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名もなき靴
量り売りのリサイクルショップに処分する洋服を出しにいった。 ブランド買いでは無いところなので、集まるものは普通のリサイクルショップでは買われない、ノンブランドに近い、場末な商品群だ。 計量中にふと靴の棚に目をやると死んだ靴に埋もれた、くたびれてはいるが明らかにオーラが違う靴が目に入ってきた。刻印は既に消えている。サイズは少し小さい。店先では検分できないし、値段も値段だったので自分の持ってきた洋服たちの引き取り額の5倍の値付けだったが引き取る事にした。 自宅に帰ってきて早速洗ってみると、クラックが入っているものの革そのものは悪く無い。経年劣化と洗った事による保湿不足に陥っていたので、デリケートクリームを塗布すると10秒足らずで乾く。もっとくれ!と革が語りかけているようだ。3回塗布したところで本来の革質に戻ってきた。1mmに満たない革厚のカーフ。掬い縫いも出し縫いも手縫い、ハンドソーンウエルテッド。しかも360度だ。アッパーの縫製も恐ろしい。眺めているだけで情報量の多さからお腹いっぱいだ。 例えばかかと裏の釘跡。ラスティングする際に革をラストに留めておくため、かかとを釘で固定する。スコッチグレインなどの靴でかかとに穴が開いているのは値札を下げるロックスピンを通すためではなく、しっかりラストに革を馴染ませるために穴が開いているのだ。こちらも穴は開いてはいるのだが外側からは穴が見られない。ちょうど縫い目の真ん中で、穴を誤魔化してるというわけでも無い。かかと上部の補強革のところを後から縫っているとするならば、内側に縫製の糸が見える筈だがそれも無い。どうやって表革に穴を見せないようにしているのが理解できないのだ。 履き口の処理の仕方も恐ろしい。一般的には表裏とも切りっぱなし、片側だけ折り返しして縫い込む方伏せ縫い。切りっぱなしの間にテープを挟むテープ取りがあるのだが、これは両伏せ縫い。しかも伏せた部分は厚みが出る筈なのにそれが無い。こんな薄い革を更に削って薄くしている。極めてドレッシーな仕上がり。他にも色々あるのだが、もはや靴作りを経験している人間でしかその凄さを理解できないので割愛する。こういった技術は日本も間違いなくあったのだ。1970年代、昭和40年代には海外商品の流入やレディメイドが主流になり、安くて簡単な物がどんどん重宝されていくと同時に廃れていった。 90年代に高級紳士靴ブームがあり、欧州・欧米のブランドが取り立たされて日本にはない仕様とか高級云々言っていたが、違うのだ。日本はうまく継承できなかったのだ。そしてこんなクオリティのものが当たり前のようにあったからその価値を理解できなかったのだ。全くもって惜しい。悔しい。この技術が継承できていたならば、日本の靴業界もまた違った方向性になっていたのではないかとすら思った。近年惜しまれつつ靴作りを終えた関氏並かそれ以上の職人がゴロゴロいたのだろう。 きっとこの靴は聞いて欲しかったんだろう、理解できる者に。この靴の背景を。 #外羽根 #プレーントゥ #ハンドソーン #日本製 #ヴィンテージ #革靴 #ビスポーク
革靴 名もなき靴、語りかけてくる靴 不明ながぬまようすけ
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Der Schumacher Schue シューマッハ ハーフブローグ UK7 外羽根
中欧オーストリアの靴修理屋さんが自身オリジナルのカスタムシューズ(バイオーダー)を手掛けたのがこちら。ドイツ的なフォアフットの立ち上がりや堅実なグッドイヤーウエルテッドで、オンオフに合わせやすいハーフブローグ。外羽根式なので足入れも良い。ブラックのストレートチップやプレーントゥをお持ちの方でしたらセカンドシューズとしても最適です。確か€399〜499程度だったと記憶します。インソックも箔押しではなく、刺繍ネーム縫い付けというのも良い意味で垢抜けなてなく、素朴な感じが良いです。 #DerSchumacher #シューマッハ #革靴 #ハーフブローグ #ビジネスシューズ
革靴 中欧の普通の靴 Der Schumacherながぬまようすけ
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JOHN LOBB Paris Bespoke Unlined Driving shoes ジョンロブ ビスポーク
シューズフリークの間では常識とも言える、2つのJohn Lobb。 一方はイギリス・ロンドンでロイヤルワラントを賜りながらトラディショナルなビスポークシューズを作り続けるシューズ&ブーツメイカー、通称ロブロンドン。 もう一方は、ロブロンドンのパリ支店がエルメスの傘下に入り、Ready To Wearを独自に生産。高級紳士靴の地位を不動のものとしたロブパリである。ロブパリもより上質なもの、優れたものを求める顧客のためにプレステージライン、イヤーモデル、バイリクエストと応えてきたが、それ以上を求める顧客のためにビスポークを行っている。受注価格は日本円で100万円を超える。値段は関係ない、富裕層にのみ許された(靴1足に究極にお金を注ぎ込めるヲタを除く)特別なオーダーサービスだ。ロブパリビスポークである。 ロブパリビスポークは通算3足目。イタリアガット時代のもの、分解して自らオールソールしたものなど、今手元に残っていないのが残念だが、これはアンライニングのドライビングシューズとも言える軽やかなローファーだ。 一見、薄いソールとアッパーデザインからイタリアの名門(2011年に廃業したが。)タニノクリスチーにも見えるが、ソールの付け方が異なる。タニノクリスチーはマッケイ製法だが、こちらはハンドソーン、ウエルトなしでアウトソールを縫い、アッパーから出るウエルトの出っ張りを嫌った技法、機械式のマッケイに逃げないクラフトマンシップあふれる仕様だ。※マッケイが悪いわけではない。そもそも日本人はグッドイヤーウエルト崇拝色が強いが、足を使った運動、テニスや柔道などを経験された方は足に筋肉が付いているのでボールジョイントの屈折率がよいマッケイ製法の方が足にあったりする。 アッパーに目をやると一見、バックル付きの平凡な合わせモカのように見えるが、サドルとベルト以外の全体の革は1枚皮でアンライニングの踵内側で合わせている。ヒール芯はなく上から特徴的なレザーを当てているのだ。雑に言うとローファーのホールカット。上質な革を贅沢に使っているからこそ出来る技法だ。パターンを考えただけで勿体ない!と思えるほど贅沢に使っている事が目に浮かぶ。カーフはキップやブルのような要尺は取れない、子牛だから当然だ。そういった革を必要な部位だけ使っているのである。触った感触は手持ちのHermes(エルメス)ベアン、ボックスカーフとそっくりだ。アンライニングは芯地を入れる空きはまったくないのでハリ・コシのない革だと形を維持出来ない。これは履いていようがいまいが、しっかりと形を維持している。設計の良さと良い革の本質を理解出来ているからこそ出来る奇跡。 バックルも華奢ではあるが真鍮の色のせいなのか、決して安いもには見えない。シンプルな黒のキャンバスにキラリと光る黄金色は良いアクセントだ。これ見よがしのJohn Lobbの刻印がないところも良い。 毎年のイヤーモデルでも舌を巻くのに、ビスポークとなると悶絶である。やはりロブパリは別格。 富裕層はそんな事気にもせず、履いているのだろう。 #JohnLobb #JohnLobbParis #JohnLobbParisBespoke #ロブパリ #ジョンロブ #革靴 #ビスポーク #ロブパリビスポーク #ドライビングシューズ #ローファー
革靴 john lobb John Lobbながぬまようすけ
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ORIO BESPOKE SEMI BROGUE DERBY オリオ ビスポーク
イタリアはミラノにあったビスポークシューメイカー”Orio”。 現在は高級ブランドが軒を並べる通りにあったようなので一流の方を相手にされていたかと思います。 既に無いブランドではありますが、ガットのようなセミスクエアトゥできれいなハンドソーンウエルテッド。 まさにビスポークという風格です。 #orio #bespoke #vintage #ハンドソーンウエルテッド #ビスポーク #ミラノ #セミスクエアトゥ #革靴
革靴 ORIO ORIOながぬまようすけ
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MANFIELD & SON マンフィールドアンドサン 内羽根 セミブローグ ブーツ
イギリスはノーサンプトンにかつてあったMANFIELD & SON マンフィールドアンドサンのブーツ。70~80年は経ていると思われる1足です。当時はブーツが黒死病(ペスト)から身を守れると思われていたため筒の長いブーツが主流でした。流麗なシルエットに1mmもない幅間でのステッチワークなど当時の職人技術の高さがうかがいしれます。ソールはヒドゥンチャネルソール、インソールに少し凹凸があったのでハンドソーンウエルテッドかもしれません。 #ブーツ #MANFIELDANDSON #ノーサンプトン #vintage #goodyear #グッドイヤーウエルト #革靴 #boots
革靴 MANFIELD & SON MANFIELD AND SONながぬまようすけ
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Friedrich Nagy Bespoke フリードリヒナギー ビスポーク
世界靴読本で有名になったNikolaus Tuczek(ニコラス・トゥーシェック ※タックゼック、トゥーシェク、テューチェックとも)。イギリスのヴィンテージビスポークシューズ界隈ではAnthony Cleverley(アンソニー クレバリー、本人ビスポークの方ね)と並び、否、それ以上に希少価値の高い(とされる)ビスポーク靴です。マニアな世界ではよく知られたシューズ。 一方中欧で、ほぼ同時期に素晴らしいビスポークシューメイカーが居た事をご存じだろうか? Friedrich Nagy(フリードリヒ・ナギー) 歴史を振り返ると 1918年 第一次世界大戦の敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国解体、第一共和国になる 1927年 オーストリアはウィーン・ミヒャエル広場につながるハプスブルガーガッセ通り(現在モンブランやロンシャンのある通り)で工房”Béla Nagy(ベラ・ナギー)”を開店。 1938年 ナチス・ドイツによるオーストリア併合。アンシュルツに。 1945年 敗戦。連合国による分割占領。 1955年 独立回復。永世中立国となる。 1960年代後半に引退。 引退する時にかのGeorg Materna(ゲオルグ・マテルナ)に顧客を引き継ぎました。Materna(マテルナ)氏、”Béla Nagy(ベラ・ナギー)”で働いていたのです。ナギー氏はマテルナ親方の親方という事になります。王宮の傍に店を構えていた事を考えると顧客はやんごとなき方々だったと思われます。また、20世紀オーストリアの建築家Adolf Loos(アドルフ・ロース)の書籍の中でのNagyシューズ/ブーツの優れた品質について書いたとの事。(未見です。)「装飾は罪悪である」という彼の主張から推察するにシンプルで堅牢であった彼の靴は気難しい建築家が好きになるモノであったと思われます。 #Nagy #shoes #bespoke #革靴 #ハンドソーンウエルテッド #vintage #革靴
革靴 Friedrich Nagy Friedrich Nagyながぬまようすけ