三葉虫の謎、再読。ヘテロクロニーについて

初版 2024/02/10 21:39

改訂 2024/02/18 12:21

ちょっと思い立って、リチャード・フォーティの『三葉虫の謎』を再読してみた。

というのも、かつて読了したのは、かれこれ10年近く前。殆ど内容を忘れていて、かろうじて記憶に残るのは、華々しい三葉虫パレードの下りだとか、悲劇的な結末を遂げた、ユダヤ人の三葉虫研究者カウフマンの人生だとか、『爆発』論者グールドに対する著者の痛烈な目線だとか、そういった記憶中枢に焼き付きやすい情動を促す話のみ。

それに、昔はイメージの沸かない三葉虫が多くて、イマイチ親近感が湧かず読み飛ばした話(種)も多かったように思う。一方、多少なりと三葉虫界の全体像が見えてきた今ならば、まるで違った目線で読めるのではあるまいか?

こうしたふとした思い付きから、読み返してみたのですが、期待以上にその甲斐がありましたね。

まず、最近三葉虫の研究史なるものに興味を持ち、あっちこっちの資料を元に隙間時間に調べたりしてるのだが、正直、西暦2000年以前までであれば、まず、この本を参照すべきだった事に気が付いた。

オギギオカレラを、『間違いなくカレイの骨格』と断じたルイド博士を皮切りに、人名を列挙するならば、ブロンニャール、マーチンソン、セジウィック、ヒックス、ソルター、ホール、マシュー、ビーチャー、ユーアン、シェルドン、スタッブルフィールド、ジョン・フィリプスなどなど、少なくとも国内の他書では、あまり言及されない人物が多く掲載されているではありませんか。

載ってる事は知ってはいたが、これほど広く、かつ、個々についてある程度深く網羅されてるとは知らず実に驚いた。

また、個々のエピソードについて目を魅かれた項目としては、例えば、オギギオカレラが、ギリシャ神話のアムピオンとニオべ(これ自体三葉虫の属名ですね)の娘の1人オギュギアに由来するものであるとか、クロアカスピスやオレヌスの硫黄リッチな環境への適応と軟体保存の関係であるとか(著名なトリアルツルスのみならず)、浮遊性三葉虫でも浅海性(オピペウテルなど)の種と深海性(キクロピゲ類など)の種がある程度予想可能であるなどなど。色々あるのだが、一つ一つに言及をするとなると膨大な量なので、それらについては、いつかまた別の機会に書き留めたい。

特に気になった項目を一つだけ。ヘテロクロニー/異時性 (heterochrony) の記述について。

ヘテロクロニーとは、進化発生学の分野などで目にする機会が多い用語。簡単には、胚発生において、モジュール (発生において、(その領域内で) 相互作用しあう独立した領域単位。例えば、発生的に独立した一つの器官) の発生のタイミングを時間的に早めたり遅めたり、あるいは発生時間を短縮したり、引き伸ばしたりする事で、成熟時のモジュールの形態やサイズを変化させる現象の事。これは別種間の特定の部位の違いの説明も適応できるし、ある種のある領域と別の領域の著しい違いの理由の説明にも適応可能な概念だ。

その根本には、それらモジュールの発生に関わる一連のタンパク、あるいはその前段階のRNAの、発現の開始と終了のタイミングや発現時間の変化がある訳だが、これは細かい話なので省略する。

例えば、コウモリの前肢の長い指や有袋類の赤ちゃんの発達した前肢 (後肢より発生タイミングが早い) 、キウイの短い前肢 (発生タイミングが遅い) 、長い蛇の胴体 (胴体の分節化の発生時間が長い)、イルカの長い前鰭 (これも同部の発生時間が長い) などがそうだ。これらはいずれも、別種との比較、あるいは別の器官・領域との比較で、大きさや長さの違いが目立つものである。

フォーティによれば、このヘテロクロニーが、なんとある種の三葉虫の近縁種間の形態の違いの説明にも言えるという事だ。

例えばシュマルディアと、非常に似通ったアカントプレウレラはこのヘテロクロニーで説明出来ると言う。シュマルディアは6つの体節をもち、アカントプレウレラは4つの体節を持つ。フォーティはこの理由を、アカントプレウレラでは個体発生での体節の『発育停止』が生じていると説明している。

ヨアヒム・バランデの研究などでも有名なように、一般的に、三葉虫はその発生過程で体節が一つ一つ増えていき、成熟後は体節の数は変化しないことが知られている。アカントプレウレレラでは、幼生段階でこの体節形成が止まった故に、シュマルディアなどと比較して、体節の数が少ないのだとという事である。よく言及される言葉で言えば、幼生成熟というものである。

私なりに勝手に補足すれば、アカントプレウレラでは、つまり体節の形成の開始が遅い、もしくは終了が早い、あるいは発生時間が短いなど、このいずれかと言うことなのだろうと思う。化石の話なので、どれが正解なのかは不明ですが。

また別に、ケン・マクナマラによる研究では、スコットランド高地北西部で産出する多様なオレネルス群の形態変化も、同様にヘテロクロニーで説明可能なようだ。それによると、同地ではオレネルス・ラプウォルチ、レティクラトゥス、バモクルス、インメルメディウス、アルマトゥスと言う5種のオレネルスが見られる。そして、時代的には前記の順に古い (ラプウォルチが最古、アルマトゥスが最新) 。

一方で、時代を下るにつれ、この5種の見た目は徐々に幼生的になっていくという。具体的には、ラプウォルチ→アルマトゥスの順に頬棘がより前方に移動し、また胸節の数も減ってゆく。これはラプウォルチの個体発生で経時的に見られる変化で、頭部や体節がアルマトゥスに至るにつれ、幼生成熟的になっていくという訳である。マクナマラは、これはラプウォルチ→アルマトゥスに至る時代の変化で、どんどんと同地の海が暖かく浅くなっていった為ではないか、それによって早期の成熟が促されたのではないか、という理由付けをしている。

と言うわけで、冗長な説明になってしまったが、現代の進化発生生物学でも盛んに言われている事が (すでにちょっと古い?) 、化石からも分かるという事が、個人的には再読中に最も興味を惹かれた。

最後に蛇足だが、頬棘の位置の移動について私も気になっていたことがある。

それはロクマノレネルスでも同様の現象が見られるような気はしていると言う事だ。つまり、ロクマノレネルス・ペンタゴナリス、サブクアドラトゥス、およびトラペゾイダリスの3者について、ペンタゴナリス (最古) →トラペゾイダリス (最新) に至るにつれ、頭鞍葉などの位置を基準にすれば、頬棘の位置が前方に移動していく (と思います) 。

ただ胸節の数の変化については正直不明。数えるにどれも大体20-22節あるようなのだが、そもそも論文中にも節の数は一部しか明記されておらず、頭部以外が残っている標本がほとんどないので、調べようがない。

そもそも発生段階の変化が、ほぼどの種もわかっていないので、前提となる話がわからない。よって何も言えないのだが、上記のオレネルスと似たような変化が幼生においてあればという仮定の元、同様の話が言えるのかもなぁと妄想してしまった。

以上雑談的な話なのだが、一応、研究のジャーナルに挙げておく事にします。

※ 文章中の図は、Ken Mcnamara, The role of heterochrony in the evolution of Cambrian trilobites, 1986より

化石が大好きです。現在主に集めているのは三葉虫ですが、恐竜やアンモナイトを含め化石全般が好きです。これまで買い集めた、あるいは自分で採取した標本を紹介していきます。古生物の持つ魅力の一端でも伝える事ができれば幸いです。

http://blog.livedoor.jp/smjpr672/

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    ktr

    2024/02/10 - 編集済み

    フォーティの本はすばらしいですね。
    こういう本に、蒐集の初期に出会えたのはラッキーでした。
    私のパラドキシデス偏愛も元はといえばこの本によるところ大です。
    三葉虫の入門書であり、同時に奥義の書でもあるというのは、いずれにしても稀有のことで、ところどころ冗長な部分や、ひとりよがりの脱線はあるにせよ、これだけのものは当分出ないと思われます。

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    • 読み返すごとに発見がある本でありますね (私はまだ2回読んだのみですが) 。
      欲を言えば、この本の出版からかれこれ20数年経過しているので、願わくば、フォーティ氏には三葉虫の謎Ⅱを書き下ろして頂きたいものです。
      フォーティが割った頁岩からパラドキシデスを見つける場面は、実際感動的ですらありますからね。この本の中に出てくる、何らかの種に強く惹かれる事はよくわかります。

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    Trilobites

    2024/02/18 - 編集済み

    買いっぱなしで偶にこちらでの話題がある時に引っ張り出すくらいで、書庫の埃を被っている身としては、再読は良い刺激になると反省です。特に「三葉虫の謎」は、和約に癖があり当時は非常に分かり難い内容に思えましたので、また違った発見がありそうです。

    点でしか繋がりが無い化石において、三葉虫に限らず異時性を含む発生生物学が分類に必要な手掛かりであるのは間違いないですし、研究者目線での収集も理解を得るのに必要な事ですね。

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    • 図鑑こそたまにパラパラ見るのですが、書籍となると時間を確保しないと中々ですよね。私もほとんどの本はただのインテリアになってしまっています。
      『三葉虫の謎』は和訳の癖と、あと本題に入るまでの前置きが非常に長く、一体何の話なのか思ってしまうのが難点ですね。後者は視点を変えれば、魅力の一つかも知れませんが。

      昔は、ただ標本としてワクワクすればそれでよかったのですが、最近は進化や発生など生物学的な観点から見た三葉虫を捉えたくなっています。標本を観察していて、これは!?となる点は多いものの、時間がなく、何より1アマチュアでしかない私がそれ以上突き詰めるのも難しく、結局三葉虫を離れ、日常に埋没するしかないのが少々歯痒いですね。

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