1930年代から1960年代にかけてのドイツ黄金期のオーディオ機器を中心に収集、保管・展示しています。音響技術の発展の様子と国民性、地域性のよる設計思想、使用目的を知ることができるよう、時間軸、空間軸によって展示室を分けました。

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oogakih Museum

1930年代から1960年代にかけてのドイツ黄金期のオーディオ機器を中心に収集、保管・展示しています。時間軸、空間軸による分類をしたので音響技術の発展の様子と国民性、地域性のよる設計思想、使用目的を知ることができます。

 修繕、メンテナンスに関して、オリジナルの外観は極力損なうことのないよう原型を保持します。
内部の部品については、現代の部品に取り替えた方がよいと考えられるものについては交換します。製造当時の部品の入手が困難であり、入手できても使用に耐えられるか不安であり、性能を十分に発揮できないと思われるためです。当初の機能、性能を損なうことのないよう心がけています。

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Collection Rooms

    1F 第二次大戦前、中期

    第二次大戦前、中期
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    ドイツオーディオの黎明期から黄金期 1920年代から1940年代半ばまでの音響機器類

    ドイツ音響機器の技術発展は映画音響技術と共にある。1926年から27年頃アメリカでトーキー技術が実用化されると、翌28年10月に2大電機コンツェルンであるAEGとSIEMENS UND HALSKEがKLANGFILM有限会社を設立しドイツ映画界もトーキー時代に向かう。30年にはドイツ初のトーキー映画「嘆きの天使」が公開され、いよいよ本格的になってくる。いわゆるワイマール期から第二次大戦終結までがドイツオーディオの黄金期と言える。また、1920年代の終わりには、ドイツ人1,000人のうち63人がラジオ受信機を所有するまでになっていた*。この普及率の高さは後に政治宣伝に利用されることとなる。

    ここではKLANGFILM社の劇場用スピーカーシステム、パワーアンプ、 TE KA DE, LORENZ等のパワーアンプ、TELEFUMKENのラジオ用スピーカーを紹介する

    *「ヴァイマル共和国」 リタ・タルマン著、長谷川公昭訳 文庫クセジュ 白水社

    2F 第二次大戦後 西ドイツ編

    第二次大戦後 西ドイツ編
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    第二次世界大戦が終わり、Klangfilmが解体された後の音響機器 194年代半ばから60年代まで SIEMENS, ZEISS IKON and etc.

    3F 第二次大戦後 東ドイツ、ソビエト・ロシア編

    第二次大戦後 東ドイツ、ソビエト・ロシア編
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    第二次大戦後ドイツ帝国が東西に分かたれ、それに伴い企業も分割された。東ドイツではRFT(Radio Funk Techinik)がVEB, Koelleda等のメーカーを傘下に収めた。旧ドイツ帝国時代の技術を元に独自の発展を遂げた。業務用はもとより民生用のラジオ、後にはテレビ、ミニコンポなども手がけている。

     RFT (Rundfunk-und Fernmelde-Technik) ラジオ・テレビ放送技術
    第二次大戦時における、ドイツ各工業メーカー跡地に設立された工場から生まれた、東ドイツの放送、音響製品を集約した組織である。使用する機器は主として、ライプツィヒ、ベルリン、チューリンゲンにある工場で作られたものである。
    代表的な工場群
    ・Bad Blankenburg in Thuringen, VEB Fernmeldewerk Bad Balnkenburg
    ・Bautzen, VEB RFT Fernmeldewerk
    ・Berlin-Oberschonenweide, Institut fur Nachrichtentechnik des VVB RFT Nachrichten-und Messtechnik Liepzig
    ・Berli -Oberschoneweide, VEB Werk fur Fernsehelektronik, fruher WF-VEB Werk fur Fernmeldewesen
    ・Berlin,RFT Kombinat VEB Funk -und Fernmelde-Anlagenbau
    ・Berlin,VEB Applikationszentrum Elektronik
    ・Berlin, VEB Messelektronik
    ・Berlin, VEB Sternradio Berlin


     ソビエト・ロシアの第二次大戦前・中期の技術は分からないが、ドイツ帝国の降伏時にKlangfilmから技術者ごと接収し、音響技術の発展に利用した。パワーアンプでは送信管を使用した大出力の機材が作られ、スピーカーシステムも大口径ウーファーといくつものホーンツイーターを備えた大型の装置が作られた。すべて大講堂や広場等々での宣伝が目的である。

    4F エテルナレーベルについて ETERNA (ドイツ語で永遠の意)

    エテルナレーベルについて ETERNA (ドイツ語で永遠の意)
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    ここでは東ドイツの国営レコードレーベルのひとつ、エテルナについて紹介する

    *ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik, DDR)第二次世界大戦後の1949年、ソビエト連邦の占領下にあった旧ドイツ国東部地域とベルリン市東部に建国された共和国。首都はベルリン。アメリカ、イギリス、フランスに占領された西部地域およびベルリン市西部に建国されたドイツ連邦共和国とともに二分された分断国家の一つ。1990年、いわゆる「ベルリンの壁崩壊」後にドイツ連邦共和国に吸収、消滅する。

    東ドイツでは国営企業としてのレコード会社があった。
    VEB (Volkseigener Betrieb) Deutsche Schallplatten Berlin 国営企業ベルリン・ドイツ・レコード

    ジャンルごとに6つのレーベルに区分された。

    Amiga, アミーガ:ポップス、ロック、民謡 約400タイトル
    Eterna,エテルナ:クラシック音楽 約3000タイトル
    Litera,リテーラー:ラジオドラマ、詩の朗読
    Nova, ノヴァーク:現代音楽 約290タイトル
    Aurora, オーロラ:エルンスト・ブッシュのワーカーソング
    Schola,スコラ:教育

    これらのレーベルから総計4000タイトルものレコードが制作され、東ヨーロッパ各地、また西側市場にも輸出された。
    自前の演奏家の録音の他、ソ連や東欧諸国、西ドイツの演奏家の録音も多い。

    初期 1946年から1969年頃 モノラル時代 レーベルは緑地にオリーブの葉、緑地に白の扇型、V字と言われる。
       盤は厚く、音色も重厚。ジャケットは共通デザインが多い。フランツ・コンヴィチュニー、クルト・ザンデルリンク、ディーター・ツェヒリン、ゲヴァントハウスSQ等

    中期 1970年から年頃。黒字に銀色のETERNAの文字。ジャケットは様々にデザインされる。盤は厚く、音色は重厚。緑地に白の扇、初期のステレオ盤いわゆるV字ステレオ盤は当時の西側のステレオ録音盤にも引けを取らないとして好まれるが、枚数が少なくたいへん高価。

    後期 1980年頃1989年。黒字に銀色のETERNAの文字。青地に黒のETERANの文字。盤は薄くなる。クルト・マズア、オトマール・ズイトナー、ヘルベルト・ブロムシュテット、ヘルベルト・ケーゲル、アンネ・ローゼ・シュミット、ペーター・レーゼル、カール・ズスケ、ゲルハルト・ボッセ等々お馴染みの演奏家の録音が多数ある。


    以下、()内ウィキペディアから
    (1946年から1989年まで、ドイツ・シャルプラッテン・ベルリンは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)唯一の国営音楽出版社、レコード製造業者であった。
    クルト・マズア指揮によるシュターツカペレ・ドレスデンや、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮によるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、オトマール・スウィトナー指揮によるシュターツカペレ・ベルリンやシュターツカペレ・ドレスデンなど、当時の東ドイツが誇る数々のオーケストラのレコードを発売していた。

    現在クラシックレーベルであったエテルナは、ベルリンクラシックスとして Edel music(独語版)から発売されている。また、日本でのドイツ・シャルプラッテン音源は、徳間ジャパンコミュニケーションズ、キングレコードから発売されている。
    1960年代よりデンオン、CBSソニー、Teldec、EMI、Philips、ドイツ・グラモフォン (DGG) などの西側レコード会社とも積極的に共同制作をおこなっていた。
    ドイツ・シャルプラッテン・ベルリンは、東ベルリンを中心に、ライプツィヒ、ドレスデンの教会内を録音スタジオとして使用していた。
    東ベルリンのオーバシェーネヴァイデのキリスト教会では、シュターツカペレ・ベルリンの録音が数多くおこなわれ、ドレスデンのルーカス教会では、数多くのシュターツカペレ・ドレスデンの録音がおこなわれた。)

    録音機材について。
    推測の域を出ないが、録音マイク、カッティングレースはノイマン社の機材を使っていたであろう。ミキシングアンプ、ミキサー、ラインアンプ、フォノイコライザーアンプ等々スタジオ機材についてはTAB,TELEFUNKEN,SIEMENS等、西ドイツの機材を使ったとも思われるが、自前のRFT,VEBの機材を使った可能性も考えられる。
    RFT,VEB等はPA用、構内用等の機材は多く見られるのが、スタジオ用の機材は数が少なくあまり見たことが無い。しかし、現存していますので可能性は大きいであろ。

    RFT (Rundfunk-und Fernmelde-Technik) ラジオ・テレビ放送技術
    第二次大戦時における、ドイツ各工業メーカー跡地に設立された工場から生まれた、東ドイツの放送、音響製品を集約した組織である。使用する機器は主として、ライプツィヒ、ベルリン、チューリンゲンにある工場で作られたものである。
    代表的な工場群として以下の企業が挙げられる。

    ・Bad Blankenburg in Thuringen, VEB Fernmeldewerk Bad Balnkenburg
    ・Bautzen, VEB RFT Fernmeldewerk
    ・Berlin-Oberschonenweide, Institut fur Nachrichtentechnik des VVB RFT Nachrichten-und Messtechnik Liepzig
    ・Berli -Oberschoneweide, VEB Werk fur Fernsehelektronik, fruher WF-VEB Werk fur Fernmeldewesen
    ・Berlin,RFT Kombinat VEB Funk -und Fernmelde-Anlagenbau
    ・Berlin,VEB Applikationszentrum Elektronik
    ・Berlin, VEB Messelektronik
    ・Berlin, VEB Sternradio Berlin




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