- keimiyachi Museum
- 21F 九谷焼赤絵 赤の部屋
- 須田青華 四神香合 九谷焼
須田青華 四神香合 九谷焼
須田青華 九谷焼
見事な赤絵細描で初代のものと思われる
動画
https://youtu.be/dj_ohVTIEwI
菁華窯 明治39年(1906)~現在
菁華窯は、明治39年(1906)、須田与三郎(初代 菁華)によって山代温泉後に開かれました。
初代 菁華は、明治16年(1883)から明治24年(1891)まで九谷陶器会社の画工部長を務めましたが、解散した後、独立して、自宅に錦窯を築き陶画業を始めました。その後、明治39年、自家専用の登り窯を築きました。この時点をもって、菁華窯の開窯時期とされています。
製品は、独立してから当初の間、主として茶陶の懐石食器が中心で、水指、茶碗、鉢、向付などがありました。自家専用の磁器窯を築いてからは、染付、祥瑞、安南、伊賀、古赤絵、萬暦、古九谷、古伊万里、鍋島等の倣古品を制作しました。
初代 菁華の工房で働いていた人は、素地工として松島宏明、薮下庄太郎、山本仙太郎などがいて、染付工もいたといわれます。
初代 須田菁華 文久2年(1862)生、昭和2年(1927)歿
初代 須田菁華は、金沢泉町に生まれ、名を与三郎といいました。
初代 菁華は、明治13年(1880)、石川県勧業場を卒業した後、3年間、京都で製陶の研究を行いました。京に滞在中、趣味の茶席へ足しげく通い、茶陶に対する関心を高め、茶陶の技能も身につけました。
明治16年(1883)、浅井一毫の後任として、九谷陶器会社の画工部長として迎えられ、明治24年(1891)まで勤めました。
自家専用の陶器窯を築いてからの作品には、倣古品が多くありましたが、それらが極めて優れたものであったので、明治陶界の名工と称されるようになりました。こうした評判を聞きつけて、大正4年(1915)、北大路魯山人が訪れ、魯山人との交友が始まりました。
The first Suda Seika, born in Bunkyu 2 (1862), 1927 (1927)
The first Suda Seika was born in Izumi-cho, Kanazawa, and was named Yosaburo.
The first Shoka conducted research on pottery in Kyoto for three years after graduating from the Ishikawa Prefectural Kogyojo in 1880. During my stay in Kyo, I visited the tea ceremony as a hobby, increased my interest in tea ceremony, and acquired the skills of tea ceremony.
In 1883 (Meiji 16), he was greeted as the director of the painting department of Kutani Pottery Company as a successor to Kazumasa Asai, and worked until 1891 (Meiji 24).
There were many imitation antiques in the works since the construction of the pottery kiln for private use, but since they were extremely excellent, they came to be called the master craftsmen of the Meiji pottery world. After hearing such a reputation, Rosanjin Kitaoji visited in 1915 and began to make friends with Rosanjin.
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