-
音樂雑誌 シンフォニー 1948(昭和23)年 2月10日 發行 第四輯
東寶の機関誌の1948(昭和23)年 2月發刊の第四輯です。 表紙は近衛秀麿氏。 グラビアページに近衛氏とのサン・サーンス提琴コンチェルトの打ち合わせ風景、また「東寶藝術家の近影」ではセンターを飾っておられます。 その他、 前年'47年の「樂団總決算」では"寶響の躍進と光る諏訪根自子"として個人では歸還後はじめて舞䑓に立つた諏訪根自子の矢つぎばやの演奏活躍はかなり派手だつた…とある。 また同前年の事業記録として五月四/五日の帝国劇場での第三回演奏會も掲載されている。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/54?theme_id=39620 同十一月十九日の日比谷公會堂での「學生のための音楽會」が開催されたことも「楽界ニュース」国内版に掲載されている。 そういった華々しい記載とは別に、 「樂団總決算」の掲載された「樂団一年を顧みて - 一九四七年の總批判」では、村田武雄氏の「ソリストの群像」欄で… "問題となるのは諏訪根自子と巌本眞理である。諏訪は歸朝時の新鮮な心境をスポイルされて、技術的に纏つても精神的纏りが亂れてしまつた。しかも冷さが禍して表現に情熱がない。高い精神力と強い情熱を失つた藝術はいかに技術的に優秀でも冷い傀儡に過ぎないのである。・・・" と、内部機関誌にも関わらず かなり痛烈な批判が為されているのが印象的で興味深いです。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東方
雑誌 東寶音樂協會 日本:古書店さんnine_o_nine
-
音樂雑誌 シンフォニー 1947(昭和22)年11月30日 發行 第三輯
東寶音樂協會編輯による機関誌。昭和22年11月30日 發行の第三輯。 今号でなにより目を引きますのは、表紙を飾られている事も勿論ですが 根自子さんご出演のオムニバス映画「幸運の椅子」(東寶/日映)の広告ページとスチールが掲載されている事でしょう。重要な演奏シーン(=貴重なニュース映像以外での動く根自子さん!)もあるので是非!ソフト化して頂きたいものです。 「諏訪根自子さんを訪ねて」と題された1ページ半のインタビュー記事も掲載されていて、ご自身のお言葉と緒崎勝一郎さんによる音楽ばかりでなく趣味や生活迄踏み込んだ素顔を紹介されたなかなか興味深いもの。"京王千鳥烏山の越さ(購入さ)れたばかりのご自宅"の事とか時代ですね^^; 根自子さんの書棚にはボードレールの「惡の華」。いい。 また、11月29日、浦和での演奏會の事に触れられている。(印刷/発行の日付からこれはどうか?と思うのだが・・・)第8軍エデュケーショナル・センター主催。これは、恩地孝四郎さんが観られたアレと同一系列の催しですね? 遡って… 11月19日 學生に贈る諏訪根自子 演奏會。日比谷公会堂にて・・・。「シャコンヌ」「クロイツェル・ソナタ」商品「G線上のアリア」「ロンド」「ハバネラ」「鐘」。 11月28日 久々のラジヲ出演。なんと30分!(21:30〜放送)「悪魔のトリル」「蜜蜂」「メロディー」「華麗なるボロネーズ第一番」・・・録音残ってないのでしょうか!? "東寶藝術家"として実にラッシュなご活躍ぶりです♪ #諏訪根自子 #nejikosuwa #東宝
雑誌 東寶音樂協會 日本:古書店さんnine_o_nine
-
音樂雑誌 シンフォニー 1947(昭和22)年10月30日 發行 第二輯
東寶音樂協會編輯による機関誌。昭和22年10月30日 發行の第二輯。 口絵グラビア的に根自子さんと原智恵子さんが掲載されております。当時、ご両名共に"東寶藝術家"として所属しておられました。 同月、10月26・27日両日に帝國劇場にてソナタ發表會が催された旨の記載があります。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東宝
雑誌 日本:古書店さん 1947年nine_o_nine
-
音樂之友 1951(昭和26)年 6月号 第9巻第6号
何冊か纏まって「音樂之友」誌が手に入りましたので・・・ 予備知識なしにページを捲って行き当たった時は嬉しいですね^^ この号には・・・ "樂界ニュース"”樂壇 眼耳口”の欄に2つ程、トピックスを見つける事が出来ました。 *東京交響樂團の披露演奏會 これは萩谷さんのご本P182"東宝のクラシック音楽活動の終焉"でも触れられていました、東寶からの改組/独立旗揚げ公演ですね(最初の写真は遠く粗いですがそのステージショット!)。 同年3月31日 歌舞伎座にて午後2時と6時の2回公演であったことが分かります。 ブルッフのヴァイオリン協奏曲をご演奏されました。 …因みにこの前号(5月号)でこのコンサートのものかは不明ながら牛山充氏の胸のすく様な原智恵子さんとのデュオ演奏評コメントが掲載されている旨が同書P184に記載されていて期待しましたがざっと読み進めた感じ見つける事が出来ませんでしたので、後日掲載させて頂くまでもう少し細部隈無く探してみようと思います♪ (11/22訂正:リーディンググラスを装着し普通に読み進めますと、普通に見つかりました^^; いやお恥ずかしいです。謹んで訂正させて頂きます<(_ _)>) *"樂壇 眼耳口"の欄にはヨゼフ・ローゼンシュトック氏の6年振りの来日、日響(NHK交響楽団)とのその6月14/15/16日公演に根自子さんが登壇される事が報じられています。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #音樂之友
雑誌 音樂之友社 日本:その他nine_o_nine
-
音樂之友 1951(昭和26)年 5月号 第9巻第5号
音樂之友 1951(昭和26)年5月号です。 何より特筆すべきは、萩谷さんのご本P184に記されております評論家の牛山充氏による胸のすく様なコメントを含む女流演奏家比較論「諏訪根自子と巌本真理」という記事が掲載されている事でしょう! その『諏訪根自子 美貌のヴァイオリニスト その劇的生涯 1920-2012』引用部分は… 原智恵子さんとのベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の演奏に触れ "彼女には珍しい生々としたもので、溌剌たる生氣の中に若々しい彼女の中の女性が輝いていた。あれを見たならば、トルストイ翁もあの小説の趣向を全く變え「藝術論」の筆も柔らげたかもしれない・・・" と。この一節を含む全文面から要約して掲載させて頂きました旭川でのリサイタル・パンフレットの紹介文にも転用されております。 興味深いのはこの年、"藝胎長養"の時期として光世さんとのモギレフスキー教授への報恩演奏會(東京/京都/大阪/寶塚⬇︎) https://muuseo.com/nine_o_nine/items/34?theme_id=39620 と例の東宝から改組・独立した東京交響樂團との演奏その第一夜⬇︎ https://muuseo.com/nine_o_nine/items/117?theme_id=39653 ご出演を最後に一時、演奏會への出演をお辞めになられた。と、しかし7月には1日に京大⬇︎で、 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/42?theme_id=39620 翌週7日に金城ホール/8日に西舞鶴公会堂でのプログラムも確認されております事から、実質3/31歌舞伎座公演を最後に、4/5/6月の3ヶ月がこの"藝胎長養"の期間に充てられたものと推測されます。但し、実際はもう少し前に復帰為された事も考えられます故、今後ともプログラム収集での検証続けたいと思います。 牛山さんの文面に戻りましょう。お二人の不在の間、若手の方の台頭あれどやはりこの時期の根自子さん、巌本真理さんは別格の存在であった事が(その不在の間により明白に思い知らされ)伝わって参ります。そして旭川のプログラムに要約されていた根自子さん像・・・その全文を拝読し、「時流の外に立つ藝術家、これが諏訪根自子の眞骨頂」その真の意味を思い知る事になりました♪ #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 音樂之友社 日本:その他nine_o_nine
-
音樂之友 1949(昭和24)年 6月號 6月1日 發行 㐧7巻㐧6號
「 私は誰でしょう?」という巻頭グラビア㌻に掲載されております。 恐らく昭和5〜6年頃のお写真ではないでしょうか? 10ヶ月振り程となる(?)日比谷公會堂での独奏會のトピックスが2つ小さく掲載されておりました。 "永遠の處女と呼ばれてみたり、黒衣の處女といわれてみたりして、いつもいわば神秘という柱といつたものの陰に、身をかくしていた諏訪根自子が久しぶりに四月の十四・五の兩日、第四回目の獨奏會を帝劇で開いた。" https://muuseo.com/nine_o_nine/items/113?theme_id=39620 (この回⬆︎ですね) "珍しくかの女は今回は薄黄の明るい衣装で、しかも生氣あふれて登場し、聴衆はいままでのかの女の會で感じさせられる一種の暗い壓迫感から解放され、じつくりかの女の藝術を観賞しよう、という雰囲氣が場内一杯にあふれたようであつた。" -通常の根自子さんの演奏會の雰囲気、そしてブランク・充電明けの今回はそれまでとは違った特異な明るいムード(それはドレスのお色目にも顕れ)で幕開けた事、反映される聴衆のよき反応が伝わって参ります! "かの女は依然わが提琴界の最前線を進んでいる。自重と健康を祈るゆえんである。" 更に… それは昨年(1948(昭和23)年)の6月以来1年振りとの記載が別㌻にありました。やはりこの記述⬆︎から健康所以のご休養だったのでしょうか? 確かに'48年は手持ちでは今の所、3月の京都/同志社でのもの一冊のみ・・・'54年の長期ブランクと共に気になる所でございます。 まだ戦前〜戦中(ベルギー/パリ)の頃までをいろいろ探しつつ読み進めてるところで、それも近頃滞りがち。戦後のこの頃のことももう少し先になるかと思いますがまた当時のプログラムや誌面記事から辿りたいと思います♪ #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 音樂之友社 日本:その他nine_o_nine
-
音樂之友 1948(昭和23)年 7月號 7月1日 發行 㐧6巻㐧7號
婦人公論等でご活躍された松田ふみ子さんによる、ある意味「突撃インタビュー」の模様が記されております。 そのシチュエーションは大変珍しいもので、当時の根自子さんの繁忙ぶりが偲ばれます。と、申しますかこれは貴重な演奏旅行の様子を捉え今に伝えるドキュメントと言ってもよいものと云えましょう。 場所は東京驛。 時間は午前7時前、 ぎりぎりで荷物を自ら抱えホームに上がってこられる・・・。 同行はお母様のみ。 なんとか汽車に滑り込むも2等客室は満席で座れないから、よっこいしょっとトランクのはしに腰かけられる。 5時に家を出るつもりが起床したのが5時(笑)^^ 曰く・・・ 「私お寝坊でしょ、早起きが一番苦手だわ」 しかも新宿で千葉行きに乗ってしまって秋葉原まで連れてゆかれて大失敗!遅い上に遠廻り…と^^; 聲をたてて笑いあう ・・・ バイオリンケースが2つ・・・WHY? 面白いエピソード。 ゴリ押し売りに来た名古屋の70過ぎのおじいさんの"あの"お騒がせなバイオリン、二十萬圓!(新聞にガセで二百萬圓と掲載されてしまい泥棒に入られ一度盗まれるが戻る。)もうこりごりなので途中名古屋でお返しする…との顛末。 幼少期のこととか、諏訪家のルール、東宝との契約、実質的マネージャーたるお母様のことなどなど4㌻に渡って好意的に、根自子さんのご表情とともに綴られております。 ・・・ 松田さんの 「私共、根自子さんの藝術を愛するものは、東寶の資本力から彼女がはなれる日を待つている。このような満員電車に乗って立ちん坊で、方々へ演奏旅行に連れ出して、徒に彼女をして疲れさせることを惜しむからである」 という締めの言葉が印象的。 …確かに、新幹線もない時代。会社のマネージャー/付き人さんもなく2等列車で・・・はかくも過酷な、しかも無防備にもあのバイオリンを素で自ら携えて…とは?でありますよね^^; (因みに最後の一枚は、前々年(昭和21年)の同じく大阪へと向かわれる移動時を捉えた1枚です) 取材は、東京〜大船間 列車内で執り行われた様です。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #松田ふみ子
雑誌 株式会社 音樂之友社 日本:その他nine_o_nine
-
音樂世界 1932(昭和7)年 第四巻第號(4月號)
4月9日のデビュー独奏會開催決定の記事が掲載されています。
雑誌 音樂世界社 敬文館 日本:その他nine_o_nine
-
音樂世界 1931(昭和6)年 第三巻第三號(3月號)
この昭和6年は天才少女「目白の根自子ちゃん」として1/26の朝日新聞にセンセーショナルに初めてメディアに取り上げられました。 此方は大変珍しい、恐らく最初の写真掲載雑誌(*この3年前の1928(昭和3)年に名前だけ、アンナ先生の御子息等と共に紹介されているものがあります)ではないでしょうか? 巻頭の"グラフセクション"=現代で言うところのグラビア的に1㌻堂々と掲載されております。
雑誌 音樂世界社 敬文館 日本:その他nine_o_nine
-
週刊新潮 1960(昭和35)年 3月28日 通巻 二百十五号(五巻 第十二号)
"さよならアンナさん -ソビエトに帰る老バイオリニスト"…と題された巻頭5ページの特集。 ご来日が大正7年。在日42年、教え子は千人をはるかに越えるそう・・・その代表格が巌本真理さんであり諏訪根自子さん(*その確固たる絆は戦前/渡欧前、紆余曲折あっても戦後も続いた。帰朝第一回公演時の終演前迄の楽屋に立ち入る事を許されたのは、母を除けばアンナ先生のみだった事もその信頼は揺るぎない事の証)。日本のヴァイオリン教育の母と称しても過言では無いでしょう?その功績は計り知れません・・・。 ロシア革命から時代に翻弄されたその人生。離婚されていたとは言え、その後も小野家との関係は続いていたが少し遡る嘗ての夫であった俊一氏の逝去も一つの区切りであり、且つ姉ワルワーラさんも病身であられた事もあり、かくして64歳のアンナ先生は北コーカサスのスフミ市に移られた。 ここを後年、尋ねられた日本の教え子(早稲田のロシア語講師として活躍されたその姉のワルワーラ=ブブノワ先生の)さんの手記が大変興味深いです。 https://core.ac.uk/download/pdf/144469047.pdf またこちらも大変興味深い事に小野洋子さんも、'07年 ビエンナーレでモスクワを訪れた際に脚を伸ばし叔母の足跡を辿られている。 https://russkiymir.ru/en/publications/303677/ 撮影:松崎国俊さん #諏訪根自子 #nejikosuwa #小野アンナ #annabubnova #小野洋子 #yokoono #週刊新潮
雑誌 新潮社 日本:古書店さんnine_o_nine
-
軌跡 大束 元の世界 1996(平成8)年
著名な報道写真家さん。『軌跡』と題されたこの写真集では戦前1933年からバブル期1989年迄、66年間に渡る様々な歴史の瞬間の撮影記録が収められており、その内の一枚がこの終戦翌年の根自子さんステージショットであります。タイトルはシンプルに…Violinist Nejiko Suwa(1946(昭和21)年 撮影) とあります。 幸いな事に、ネガ撮影原版(*冒頭の1枚)が公益社団法人日本写真家協会『日本写真保存センター』に保管されている。権利関係はどうなのか?その辺りには明るくないが金田さんの稀少な作品群を始めこう言った美しいプロ・ショットを是非一冊に纏めて戴ければ…と切望する次第であります。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #大束元
書籍 平凡社 日本:古書店さんnine_o_nine
-
諏訪根自子の芸術('13)
日本コロンビア:COCQ85013-4 現在、最も容易に入手可能でベーシックに聴く事の出来る初期SP盤音源のCD。 13枚26曲を2枚組でコンプリート収録。 付録として収録されています、金属原盤による音源が大変クリアーな音質(16曲)。 また同一曲を3台の蓄音機による聴き比べなんてマニアックな音源も収録。 まるで楽器の様な蓄音機でSP盤を聴く愉しみとは別に、簡単にCDで聴く事が出来るのは とてもありがたい事だと思います♪ https://www.youtube.com/watch?v=8QvJXoTWeB8 #諏訪根自子
CD 日本コロンビア 日本:Amazonnine_o_nine
-
諏訪根自子さん自署入りプログラム(戦後'53)
実はこちらのプログラム、直筆サイン入りという事で古書店さんより購入させて頂いたのでありますが、 判別が難しい!! 普通、時計用のキズミ位の拡大鏡で一目瞭然、充分判別可なのでありますが一抹の印刷か?な微妙さもあり・・・ 筆圧は感じられず、然し端の印刷ドットは見出せず経年故の擦(かす)れインクの光沢欠落にも見える。本当に微妙! …多分6:4くらいで直筆かとは思うのですが、確信に至っておりません。 さて? ★★★★は希望的観測も込めまして^^; #諏訪根自子 #nejikosuwa #autograph #サイン
サイン 日本:古書店さん 1953年nine_o_nine
-
諏訪根自子さんブロマイド(戦後'46)
ありがとうございます。ご来館・アクセス40,000記念展示、戦後間もない'46(昭和21)年 撮影の一枚、美しい銀塩寫眞です。 歸國特別演奏會のプログラムには既に掲載されております事からも以前掲載させて頂きましたものと併せ、東宝ご契約後にプロフィール/宣材や演奏会に向けての最初のフォトセッションだったのでしょう。 飴色に…セピアカラーに褪色した一枚は大変趣きに溢れており、前方を凛と見据えられた透明な瞳の美しさも格別です♪ 萩谷さんの書籍の表紙も飾っております。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #photograph
ブロマイド 日本:骨董品店さん 1946年nine_o_nine
-
諏訪根自子さんブロマイド (戦前'35)
戦前の個人の方(女学生さん)蒐集の当時のブロマイド・コレクションに入っていた一枚です。 有名な一枚ですが、余りクリアーではありません。然し90年近く降り積もった時間の為せる業でしょうか?セピア色に褪色してとても雰囲気がいいです♪ 何故でしょう?白縁は下辺のみと言う・・・。 年代は推測です。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #ブロマイド
ブロマイド 日本:骨董品店さん 1935年nine_o_nine