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西宮神社の十日戎
男たちが開門と同時に猛ダッシュする福男選びの十日戎で知られる西宮神社。 阪急は元旦から11日まで最寄りに臨時駅を設け、参拝利用客の誘致を図っていました。 それをPRするのが、このマッチラベル。 「臨時停留場特設」とありますが、特設とあるとおり、井桁を組んだだけの簡便なものだったらしいです。 駅名はそのまんま「西宮戎駅」。 場所は西宮北口と夙川の中間ですが、本当に近い駅は阪急ではなく阪神の西宮駅。 阪神としてはおもしろいわけもなく、当時は電鉄会社がエリアに配電事業も行っていたこともあり、付近は阪神による配電エリアだったことから、阪急臨時駅から神社までの参道の電灯を消すという嫌がらせも行われていたとか。 東西問わず当時の民鉄はライバル会社に対する妨害は当たり前の武闘派揃いでしたからねえ。 臨時駅ができたのは今からちょうど100年前、1920(大正9)年の神戸線開業後で、戦中まであったらしいです。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #阪急 #西宮戎 #西宮神社
マッチラベル 阪急電鉄 西宮showa_express
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大晦日終夜運転のマッチラベル
大晦日おなじみの鉄道終夜運転。 果たしていつから始まったのかはよく分かりません。 個人のブログなど徘徊すると大正8年の省電とか大正12年の京阪とか諸説あるようですが、真贋は不明です。 電鉄系のマッチラベルを集中的に集めてはいるのですが、終夜運転ものはこの愛知電鉄のしかありませんでした。 終夜運転でなく徹夜運転と記されてますが、なんか終夜より徹夜の方が一生懸命感が伝わってきますね。 愛知電鉄は現在の名鉄の神宮前から東の区間を開通させた私鉄。 「豊川まで」とありますので、豊川稲荷への初詣輸送をPRするものですね。 ただ、愛電単独で豊川に線路を伸ばしていたのではなく、すでに豊川を通っていた豊川鉄道に、愛電の伊奈の先で線路を豊川鉄道の小坂井駅に繋げて直通運転していたもので、この区間は資料では小坂井線というらしい。 この直通が始まったのは大正15年の4月。 愛電は昭和2年には伊奈から先、今の豊橋まで線路が伸びて全線開通となりましたが、そのとき入った電車が「電7形」という形式。 で、このマッチラベルの電車が「電7形」かというと、最近発行された「名古屋鉄道車両史」の上巻に出てる写真と見比べると、前照灯の位置が違うような。 「電7形」のヘッドライトは電車正面の「へそ」の辺りに付いてるのですが、この図柄ではそれが描かれていません。 まあ、大雑把な絵なのでアレですが、特徴的な「へそ」の前照灯を描かないわけもないだろうから、これはその後昭和3年に製造され、ヘッドライトが「おでこ」部分にあって、尾灯も絵のように左下1灯だったデハ3300形なのかなと、勝手に類推しております。 デハ3300は「あさひ」号と呼ばれ、神宮前-豊橋を60分で走破する超特急にも使われたそうです。 豊橋まで60分なら豊川も似たようなもんでしょう。 ということなので、豊川乗り入れが大正15年だけど、電車がデハ3300という前提で、このマッチラベルは昭和3年以降のものなんじゃないかな。 2枚目は年が明けて初詣の案内です。 #マッチラベル #愛知電鉄 #名古屋鉄道 #初詣 #終夜運転 #豊川稲荷
初詣 マッチラベル 愛知電鉄showa_express
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夜でも泳げる海水浴場
今はなき浜寺海水浴場への行楽を呼びかける阪和電鉄のマッチラベル。 大阪府のサイトによると、この海水浴場はナイター設備もあって夜でも泳げたらしい。 ラベルに記されている阪和浜寺は現在の東羽衣駅で、並行する南海と海水浴客の争奪戦を繰り広げたとのこと。 駅員の殴り合いは当然で、これ以外にも、阪和浜寺駅で降りて海水浴場へ行くために渡る南海の踏切を、南海はわざとノロノロ運転で通過し意図的に「開かずの踏切」化するという嫌がらせ行為もあったらしいです(笑) 阪神VS阪急もそうですが、あのころの私鉄はエグいですなあ。 阪和浜寺海水浴場は朝日新聞との共同事業なので、ラベルにも週刊朝日後援と記されてますね。 一方の南海は毎日新聞と組んで大毎浜寺海水浴場をやっていたので、そりゃまあ喧嘩も起きますわなあ。 #マッチラベル #海水浴場 #戦前 #阪和線
マッチラベル 大阪/浜寺海岸 戦前showa_express
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今じゃ埋立地
京浜運河を造るためにしゅんせつした土砂を捨てたら、偶然にいい塩梅で砂州ができて、それが海水浴場に発展したのが扇島海水浴場なんだそうです。 で、その海水浴場に客を運んでいたのが現在のJR鶴見線であるところの鶴見臨港鉄道。 夏の間は最寄りの場所に「海水浴前」という臨時駅も設けられ、そこから渡し船で海水浴場に行けたとか。 この臨時駅は武蔵白石と浜川崎の中間。 「遠浅で水のきれいな」という宣伝文句の通り人気の海水浴場で、来場はひと夏20万人といい、春には潮干狩りもできたらしい。 #マッチラベル #鶴見線 #鶴見臨港鉄道 #海水浴場
マッチラベル 横浜/鶴見区、川崎/川崎区 戦前showa_express
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延びてきた御堂筋線(マッチラベル偏)
大阪の地下鉄は昭和8年に梅田-心斎橋が開業し、心斎橋から難波まで延びたのが昭和10年。 この南海電車のマッチラベルにある「十月丗日(10月30日)」が延伸開業の日で、大阪駅方面と結ばれる様を握手で表現している。 地下鉄で梅田と難波が結ばれることは各所で宣伝の素材とされ、この南海だけでなく、難波拠点の高島屋や梅田の阪急なども延伸に合わせた広告や記念スタンプを何種類も用意した。 なお、この地下鉄は現在の御堂筋線だが当時は愛称がなく、ただの1号線だった。 #マッチラベル #戦前 #南海 #御堂筋線
マッチラベル 大阪/難波 昭和10年showa_express
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十一って何やねん。十三ちゃうんかい
最初このラベル見たときは漢数字で十一(じゅういち)って書いてあるのかと思いましたよ。 阪急のマークが付いてるから十三だろとマジで考えたのですが、電灯とか電力って書いてあるから、ああこれはプラスとマイナスなんですね。 ラベルの下に描かれているのは阪急の昔のマーク。 阪神急行時代と京阪神急行時代では微妙にデザインが異なるんですが、これはどっちかなあ? 両者の特徴が変に混ざってるので判別が難しいです。 それはさておき、当時の電鉄会社は自社で発電した電気を沿線にも供給しており、そのためにこういった宣伝をしたのでしょう。 当時の鉄道会社にとって売電での儲けは運賃収入と並び大きな収入源となっており、中には電力会社がついでに電気鉄道をやっていた例まであるほど。 なまじ配電を握っていたため、当時大阪-神戸間で熾烈な乗客争奪戦を展開していた阪神による阪急臨時駅前の街路灯消灯事件といった嫌がらせまで起きています。 非常に儲かる事業ではあったものの、戦時中の国家総動員法などにより、電力事業は大手の電力会社(阪急の場合は現在の関電)に統合され、電鉄系の配電事業は消滅しました。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #阪急
マッチラベル 大阪、兵庫 戦前showa_express
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大阪環状線はまだなかった
省線と大阪市営地下鉄(大阪市電気局)の連帯運輸をPRするマッチラベル。 連帯運輸は連絡運輸のことで、一枚の切符ないしは定期券で省線と大阪地下鉄の各駅を結ぶもの。 それまでの鉄道は会社ごとに出札窓口で切符を買う必要があったわけで、省線から地下鉄に乗り換えるためには省線で1枚、地下鉄で1枚の切符を買わねばならなかった。 これはまあ、今でもそういう買い方をすれば買うことは可能ですけどね。 1枚の切符で済むならば、わずか数分とはいえ時間の節約になり、出札窓口での混雑もちょっぴり改善され、回り回って利用客の利便性向上につながるというわけ。 他の例が分からないのでアレですが、当時としてはそこそこ画期的なことだったんじゃないでしょうか。 連帯運輸はこのマッチラベルの場合、大阪地下鉄の各駅から、省線の京都-兵庫駅間と、途中で分岐する尼崎から宝塚まで、さらに大阪から現在の桜島駅である天保山駅までの西成線全線が扱い範囲。 この時代、西九条より南に線路はなく大阪環状線というものは存在していなかったため、平仮名の「つ」みたいな形の路線でした。 ラベルに描かれている地下鉄の車両は100形。 ニューヨークの地下鉄車両にインスパイアされた、先頭車の特徴的な転落防止柵もちゃんと描かれています。 この100形は現在も1両が保存されており、NHK連ドラの「ごちそうさん」にも登場しました。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #鉄道省 #大阪市営地下鉄
マッチラベル 大阪市 戦前showa_express
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気の毒なおけいはん
京都から神戸まで京阪と阪急を使うと安くて早いと書いてあるけど、京阪って天満橋とか淀屋橋行く電車だから阪急とどうやって乗り継ぐん? そもそも十三なんて阪急の駅で、どこにも京阪なんてないじゃん。 それもそのはず、十三から京都に向かう電車は阪急の京都線。 京阪は阪急よりも南に位置してる鉄道ですよね。 ならばこの大雑把な路線図は何なんだ。 実は阪急京都線は京阪が線路を敷いた鉄道だったようです。 昭和になる前から大阪-神戸間では阪急と阪神が苛烈な乗客争奪戦を繰り広げていて、それを見てビビった京阪が大阪-京都間でも同じことが起きたらたまらんと考え、他社に線路を敷かれる前に自分らで鉄道走らせちゃおうと敷いたのが、今の阪急京都線なのだそう。 人家がまばらなところに線路を敷設したので線形がよく、今も阪急がすっ飛ばすことができるのは京阪のおかげなんですね。 実際に線路を敷いたのは京阪の系列会社である「新京阪鉄道」で、十三に接続している以外にターミナルは天神橋に設けていました。後の阪急千里線と地下鉄堺筋線の乗り入れ接点である天六です。 しかし新京阪は1930年には京阪に吸収され、戦時中の1943年には京阪自体も阪急と合併することとなり、阪急(阪神急行電鉄)は京都への鉄路も手に入れたことで京阪神急行となったのでした。 戦争が終わって線路を元の会社に戻すことになったけれども、出身役員の数で勝っていた阪急側が多数決で勝ってしまったため、新京阪の敷いた路線は阪急のものになってしまったんだそうです。 京阪かわいそう。 #マッチラベル #戦前 #阪急 #京阪 #昭和レトロ
マッチラベル 京阪神 戦前showa_express
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摂氏10度の生ビール
日本で最初の地下鉄を開通させた東京地下鉄道(営団地下鉄→東京メトロ)。 銀座延伸までの収益確保などを目的に始めた駅ナカビジネスのハシリが、この地下鉄食堂や地下鉄ストアです。 食堂は昭和4(1929)年に浅草雷門で営業を始めたのが最初で、路線延伸とともに、ストア含め上野駅前、須田町、上野地下街、室町、新橋なんかにもあったらしい。 最後の上野店は昭和56(1981)年まで営業していました。 地下鉄ストアは食堂の翌年に始まり、日用雑貨や菓子、パン、茶、砂糖などのほか、カツレツやコロッケ、ロールキャベツといった惣菜も売っていたようです。地下鉄ストア解散後も平成23(2011)年まで一部店舗が銀座線神田駅構内で営業していました。 利用したことはありませんが、歯科医院や美容院、紳士洋品店なんかもあり、実に昭和レトロな空間でした。 大沢たかお、常盤貴子らが出演している映画「地下鉄(メトロ)に乗って」にも、この神田ストアが出てきます。 #マッチラベル #戦前 #地下鉄 #営団 #東京メトロ #昭和レトロ
マッチラベル 東京/上野 戦前showa_express
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大昔のJR阪和線
東西問わず昔の鉄道会社は直営のレストランや喫茶店を経営していた例が多い。 電鉄系の商業施設といえば今でもデパートが代表的だけど、当時はこんな細かい店も直営でやってたんですね。 この阪和というのは阪和電気鉄道のことで、現在のJR阪和線。 昭和15年に南海鉄道(後の南海電鉄)に合併され同社の「山手線」に。 その後、昭和19年に国鉄阪和線となって現在に至ってます。 阪和と南海はライバル関係にあり、海水浴客争奪で駅員の殴り合いが発生するなど、武蔵野鉄道(現・西武池袋線)と旧西武鉄道(現・西武新宿線)による所沢駅殴り合いに匹敵する仲の悪さだったが、合併は国の意向が強く働いたものだったらしい。 #マッチラベル #戦前 #喫茶店 #阪和線
マッチラベル 大阪/天王寺 戦前showa_express
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京成聚楽のマッチラベル
昭和11年3月に完成した京成の聚楽ビル。じゅらくビルと平仮名で書いてある例も多い。もともとは京成の上野公園駅だったものがその後、京成の本社ビルとなり、現在はヨドバシカメラ・マルチメディア上野になっている。全館飲食店のビルで、当初は5階建て。 外回りの山手線が上野駅を出発するとすぐ右手に見えた幅が狭く薄汚れたビルでしたが、存在感は抜群でした。
マッチラベル 東京/上野 戦前showa_express