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新生(細巻10本入)
当初、包装作業の効率化を図って連続模様用紙が採用され、10本入りと20本入りで共通して使用されていましたが、それでも包装機が不足したため、10本入りについては手貼り作業で包装を行えるよう形態が変更され、同時にデザインに明るさを与えるため文字色が変更されました。 包装材料の調達、印刷などが復興過程にあり、用紙・印刷の品質にばらつきがみられます。また、用紙の打抜金型の手変わり多くが存在し、その他、地方だけで使用されたものもあるといわれています。 1947年11月1日~ ・40円で発売開始【画像1】 ・20本入りと共通の連続模様用紙 ・長野県で一部販売されたという報告がある 【手貼り包装各種】 ・のりしろ角型・右開き【画像2】 ・のりしろ角型・左開き【画像3】 ・のりしろ斜型・右開き【画像4】 ・のりしろ斜型・左開き【画像5】 ・のりしろ円型・右開き【画像6】 ・のりしろ円型・左開き【画像7】 ・用紙打ち抜き時のエラー【画像8】 1948年5月下旬 20円へ価格改正 1948年年度内で売り尽くして終了 ・専売収益金の確保を目的に値下げして売りつくされた。
U字型→簡易包装 田中 冨吉 1948年年内 1947年11月1日shirotanino
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ききょう(30グラム包)
戦後発売された、専売公社による最後の国産刻みタバコ。 1948年に発売されましたが、その時点で刻みタバコは「みのり」と特殊な粉タバコ「富貴煙」の2種だけとなっていました。「みのり」より上級品を、という希望に応えて発売が開始されました。 その「富貴煙」・「みのり」がともに1965年1月に廃止となり、それ以後「ききょう」は1979年3月に廃止されるまで唯一の刻み銘柄として存続しました。刻みという品物の性質上、歌舞伎や新派などの舞台関係者に多く愛されたといわれています。「ききょう」は製造中止まで日本専売公社池田工場(徳島県:1990年9月末閉鎖)で製造されていましたが、徳島県は民営たばこの時代より「阿波刻」という一大ブランドを形成していたことでも有名でした。 1948年7月2日~ ・日本政府専売局より60円で発売開始【画像1・2】 1949年 6月1日~ ・日本専売公社発足【画像3】 1953年10月6日~ ・日本専売公社新証票【画像4】 1954年6月~ ・証票位置変更【画像5】 1975年7月頃 ・新価格品表示「np」マーク入り【画像6】 1975年12月18日~ ・90円へ価格改正 ・新価格品として改訂済シール貼付【画像7】 ・新価格品として封緘紙を暗青色に変更【画像8】 1979年3月製造中止
背面閉じ包装 田中 冨吉 1979年3月5日 1948年7月2日shirotanino
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新生(旧‐太巻20本入)
1947年に自由販売品として発売された「新生(細巻)」は、自由販売品といえその品質はとてもピースには及ばず、配給品と変わらない品質が敬遠されて販売量が落ちた。販売収益と税収確保を考慮して、ついには「くじ付き」で販売されたがそれでも販売量の回復は叶わなかった。 その「新生」が、専売公社発足にあわせて太巻で復活した。10本入・20本入ともに同意匠で発売されたが、模造品(闇タバコ)などの出現により何度か改装される。「ピース(新)」をデザインしたレイモンド・ローウィに、その意匠について「早く救急車を呼ぶように」との「酷評」をうけたという。その酷評が後に活かされる。 ・1949年6月~ 60円で発売開始。10本入小箱と同意匠。 【画像1-2】1950年頃 ☆模造品対策に地色に雲型模様をいれる。ただし印刷品質により、雲型模様かただ薄いのか判断に悩むものが多い。 【画像3-4】1950年頃 ☆更なる対策として上下に金線を追加する。色味、証票などにさまざまな違いがみられる。 【画像5】印刷の違いによる証票の相違 ・1950年4月1日~ 40円に価格改正 ☆在庫処理目的の値下げ ・1952年4月 デザイン改正
U字型 田中 冨吉 1952年4月 1949年6月shirotanino