哀しみのアンダンティーノ

初版 2024/03/21 15:16

改訂 2024/03/21 15:16

ピアノ協奏曲第9番変ホ長調271『ジュノム』

第1楽章 アレグロ

第2楽章アンダンティーノ

第3楽章ロンド:プレスト

第2楽章について

音楽が、そこで聴き入る全ての人に共通な楽しみであると同時に、個々の聴衆の心に抱える鏡に映り、鋭く、あるいは時に深くとれない棘のように刺さる。
モーツアルトの音楽は時に彼が生きていた当時の人々の音楽であることを拒む。

モーツアルトは聴衆に求められた娯楽という枠を超えた音楽を常に描きながら、生活のために繰り返す妥協に蝕まれてゆく。
それでもモーツアルトはクリスティアン・バッハやその他の先人と同じ場所にはとどまらなかった。
そんな中でフランスの女流ピアニスト、ジュノムがザルツブルクに訪れた時、彼は閉塞した音楽環境から飛びだしてゆきたい、その羽の通る大空につながる僅かな隙間を彼女に見つけたのだろうか。


彼女に献呈されたこの曲は当時の彼が押さえ込んでいた、協奏曲のスタイルの拡大やパトスへの衝動を気品あるたたずまいでかいま見せる。

時に哀しげに流れる粒だった音の美しさ。
時にぽつ、ぽつ、とうつむいて呟かれるようでいて濁りがなく、どこまでも透き通った切なさ。
聴衆はブリリアントな第1楽章や貴族的なスマートさと明朗性と魅力的なカデンツァ(アインガング)が鏤められた第3楽章に挟まれた第2楽章の長大なアンダンティーノの中のモーツアルトの本当の心の住処に気づいたろうか。


書くことによって暮らしを立てることは、書き続けることで生きなければならない。
自尊も愛も尊敬も名誉もその中にある。


書き続けることができるためには、己の才能と信じる道を貫いてゆくことと図らずも同じ道ではない。
でも、モーツアルトはその道のほんの僅かな光りを明るくたおやかな長調に挟んだ短調の中に見いだしたのではないだろうか。

第2楽章アンダンティーノを唯々美しいアシュケナージの弾き振りで(ジャケットは違いますが、ソースは同じです。)

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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