コレクション雑感
初版 2022/11/28 22:46
改訂 2022/12/04 10:52
コレクションがコレクションであるのはコレクションしている間だけだ。
集めるのをやめてしまったら、もうそれはコレクションでなくなってアーカイヴに移行する。
コレクションとは、つねに増減を繰り返しながらまるで生き物のように絶えず変化する集合体の謂なのである。
コレクションに必要なもの、それはもちろんお金と、それから置場だ。
置場というのは案外苦労する。
コレクションが嵩じて居場所を追い出されたコレクターも少なくない。
コレクションに一部屋を明け渡したなんていうのは、そういう趣味のない人から見たら狂気の沙汰だろう。
私は自分の集めているのが化石や鉱物なので、理想の置場は理科実験室か私設博物館だ。
しかしもちろんそんなものは実現すべくもない。
ではどうやっているかというと、標本箱をせっせと作って一個づつ書類ケースにしまっている。
いまのところ全部合わせても50個くらいなので、置場には困っていないが、この先どうなるかはわからない。
かつてはむきだしで棚に並べていたけれども、これがはなはだよろしくないことがわかってきた。
化石や鉱物は意外に湿度や埃の影響を受ける。
夏の高温多湿、冬の寒冷や乾燥、そういったものが影響して台無しになった標本がいくつかある。
ふだんはあまり気にもしないが、数年ぶりに手に取って眺めてみると、カビが生えたようになったり、もともとあったノイズが拡大したりしているのを発見して驚く。
もうこうなってはどうしたって元には戻らない。
標本箱と書類ケースとは、そういう苦い経験からやむなく採り入れた保管方法なので、ほんとうのことをいえば棚に飾りたいのだが、最近は喫煙の習慣がついてしまったのでそれも無理になった。
タバコの煙くらい標本に悪影響を与えるものもない。
というわけで、ディスプレイ派から収納派に移行してしまった。
もちろん収納には収納の楽しみもあるので、私はそれを葉巻のヒュミドールから会得した。
葉巻の入ったヒュミドールの箱を開けて眺める喜びを標本に応用したつもりなのだ。
そしていまのところこの保管方法にじゅうぶん満足している。