Erfurt & Fulda (ドイツ)

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エアフルト、フルダいずれもドイツ中央部の都市です。

エアフルトは古来からのフランスとロシアを結ぶ東西とバルト海と北イタリアを結ぶ南北の通商・巡礼街道沿いに位置する町で、特に中世は青色染料の交易の中心都市としてとても繫栄しました。10世紀~12世紀にかけてはマインツ選帝侯が徴税権を保有していましたが徐々に独立を強め、1217年には市議会が設立され、1306年~1481年には他のチューリンゲン地方の有力2都市と共にチューリンゲン都市同盟を結成し、1430年にハンザ同盟に加盟します。また、11世紀以降ユダヤ人コミュニティの繫栄や、1379年のエアフルト大学の創設、16世紀初頭のマルティン・ルターが住んだことによる宗教改革の早期の受容など進取に富む都市でしたが、17世紀後半に交易の減少やペストによる人口減で繁栄は失われ、マインツ選帝侯の統治下に入ります。

フルダの起源は、フランク王国治下の744年にフルダ修道院が創設されたことに始まります。11世紀に入ると、フランクフルトとエアフルト及びライプチッヒを結ぶ街道沿いの町として発展し、1019年には神聖ローマ皇帝より修道院に対し貨幣鋳造権が認められました。

掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。

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