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交通公社の時刻表 1974年 1月号
交通公社の時刻表 1974年(昭和49年) 1月号 表紙は東海道新幹線。この号では、例年通りの年末年始の臨時列車と各処置についての記事がありました。 その他、お知らせには、大湊線が水害災害からの工事完成にともなう全線復旧がありました。 ・L特急から自由席をなくし、全席指定席とする列車←一時的な処置とはいえ、これでは気軽に乗れるL特急のコンセプトから外れてしまいましたね。 ・東京、上野発着の始終着駅変更 東京駅、上野駅の混雑緩和のために、品川駅、大宮駅が始発駅、終着駅に変更になる列車が多数設定されました。 ピックアップしたのは、スキー列車。「やえがき銀嶺号」。私が追っている限りでは、この年しか運行を確認できなかった珍しい列車。 #時刻表 #鉄道グッズ #東海道新幹線 #大湊線 #やえがき銀嶺
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交通公社の時刻表 1973年 1月号
交通公社の時刻表 1973年(昭和48年) 1月号 表紙は富士川を渡る東海道新幹線。 この号では、サブタイトル通り、年末年始の帰省列車に加え、スキー・スケート列車の時刻を掲載していました。 また、国鉄越美北線の延長開業の記事もあります。1973年12月15日に勝原(かどはら)〜九頭竜湖間が開業しています。 そして、下記線区の紙面を取り上げてみました。 ・中央本線下り 短命中の短命、あずさ銀嶺号が運転されていました。そのほかアルプススキー号、かわぐちスケート号、急行たてしな号。普通霧ヶ峰号と、沢山の臨時列車にワクワクします。 ・山陽・東海道本線上り臨時列車紙面 個人的には電車急行名城号(名古屋〜呉線経由〜広島)、鯉城(りじょう)号(大垣〜広島)、急行はかた号(鳥栖〜品川)あたりはぐっと来ます。急行はかた号に併結された、わこうどはかた号など、どんな編成だったんだろうと妄想が止まりません。 ・東北本線・磐越西線、奥羽本線下り臨時列車紙面 急行エコーくろいそ号、急行しらかわ号、わこうど津軽号、わこうどざおう号、そして、おびただしいかずの臨時おが号のバリエーション。 ・東北本線・常磐線 下り臨時列車紙面 急行常磐いわて号、ひたちふるさと号、そして、寝台急行みやこ号。上野から釜石線、山田線経由の宮古行というのは、製鉄の町を抱えていた沿岸への唯一の直通列車として、重宝されたんだろうなと妄想してしまいます。 #時刻表 #鉄道グッズ #越美北線 #あずさ銀嶺 #鯉城号 #名城 #わこうど津軽 #急行みやこ
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交通公社の時刻表 1973年 3月号
交通公社の時刻表 1973年(昭和48年) 3月号 表紙は、山陽本線を走行する583系のつばめ号。このころは岡山と九州をむすぶ新幹線連絡列車の代表格として活躍していました。そのダイヤを掲載してみようとページをくくってみましたら、特急有明号の名称も。この記事を執筆している2020年末に、特急有明号廃止が決まったことを知りました。もう有明号に乗ることがないんだと思うと感慨深いです。博多駅でうんざりするほど有明号を見ていた時代を懐かしく思います。そんな気持ちでつばめ号、有明号が掲載されている紙面をピックアップしてみました。 そのほか、お知らせでは「新幹線大増発」の記事。新造車両の落成をうけた増発を、東京〜岡山で2往復増、新大阪止まりのひかり号5往復分を岡山まで延伸運転、新大阪〜岡山のこだま号2往復増発。ちなみにこの頃の新幹線には「食堂車」はなく、16両編成のなかに、普通車/ビュッフェ併設車両が2両連結されていました。ビュッフェといいながら、軽食は供されていたようです。うなぎご飯もメニューに記載されていました。軽食?? 最後に、この時代のスキー列車の珍しいケースを。特急あずさ銀嶺号。○○銀嶺という列車が各地で運行されていたさなか、特急格で銀嶺シリーズに名乗りを挙げたケースは多くはないです。特急あずさ銀嶺号が掲載されている時刻表は、私の手元にはこの号しかありません。先達の皆様のサイトを拝見する限り、1972年年末〜1973年春のみの運行という短命列車だったようです。 #時刻表 #国鉄 #つばめ #583系 #有明号 #新幹線 #あずさ銀嶺
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日豊本線 幸崎〜南宮崎間電化開業直前のダイヤなど 交通公社の時刻表 1974年 3月号
交通公社の時刻表 1974年(昭和49年) 3月号 表紙は山陰本線を走る特急まつかぜ号。キハ82系のロングラン、長編成を山陰本線で見られる列車の一つでしたね。 この号では、お知らせ欄に「日豊本線の幸崎〜南宮崎間電化」のお知らせが入っています。1974年4月10日に電化開業しましたが、この号ではその電化開業前のダイヤが見られます。その日豊本線の紙面でピックアップしたのは、特急日向号。このダイヤ改正をもってDC特急からEC特急に切り替わりました。キハ82系10両編成から、485系11両編成への切り替えです。どちらも超大編成。当時のその勇姿を見てみたかった。 その他、この時期春スキーの臨時列車も多数設定されていました。 当時のスキー列車の中でも、レアなものを3列車ピックアップしました。 ・両毛石打スキー号 →翌年以降は「両毛スキー号」に改名しました。おそらくこの名称だったのは1974年のみのはずです。 ・おくみの銀嶺号 →これも1974年のみ確認できた列車。越美南線に設定された臨時列車です。 ・九州銀嶺号 →1974年、1975年の2シーズンのみ設定のようですが、米子〜熊本間の設定はこの1974年のみでした。ちなみに同じ区間で設定されるスキー列車が再登場するのは1987年の快速ビッグスキー大山号の誕生を待たねばなりません。 #時刻表 #国鉄 #まつかぜ号 #日向号 #キハ82系 #485系 #両毛石打スキー号 #おくみの銀嶺号 #九州銀嶺号
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交通公社の全国小型時刻表 1975年 4月号
交通公社の全国小型時刻表 1975年(昭和50年) 4月号 表紙は北陸本線を走る485系の雷鳥号。ボンネット車ですね。大好きです。 この年の3月に、新幹線が博多まで開業しました。山陽本線の走る在来線は相当数淘汰されましたが、ゴールデンティークという繁忙期には山陽本線のみならず、各地で臨時列車が運行されました。 ゴールデンティークは、年末年始同様に「特別措置」という名目で、優等列車の指定席、自由席の扱いが変わるケースが多々有りました。 ・指定席車の変更 ・指定席が自由席車に変更するケース ・寝台車が自由席車に変更するケース 車両やりくりが大変だったんだろうと想像するばかりです。 その時期に各地で走っていた臨時列車。急行列車の増発でお客をさばいていたことがよく分かります。 ・山陽本線〜九州 特に電車特急「夕月」が印象的です。 ・中央本線 増発された急行は、急行きそ号の電車、客車のバリエーション、急行戸狩号、くろよん号のディーゼル車、客車急行ちくま号と、総花的な様相の西線です。 ・日豊本線 個人的に気になったのは、客車の快速列車。宮崎→小倉を夜行列車として快速が運行されていたんですね。急行日南が客車で走っていたので「まああったんだろうな」と思いながらも、実際に目の当たりにするとぐっときますね。 ・上越線 それにしても急行「佐渡」の数の多さ!そして、後に特急昇格となる「鳥海」も定期では夜行急行で活躍している時代でした。 ピックアップしてみた広告は、沖縄海洋博。1975年7月20日から1976年1月18日まで開催された博覧会のお知らせ。この博覧会は沖縄本土の復帰が1972年に実現し、その記念に開かれた博覧会でしたね。ちなみに、本土復帰絡みの列車名でいえば「なは」号でしょうか。これは「復帰を願って」つけられた列車名称だったようです。1975年4月時点では583系を使用した寝台特急として活躍していました。 #時刻表 #国鉄 #485系 #雷鳥 #夕月 #日南 #佐渡 #ちくま #きそ #戸狩 #くろよん
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弘済出版社 小型全国版の総合時刻表 1975年 4月号
弘済出版社 小型全国版の総合時刻表 1975年 4月号 新幹線博多開業直後の時刻表です。他の時刻表のおまけのような形で入手できました。 表紙は関西本線を走る急行平安号。キハ58ほか急行型DCであることが分かります。 広告で目をひいたのは、大村崑氏のオロナミンC。町中のホーロー看板でも同じものをよく見かけました、昔は。 さて、前述の通り、新幹線博多延伸開業後の時刻表ながら、山陽本線の優等列車を追ってみようと思います。 岡山以南の昼行優等列車は影を潜めてしまいましたが、夜行列車は急行、特急ともにまだ全盛のころ。かつ大型連休の臨時列車では、まだ在来線の存在感が大きかったようです。全席座席の金星51号(上り、下り)、あかつき51号(上り、下り)、彗星51号(上り、下り)の夜行3兄弟の臨時に加え、岡山〜宮崎の電車特急夕月号なんからは、JR九州発足後の485系リバイバル時ヘッドマークでも見ることがありました。 #時刻表 #国鉄 #急行平安 #特急夕月 #金星 #あかつき #彗星 #オロナミンC
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関西線電化、牟岐線が新規開業など 交通公社の時刻表 1973年 10月号
交通公社の時刻表 1973年 10月号 表紙は関西本線を走行する快速電車113系。この塗色は春日色と呼ばれていたようですね。デカ目、非冷房車ですので、歴史を感じます。 この号ではダイヤ改正情報を収録していますが、俗にいう「白紙ダイヤ改正」ではなく、増便、スピードアップが中心のものでした。その中でも寝台特急電車も増便されていた時代で、京阪神〜九州では、3往復分(長崎行あかつき号、大分行彗星号が各1往復、佐世保・大分行として併結運転となる「あかつき・彗星」号が別途1往復)、上野〜秋田・青森ではあけぼの号が1往復追加され2往復体制となりました。 ダイヤ改正当日に到着する夜行列車について、9月30日からの「移り替わりご案内」にかなりの紙面をさいて説明されています。車両のやりくりの関係で、現行と改正後の列車が同時に運転されたりと、興味深いダイヤがみられます。 その他、関西線湊町(現JR難波)〜奈良間、成田線我孫子〜成田間、東金線成東〜大網間が電化線区の仲間入りとなりました。 また、新規開業線として、牟岐線牟岐〜海部までの11.6キロが開業しました。余談ですが、45年たった現在、牟岐から阿波海南については、10月31日付けで廃止となり、DMV導入が決定しましたね。 ピックアップしたのは、急行列車のビュッフェ営業について。この年の11月30日をもって信越線、中央東線の急行列車を除き、すべての急行列車からビュッフェ営業がなくなりました。ここでは廃止対象急行のひとつ、急行立山号、急行ゆのくに号の当時の編成表を取り上げました。 #時刻表 #鉄道 #113系 #あかつき号 #彗星号 #あけぼの号 #DMV #急行立山号 #急行ゆのくに号
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