タカラ61年度南海 立石充男

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ウエスタン教育リーグ 阪神VS広島戦にて。
当時阪神二軍野手総合兼打撃コーチを務めていた立石さんに書いていただきました。

1975年ドラフト3位で南海に入団。
80年代に入ると、ユーティリティー内野手として重宝された。
1984年にはレギュラー争いをしキャリアハイの成績を残したが、翌年に成績は下降、1986年はついに一軍出場ゼロとなり現役引退。
選手としては大成しなかったが、引退後は各球団でコーチとしてずっとユニフォームを着続けている。日本球界に留まらず台湾や韓国からもオファーを受けており、コーチ歴は通算30年を超える。
因みに、パリーグで初めて背番号0を背負った選手でもある。(日本プロ野球界で初めて0を背負ったのは当時広島の長嶋清幸であることは有名)

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