鉄道の遺跡を発掘せよ!2 H萩駅で半世紀前のやくもを見れるか!? その2
公開日:2018/9/13
前回のあらすじ

H萩駅付近に仕事に来ていた私は、5年前に鉄道仲間との雑談にて、H萩駅ホームに半世紀の時を得ても今なお眠り続ける準急時代の 初代 やくも が あると聞いた私はそれを拝むべく仕事を切り上げH萩駅へ向かった。入場券を買い、ホームへ発掘調査に入って行った・・・
ホームに入った私はさっそく調査に向かいます。

ホームに入ると瑞風が停車する駅だけあってホーム中は瑞風いらっしゃいムード。


瑞風の乗車位置案内があります、また当駅始発である〇〇のはなしの乗車位置案内があります。

しかし私が調査するのは、こんな新しい乗車位置案内ではなぁぁぁいので、キーワードの島式ホームに向かいます。島式ホームはこの駅の2・3番ホームとなりますので、跨線橋を跨いで向かいます。 3番ホームから足元をジックリ見てみます。 うーむないですねえ。

一瞬コレか!と思いましたがどうやら、ホームに埋め込まれた、ただの石のようです。
また謎の×マークもあります。

(この✖︎のマークは何ぞ?)
少しガッカリ気味な私は毎度お馴染みホーム調査でホームの端に行きます。3番ホームを見て回りましたが、なさそうなので島式ホーム隣の2番線を見渡しました。

(赤丸で囲んでみました。)
すると・・・ なにやら丸い円が所々あるでは、ありませんか!!もしや・・・と思って近づいて見ると・・・

なんとっ!やくもを発見しました。彼の言っていたことは正しかったようです。
おそらく当ミュージアムで公開している乗車位置案内の中では最古のものではないのでしょうか。 しかも、この やくも至るところにあります。
ここにも やくも (目をかすめると いくら
に見える不思議なマジック)

やくも の や だけ

瀕死のやくも

や も →YELLOW MAGIC ORCHESTRA !?(嘘)

多分、やくも?

こんなに やくも の乗車位置案内が分散しており、一体、やくも は初代準急やくもは何両だったのか?調べてみましたところ、1964年最後の準急 やくも編成を見るとキハ55準急型気動車で最大6両編成になっています。6両編成だったので、これだけ乗車位置案内があるのも納得です。
半世紀以上前のものが現在まで残されているのには、毎度のことながら、かなり奥が深いと思います。ぜひともコレは個人的に鉄道記念物に入れたいっと思ってた矢先、やくも意外にも、また発見いたしました。

なにやら、ま と書いてあります。下には つ と書いてあるような・・・まつ、まつ・・・まつか・・まつかぜだ!!まさかの、まつかぜを発掘しました。
これはもちろん、現在のスーパーではなく、(そもそも、こちら側の運用に入らない) ここで、お馴染みになっている出島書きをしてみました。

特急 まつかぜ
昭和36年に登場。大阪〜博多を 東海道本線・福知山線・山陰本線・山陽本線・鹿児島本線経由で結んだ特急列車。最初はキハ82だったが、昭和60年にキハ181に変わる。同時に米子〜大阪に短縮された。 しかし福知山線および山陰本線城崎電化の完成とともに昭和61年ダイヤ改正で電車特急「北近畿」に置き換えられ、消滅した。
この駅にあるのは大阪〜博多を結んでいた時代のものです。さらに、まつの横にも何やら文字が書いてありますが、字が壊れすぎて解読不可。うーん悔しい。K倉駅編やM島口編では、解読できるものも、ありましたが、コレは難しすぎるー。鑑識官でも呼んで来なければ分からない?くらい読めないため、私では不可能でした(チーン) さて、この乗車位置案内発掘調査はまだ続きます。
ーーつづくーー
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