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The Official Government First Day Cover Collection モナコ公国
この政府公式ファースト・デー・カバーは、新古典主義画家ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルの生誕200年を記念してモナコより発行されたものです。切手のデザインには、アングルの最も有名な絵画のひとつ「泉」が描かれています。 アングルはフランスのモントーバンで生まれ、パリとローマで絵画を学びました。彼はナポレオン3世第2帝制期に、パリでもっとも勢力をもつ画家となりましたが、そのパリに戻る以前にしばらくの間、フィレンツェで暮らしていたことがあります。 コート・ダジュールに隣接する小公国モナコは、フランスと親密な関係を保っています。フランス語が公用語で、モナコの大公の認可のもとにフランス人の総督を持つ政体を維持しています。 モナコはその景観のすばらしさと温暖な気候で知られ、観光事業が最も重要な経済基盤ちなっています。美しいホテル、海岸、ショッピング、そして、かの有名なカジノが、世界のいたるところからの旅行者たちを引きつけています。またモナコには、ジャック・イーブ・クストーの指導による海洋博物館があります。 ※1980年の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
切手 モナコ公国 1980年お気に入り切手ミュージアム
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モナコ/セザンヌ生誕150年 1989.9.7【World Topics Stamp Collection】
『造形世界を創造した後期印象派』 19世紀末フランス人画家ポール・セザンヌは、絵画に対する制作態度をこう語っている-「印象派から美術館の作品のような確かなものを作り出す」と。すなわち、セザンヌは印象派から学んだ自然を見る目と明るい色彩現実に基づいて、確かな造形性を保つ世界を実現しようとしたのである。絵の主題はごく初期の作品を除いて、ほとんど風景、人物、静物に限られているが、上の切手に再現された作品『オーベル農園』(パリ・オルセー美術館所蔵)を見ても分かるとおり、緊密な構成と的確な色調とによって、現実のもつ実在感が二次元の画面に実現されている。 この作風は、のちに印象派の画風を発展させたものとして、ゴッホやゴーガンと並び、後期印象派と呼ばれ、近代絵画に大きな影響を与えた。事実、ピカソが創始した「立体派」という20世紀最大の造形革命は、セザンヌの有名な言葉「自然を円錐と、円筒と、球体として扱う」ことから始まった。立体派の出発点ともいえるピカノの『アビニョンの娘たち』は、セザンヌの『水浴図』を直接受け継いだものであるし、また同じく立体派の画家ブラックが南仏で描いた風景画も、セザンヌの風景画の落とし子といっていい。風景にしても、人物にしても。対象をその対象自体のためでなく、造形世界を作り出すための手がかりとして主題にするという、彼の制作態度こそ、立体派の画家がセザンヌから学んだものであった。 そして、ピカソやブラックにとどまらず、「野獣派」の画家、さらには抽象画においても、セザンヌの絵画は、20世紀造形運動の基本理念として生きている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 モナコ公国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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モナコ/「チャップリン生誕100年 1989.03.14」・「コクトー生誕100年 1989.04.04」【World Topics Stamp Collection】
『自ら作品も手がけた俳優と詩人』 ショービジネスの分野で活躍した、世界的に有名な二人がモナコの切手に登場した。ひとりは、イギリスの喜劇俳優チャーリー・チャップリン。もうひとりはフランスの舞台演出家ジャン・コクトーである。二人とも1889年生まれで、ともに今年生誕100年を迎えた。 チャップリン(左)は、寄席芸人だった父を早くに失い、病気の母を支えるために、幼くして舞台にたち、17歳にしてコメディアンとしての高い評価を得た。アメリカに渡ってから、山高帽にだぶだぶズボン、ドタ靴にチョビひげ、ステッキというおなじみのスタイルを考案。サイレント全盛のハリウッドで、自ら監督として「キッド」(1921)、「黄金狂時代」(1925)、「街の灯」(1931)、「独裁者」(1940)などの名作を製作し、ペーソスとユーモアによって、世の不条理を鋭く風刺し、世界中の映画ファンを魅了していった。 切手の図案は、チャップリンの素顔とメーキャップした顔、それに機械化によって人間が歯車になっていく時代を風刺した映画「モダン・タイムス」の一場面。 演出家のコクトー(右)は、詩人、小説家、劇作家としても活躍し、数々の詩集や戯曲、小説「怖るべき子供たち」などの作品によって、文人としても名を馳せた。有名な「美女と野獣」は、自分でシナリオを考え、映画化したもので、彼の文才と、映画舞台監督としての手腕がみごとに調和した作品である。 切手の図案は、コクトーの素顔と演劇「双頭の鷲」の一場面。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 モナコ公国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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新大陸到達500年(ヨーロッパ切手コレクション)リーフ-09
切手
切手 郵趣サービス社 モナコ公国 1992年お気に入り切手ミュージアム
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新大陸到達500年(ヨーロッパ切手コレクション)-0803
発行国:モナコ 発行日:1992.4.24 #切手
切手 郵趣サービス社 モナコ公国 1992年お気に入り切手ミュージアム
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モナコ/フランス画家アンリ・ルソー誕生150年 1994.10.17【World Topics Stamp Collection】
『ル・ドゥアニェ(税関吏)・ルソー』 画家アン・リ・ルソー(1844-1910)は、フランス北西部のマイエンヌ県ラバルに生まれた。ラバルは、市の中心部をマイエンヌ川が流れ、河畔の丘には古い城や15世紀に建てられたラバル大聖堂がそびえる美しい街だ。ルソーの父はブリキ職人、母は陸軍大尉の娘だったが、ルソーが7歳になる頃、父は仕事に失敗し借金を背負う。それでもルソーは寄宿生として学校に通ったが、1860年にはとうとう中退。その後、兵隊生活、法律事務所の見習いを経て、1871年、パリ市の入市税関収税吏の職につき、かたわら趣味として絵を描き始めた。このため、彼は"ル・ドゥアニェ(税関吏)・ルソー"などと呼ばれる。1884年にルーブル美術館の模写許可証を得、この頃から本格的に絵に取り組み、86年以降はほぼ定期的にアンデパンダン展に出品。93年に入市税関を退職し、制作に没頭するようになるが、生活は苦しく、画材屋の借金に追われ。絵や彼が得意とする音楽を教えて生活費を稼いだ。 1906年頃から、同郷の詩人アルフレッド・ジャリを通じて、さまざまな詩人、文学者、画家と知り合うなど、身辺は少しずつにぎわい、絵が多少売れはじめてきた。ピカソが1908年、ブラック、アポリネール、ローランサンなど若い芸術家たちを集めて、ルソーのために宴会を開いたという話もある。65歳を過ぎて、ルソーは54歳の未亡人との恋愛に破れた。そして1910年、悲嘆のうちにこの世を去ったという。 ルソーの誕生150年を記念する切手が、モナコから発行された。図案は、ルソーの代表作「ヘビ使いの女」(1907)。これは、画家ロベート・ドローネの母親の注文によって描かれたもので、この夫人はインド旅行の話をルソーに聞かせており、その話が彼を刺激したらしい。また、女のヘビ使いは、当時パリで人気のあったモリエ・サーカス呼び物でもあった。作品の中に、ルソーの独特の神秘的な世界が広がる。 #切手
切手 郵趣サービス社 モナコ公国 1994年お気に入り切手ミュージアム