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1987 Ferrari F1-87
F1の名門スクーデリア・フェラーリが1987年シーズンに送り込んだマシンがこのF1-87である。ドライバーは27号車に85年にフェラーリでランキング2位にもなったお馴染のミケーレ・アルボレート、28号車に前年ベネトンで初優勝を成し遂げた成長株ゲルハルト・ベルガーという布陣で挑んだ。シーズン序盤は新開発のなったエンジンの信頼性が低くリタイアが続き、表彰台はアルボレートが2度3位でチェッカーを受けたのみという結果であったが後半戦になるとマシンが熟成し、ポルトガルでベルガーが2位になると、第15戦日本グランプリ。F1が鈴鹿に初上陸したこのレースでポールポジションから一気に飛び出して自身通算2勝目、フェラーリ移籍後初の優勝を飾ると、続く最終戦オーストラリアでも2連勝を達成。特に最終戦は2位でチェッカーを受けたロータスのアイルトン・セナが失格となったことでアルボレートが滑り込み、1-2フィニッシュを達成してシーズンを締めくくった。 モデルは京商が大手コンビニチェーンであったサークルK・サンクスで展開していた1/64ミニチュアカーシリーズの第25弾でラインナップされた、カーナンバー28のベルガー車である。
レーシングカー(F1世界選手権) 1/64 京商真デレラ
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1989 NISSAN SKYLINE GT-R Gr.A test car
1989年8月21日ー。1台の名車が世に放たれた、BNR32型スカイラインGT-R。ハコスカ、ケンメリの愛称で親しまれた第1世代から実に16年ぶりの復活である。レースで勝つために生まれたこのスーパーウェポンは2.6リッターツインターボのRB26DETTエンジンを搭載し当時国産車の規制上限の280馬力を発生。さらに前後の駆動トルク配分を電子制御する4輪駆動システム「アテーサE-TS」や、ステアリングの操作をセンサーで感知して適正な4輪操舵を可能にした「スーパーHICAS」など当時の最新技術が惜しみなく投入されていた。発売直後の9月には宮城県のスポーツランド菅生でFIA Gr.A規定に合わせて作られたレース仕様車によるテストを開始。23号車のドライバーは職人、故高橋 健二氏である。その後の活躍はレースを好きな方ならご存知の通り、Gr.Aマシンによって争われる国内ツーリングカーレースの最高峰、全日本ツーリングカー選手権において、90年の初参戦から93年の最終戦まで無敵の29連勝を果たしたほか、N1耐久やGT選手権でもチャンピオンを獲得。またマカオギアレースやスパ24時間レース、バサーストなど世界各国のツーリングカーレースを席巻し、GODZILLA(ゴジラ)と呼ばれた。
レーシングカー(ツーリングカー) 1/43 EBBRO真デレラ
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1977 LANCIA STRATOS Turbo GROUP 5
イタリアの歴史ある自動車メーカー、ランチアが1974年に発売したストラトスは世界ラリー選手権(WRC)において無敵の3連覇を成し遂げるなど活躍した。そして時を同じくしてレース活動も開始。77年のジロ・デ・イタリアに参戦した"539"はランチアのエース、サンドロ・ムナーリがステアリングを握ったもののリタイア。しかし首位を独走するなどの見せ場を作った。 このマシンは77年末にVICICらの協力によって日本に上陸。富士スピードウェイで星野一義が走らせたのち、世界的に有名な自動車コレクターである松田芳穂氏のコレクションとなり、同氏が運営していた博物館の一つ、御殿場スポーツカーガーデンに長く展示されていた。 その後オーナーが変わり、現在はドイツで個人が所有しているが、表舞台に出てくることは稀である。
レーシングカー(Gr.5) 1/43 京商真デレラ