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ナショナル白黒テレビ(ロータリーチャンネル)フィギュア
懐かしいロータリーチャンネルテレビのミニフィギュアです。いわゆる、オッサン達が『チャンネルを回して!』と言う癖もここから始まりました!
そして僕が生まれた頃は 街頭テレビの時代ではなかったので、一応家に白黒テレビが有りました。しかしながら まだUHFの放送が無く チャンネルは1chから12chまでしか有りませんでした。
1968年(昭和43年)に放送が開始された時は最初からUHF(13ch〜62ch)のチャンネルが付いているわけで無く増設のUHFコンバーターを取り付けることで視聴が可能となるものでした。
我が家に初めてUHFコンバーターがやって来たのは放送開始から遅れること1年の昭和44年でした。そして初めてのUHF放送視聴が タイガーマスクでした。
ここで、もう一つの初めてとして 我が家のテレビリモコンもこの頃でした!と、言ってもリモコンは僕が作った物…え?と、思われることでしょう?!
僕は虫捕り網の棒の先に蒲鉾板を二枚"二"の字型に釘で取り付け、離れた場所(棒の長さ分の距離)からテレビのチャンネルを蒲鉾板で挟み いきよいよく棒を回すと言う 画期的な物でした!人間欲が出るもので、距離に不満を覚え 二本の棒を接続して倍の距離から操作しておりました。皆さんもお気付きの通り、力学的に直径約1㎝強の竹の棒で3m程先のチャンネルを回すのは結構な力が要るもので それでも意地になって回していました!笑
そしていよいよカラーテレビの時代に入ります。もう、世の中では昭和41年には既にカラー放送が開始されていましたが、我が家にカラーテレビがやって来たのは遅れる事7年遂に念願のカラー放送を見る日がやって来ました。
最初にカラーで視聴したのがジャンボーグAでした。カラフルな映像に釘付けになったものです。そして音声多重放送開始→→→4K 8Kテレビあっという間の半世紀でありました!
それにまさか僕がこの関係の仕事に将来 携わるとは子供の頃には夢にも思いませんでした。
あ〜〜平凡な終わり方やなぁ!皆さんすみませんm(_ _)m
bigmac
2018/11/17昭和あるあるですね!楽しい時間でした!(^^)!懐かしい番組。
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オマハルゲ
2018/11/17テレビには嫌な思い出があります。
我が家の最初のテレビは14インチでしたが、故障したので昭和44年頃だったと思いますが、買い換えました。
「どうだ! 大きいサイズで高級感ある木目調だぞ!」と、来たのは20インチではありますが「白黒」テレビ。当時は続々とカラーテレビに買い替える家庭が殆どで、近所では白黒はうちくらい。そこから壊れる昭和50年頃までそのテレビを見てました。
たまたま友達が遊びに来た時知られてしまい、「あ…」と、微妙な空気になりバツが悪かったです。
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8823hayabusa
2018/11/18そう、UHF視聴にはコンバーターが必需でした。ウルトラアイなくしてはセブンになれないモロボシダンみたいに(笑)
そして画面の前に行くは青い半透明のプラスチックの板が装着され、子供は必ず大人から「もっと離れて観なさい‼」と注意されたものです。
映りが悪く、手回しチャンネルのツマミをビミョ~に回すと良くなる。 なのでハガキを三つ折りにしたのを本体とツマミの隙間に挟むという荒業も(笑)
リモコンは三菱のテレビで、ちあきなおみが「タッチョンパ♪」(タッチ音波のもじり)をしたのが初めてだったと記憶しています。
それと、軽い局側の機械トラブルや、放送事故(生放送なんかは)が発生した時に出る、【しばらくこのままでお待ち下さい】のテロップと絵と音楽が懐かしくて、もう一度観たいです♪
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ひでパパ俺達!
2018/11/18あるある!ドンピシャ同世代、同じような経験してはりますねぇ!笑笑
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sat-2019
2020/05/02子供の頃、実家のテレビがサンヨーのズバコンのロータリーチャンネル式でした。
リモコンのボタンを押すと、ガチャンガチャンと音を立てながらダイヤルが回っていました。
リモコンは早々に弟に壊されてしまいましたが、テレビ本体は1980年代半ばまで現役でした。
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