駿海(駿河海)

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駿河海 光夫(するがうみ みつお、1920年1月1日 - 2010年11月24日)は、静岡県静岡市(現:静岡県静岡市駿河区)出身の元大相撲力士、元プロレスラー。本名は杉山 光男(すぎやま みつお)。

1939年5月場所から四股名を「駿河海」と改名して順調に出世し、新十両となった1942年1月場所で13勝2敗の好成績で十両優勝を果たすと、同年5月場所でも14勝1敗の好成績で十両優勝を果たし、1943年1月場所で新入幕を果たした。十両時代は東富士欽壹・汐ノ海運右エ門と共に将来を大いに嘱望されていた。この頃から汐ノ海が赤鬼と呼ばれていたのに対して、駿河海は「青鬼」と称された。1945年11月場所を最後に廃業した。

大相撲を廃業した駿河海は、自身が経営する小料理屋で細々と生活していた。力道山は真面目で人格者、さらに人脈が広い駿河海を非常に気に入っており、日本プロレスへ誘う。やがて力道山の熱意に根負けした駿河海は、地盤が固まるまでという条件付きでプロレスへ転向した。1956年の重量別日本選手権大会に出場すると初代日本ジュニア・ヘビー級王者に輝いた。しかし、力道山との権力闘争が勃発するとプロレス界に嫌気が差し、東富士と共にプロレス界を引退した。

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