き続けた場所につながっている。
モーツァルトがそこへ行くつもりがなかったのは、やはり、時代の常識が彼の作風を支持していたからだと思いたい。

アレグロから続く第2楽章のアンダンテ・カンタービレは嘘のようにモーツァルトの歌に溢れている。
でも、そこに広がるアンダンテの世界はただの歌の優しさではなく、慰撫と微笑みにふわりと包まれている。
カンタービレは歌声のように抑揚の中に流れ、チェロの刻むリズムにヴァイオリンが呼応し浮揚する。
シンフォニックな響きは時に薄い翳りを伴いながら走り抜ける雲の影を受けながら草原に寝ころんでいるような心安らかな気分を与える。
第3楽章のメヌエットの確信もただ気分の浮き立つ舞曲ではなく、中間部の低音が刻むリズムに短調の歌が哀切の影を落とす。
第4楽章は快活でありながら、ト短調交響曲の中にある音形が想起される疾走感に囚われる。
疾風怒濤期のハイドンにあった人間的な情動が乗り移ったような音楽。

序奏で垣間見せた世界の広さ。
ハイドンはこのモーツァルトの恐るべき霊感と感受性を音化する力が生み出す闇と光ををどう評価したのだろうか。

Youtubeではもう、検索の仕方が悪かったのかジュリアードSQの演奏が圧倒的に多かった。普段ベートーヴェンの初期とモーツァルトはアルバンベルクSQで聴くことが多かったので、懐かしかった。

1957年の演奏で音が少しやせているけど、かえって、強く刺さる。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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