ガス・ニアルホス 1953年ロパットオールスターズ サインボール

0

Constantine Gregory "Gus" Niarhos

1920年12月6日アラバマ州バーミンガム産まれ

2004年12月29日(84歳)バージニア州ハリソンバーグ死去

右投右打 捕手

MLBデビュー
1946年6月9日、ニューヨークヤンキース

最終出場
1955年9月9日、フィラデルフィアフィリーズ

生涯成績 打率.252 HR1 打点59

所属チーム
ニューヨーク・ヤンキース(1946・1948-1950)
シカゴホワイトソックス(1950–1951)
ボストンレッドソックス(1952–1953)
フィラデルフィアフィリーズ(1954–1955)

ワールドシリーズチャンピオン1回(1949年)

第二次大戦終結後、12月に海軍を退役したニアルホスは、1946年にヤンキース傘下のカンザスシティー・ブルースに戻る。

同年9月22日にデビューし、後に殿堂入りするヨギ・ベラよりも約4ヶ月早く、1946年6月9日に代走としてメジャーリーグデビュー。

1948年には83試合に出場し、49年には開幕メンバーとしてヤンキースの第一捕手となるが、シーズン中にヨギ・ベラにその座を奪われ、同年のワールドシリーズでは、第2戦の9回僅か1イニングの出場に留まった。

1955年のフィリーズを最後に、その後3年間マイナーリーグでプレーした後に引退。

引退後、1962年から1964年半まではカンザスシティアスレチックスのコーチとして活躍。

その後、マイナーリーグのマネージャーとして、バーリントンビーズを65年のミッドウェストリーグチャンピオンシップに導き、次にモデストレッズを66年のカリフォルニアリーグチャンピオンシップに導く。

アスレチックスのマイナーリーグシステムのマネージャーとして、レジージャクソン、ビダブルー、ローリーフィンガーズ、トニーラルーサ、ジーンテナス、キャットフィッシュハンターなどの将来のスターを指導した。

その後は、故郷であるバーミンガムに戻り、バーミンガムAを管理した。

1953年来日チームの団長であるロパットとは、ヤンキースで同僚であるが、ロパットは、単にスタープレーヤーを集めただけではなく、将来の監督、コーチ等の指導者候補としてニアルホスに来日参加を呼び掛けたことがうかがえる。

Default