魂の剥がれてゆく歌 第2楽章アダージオ

初版 2024/02/12 17:01

モーツアルト/クラリネット協奏曲イ長調K.622

第1楽章 アレグロ

2楽章 アダージオ

第3楽章 ロンド:アレグロ

死の二ヶ月前のアレグロは聴くものの感傷か、快活で明朗なモーツアルトの微笑みはなく、時折陽が陰るように楽曲にかかるB♭・クラリネットの音色が染みのように白いヴェールをセピア色に染めてゆく。
快活さは弦楽の総奏に現れては、クラリネットの艶やかな音色に逆に包まれるようだ。
浮き立つような天才の音楽はここにはなく、年齢よりも遙かに老成し、全てをなし終えて待っているような音楽だ。
それに続くアダージオは、音の出る楽器を使った沈黙の歌。
澄み切って静謐なメロディは涙を流しながらも微笑んでいる。
クラリネットのふくよかで丸い音色が魂の行く先を上へ上へと導いてゆくのに、青い空はどこにも見えない。
澄み切っているのに底が見えない。その再現部。
幸福であっても、不幸であっても逝くべき場所は約束されていて、懐かしく、仄かな暖かさの中にのたおやかなモノローグがそこに向かって流れてゆく。

モーツアルトが見つめている視線の先にある光に満ちた世界が、数瞬開いた天から射し込む熱のない光りのように白く広がる。そのロンド アレグロ…

走るような快活さはなく、美しく、はかない。
光に向かって静かに広げた両腕、その手のひらにはもう、何一つつかんではいない。

挿し込む光の中で目を開いたまま口元に笑みを浮かべながら泣いているようだ。

手持ちのCDはプリンツとウラッハのモノラル復刻版とがある。

クラリネットの技量はどちらも遜色ないように思う。この曲に関してはどちらも好き。

今聴いているのはプリンツとベーム指揮ウィーンフィルではなくて

ロジンスキー指揮はウィーン国立歌劇場管弦楽団(つまり現在のウィーンフィルハーモニカ―として歌劇場管弦楽団の団員が自主運営のオーケストラを運営し始める前身のオケだね)の演奏。

第2楽章だけは後者の持つ雰囲気の刷り込みが捨てがたい。人それぞれだろうなぁ。モノラル独特の雰囲気への思い入れもあるんだろうねきっと。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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