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2020年 楽天ゴールデンイーグルス 実使用球
2020年9月4日楽天対オリックス戦の実使用球となります。 この日は、株式会社フローラ協賛による天然植物活力液HB-101ナイターが開催され試合球には、HB-101と商品名がプリントされました。
プロ野球公式球 ミズノ 楽天ゴールデンイーグルスauthentic-baseball-collection
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2020年 横浜DeNAベイスターズ 実使用球
2020年9月19日横浜対巨人戦の実使用球となります。 この試合では、横浜のソトが3回裏に球団史上最速となる出場321試合目での100号ホームランを達成しました。 こちらのボールは、一回裏の打席でソトが三塁側へ放ったファールボールとなります。
プロ野球公式球 ミズノ 横浜DeNAベイスターズauthentic-baseball-collection
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田中浩康 横浜DeNAベイスターズ 『GET THE FLAG! SERIES 2018』選手直筆サイン&メッセージ入り写真
田中浩康選手の『GET THE FLAG! SERIES 2018』選手直筆サイン&メッセージ入り写真となります。 横浜ベイスターズが、日本一に輝いた1998年シーズンのスローガンを冠したスペシャルイベント『GET THE FLAG!SERIES 2018』の開催に先立ち、復刻ユニフォーム姿の選手たちが映し出された広告が、横浜駅・横浜スタジアム最寄り駅で、6月12日(火)~7月1日(日)まで掲出中されました。 その企画の一環として、復刻ユニフォーム姿の選手の直筆サイン入り写真が、ピールオフ広告として登場し配布されました。
サイン入り写真 横浜DeNAベイスターズauthentic-baseball-collection
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湯浅禎夫 毎日オリオンズ総監督 サイン入りブロマイド
湯浅禎夫毎日オリオンズ総監督のサイン入りブロマイドとなります。
サイン入りブロマイド 毎日オリオンズauthentic-baseball-collection
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若林忠志 毎日オリオンズ 雑誌切り抜きサイン
若林忠志選手のサイン入り雑誌切り抜き(毎日オリオンズ時代)となります。
雑誌切り抜き 毎日オリオンズauthentic-baseball-collection
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中島治康 大洋ホエールズ時代1951年 雑誌切り抜きサイン
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%B2%BB%E5%BA%B7
雑誌切り抜き 大洋ホエールズauthentic-baseball-collection
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三原脩 サイン色紙
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金田正一 サイン色紙
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小西得郎 サイン色紙
小西得郎氏のサイン色紙となります。 選手としては、大正7年(1918年)に明治大学野球部の第7代キャプテンとして現在の東京六大学野球(当時は、早慶明法の四大学)リーグで活躍。 その後、昭和2年(1927年)には第一回都市対抗野球大会の(開幕戦)審判を務める。 昭和11年(1936年)に職業野球が始まると戦前は大東京~ライオン~名古屋軍、戦後は松竹ロビンスや大洋ホエールズの監督を歴任。 1955年からは、NHK野球中継の解説者を務め、その独特かつ分かりやすくも粋で軽快な口調から人気を博した。 色紙にある「なんと申しましょうか」は、小西が解説の際、出だしとしてよく発していたフレーズである。 映像のないラジオ中継のため、わかりやすく親しみを持てる言葉で大衆に野球を伝えた。 例えば当時の大投手南海杉浦のカーブを小西が形容すると「杉浦君のカーブは都電が人形町の角をキュキュと曲がって行くようです」などと表現していた。 プロ野球90年のみならず日本の野球150年の歴史を語る上で、忘れてはならない最重要人物の1人である。 ちなみに松竹のセ・リーグ優勝時に選手一同から胴上げを受けており、これがプロ野球における胴上げの発祥とされている。 小西得郎詳細リンク↓ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E5%BE%97%E9%83%8E
サイン色紙 ライオン軍 名古屋軍authentic-baseball-collection
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ロバート グランビル レモン (ボブ レモン)1953年 ロパットオールスターズ サインボール
Robert Granville Lemon 1920年9月22日カリフォルニア州 サンバーナーディーノ生まれ 2000年1月11日カリフォルニア州 ロング・ビーチ死去(79歳) クリーブランド・インディアンス (1941-1942, 1946-1958) 右投左打 投手 MLBデビュー1941年9月9日クリーブランド・インディアンス 最終出場1958年7月1日クリーブランド・インディアンス 207勝128敗 防御率.323 監督・コーチ歴 クリーブランド・インディアンス (1960) カンザスシティ・ロイヤルズ (1970-1972) ニューヨーク・ヤンキース (1976) シカゴ・ホワイトソックス (1977-1978) ニューヨーク・ヤンキース (1978-1979,1981-1982) 1940年代から1950年代にかけてクリーブランド・インディアンス一筋で活躍し、シンカーを武器に通算207勝を挙げた。 1938年クリーブランド・インディアンスと契約。1941年9月9日の対フィラデルフィア・アスレチックス戦で、三塁手としてメジャーデビュー。41年~42年の2年間は、すべて三塁手または代打としての起用。 再昇格した1946年に、投手として初登板。1947年より投手に専念するが、打力も優秀なため、代打として起用されることも多かった。1948年は6月30日対デトロイト・タイガース戦でノーヒットノーランを達成。 チームのワールドシリーズ制覇に貢献。以後、シーズン20勝以上を7回記録し、ア・リーグ最多勝利を3回受賞。1950年には自己最多の23勝を挙げ、ボブ・フェラー、アーリー・ウィン、マイク・ガルシアと共に「四本柱」を形成。 1954年には再び自己最多タイの23勝を挙げ、チームのワールドシリーズ進出に貢献。 1956年には通算200勝を達成、達成試合では自ら本塁打を放つ。200勝達成試合での本塁打はメジャーリーグ史上初。0勝に終わった1958年限りで現役を引退。 引退後は、1960年インディアンス投手コーチ。その後は複数球団でマイナーリーグで監督を務める。1966年エンゼルス傘下のAAA級シアトル・エンゼルスにてパシフィック・コースト・リーグ優勝。 1970年シーズン途中にカンザスシティ・ロイヤルズの監督に就任。1971年最優秀監督賞を受賞。その後1972年限りでロイヤルズを退任。 1976年アメリカ野球殿堂入り。 同年ニューヨーク・ヤンキースの投手コーチに就任し、ビリー・マーチン監督下で、ワールドシリーズ進出に貢献。翌77年は、シカゴ・ホワイトソックスの監督に就任。1978年、6月30日解任。 しかし翌7月24日、ニューヨークヤンキース、マーチン監督の後任として、ヤンキース監督に就任。その後チームは快進撃を続け、ワールドシリーズにてロサンゼルス・ドジャースを倒して、ワールドチャンピオンに輝く。 翌1979年途中解任。後任としてマーチン監督が復帰。1981年途中、ジーン・マイケルの監督解任の後を受けて再度ヤンキースの監督に就任。1982年に開幕からわずか14試合(6勝8敗)で解任。 1998年に古巣インディアンスはレモンの背番号21を永久欠番に指定。 ノーヒットノーラン1回 (1948年6月30日、対デトロイト・タイガース戦) 最多勝利3回 (1950年、1954年、1955年) 最多奪三振1回 (1950年) オールスターゲーム7回 (1948年-1954年) 最優秀監督賞:1回 (1971年) クリーブランドインディアンズ永久欠番21 アメリカ野球殿堂選出(1976年)
サインボール 1953年authentic-baseball-collection
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岩村明憲 ヤクルトスワローズ 実使用バット
岩村明憲選手の2002年~2003年実使用バットとなります。2002年からNPBでは着色バットの使用が解禁され、バットを赤にした岩村選手ですが、2004年からはNIKEとバット契約を交わしたためZETTの赤バットは2002年~03年の2年間のみの使用となります。
実使用バット ZETT 実使用バットauthentic-baseball-collection
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福地寿樹 広島東洋カープ/西武ライオンズ 実使用バット
福地寿樹選手が2005年~2006年に使用したバットとなります。グリップエンドの刻印は、C44ですがその下に西武在籍時の背番号53がマジックで書かれています。 2008年/2009年盗塁王
実使用バット ザナックス 実使用バットauthentic-baseball-collection
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武上四郎 ヤクルトスワローズ 実使用バット
武上四郎選手が使用したバットとなります。 バットのグリップエンドには、スワローズを表すSと背番号の2が刻印されています。 まだNPB公認マークの無かった1970年代の貴重なバットとなります。
実使用バット ミツワタイガー バットauthentic-baseball-collection
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ガス・ニアルホス 1953年ロパットオールスターズ サインボール
Constantine Gregory "Gus" Niarhos 1920年12月6日アラバマ州バーミンガム産まれ 2004年12月29日(84歳)バージニア州ハリソンバーグ死去 右投右打 捕手 MLBデビュー 1946年6月9日、ニューヨークヤンキース 最終出場 1955年9月9日、フィラデルフィアフィリーズ 生涯成績 打率.252 HR1 打点59 所属チーム ニューヨーク・ヤンキース(1946・1948-1950) シカゴホワイトソックス(1950–1951) ボストンレッドソックス(1952–1953) フィラデルフィアフィリーズ(1954–1955) ワールドシリーズチャンピオン1回(1949年) 第二次大戦終結後、12月に海軍を退役したニアルホスは、1946年にヤンキース傘下のカンザスシティー・ブルースに戻る。 同年9月22日にデビューし、後に殿堂入りするヨギ・ベラよりも約4ヶ月早く、1946年6月9日に代走としてメジャーリーグデビュー。 1948年には83試合に出場し、49年には開幕メンバーとしてヤンキースの第一捕手となるが、シーズン中にヨギ・ベラにその座を奪われ、同年のワールドシリーズでは、第2戦の9回僅か1イニングの出場に留まった。 1955年のフィリーズを最後に、その後3年間マイナーリーグでプレーした後に引退。 引退後、1962年から1964年半まではカンザスシティアスレチックスのコーチとして活躍。 その後、マイナーリーグのマネージャーとして、バーリントンビーズを65年のミッドウェストリーグチャンピオンシップに導き、次にモデストレッズを66年のカリフォルニアリーグチャンピオンシップに導く。 アスレチックスのマイナーリーグシステムのマネージャーとして、レジージャクソン、ビダブルー、ローリーフィンガーズ、トニーラルーサ、ジーンテナス、キャットフィッシュハンターなどの将来のスターを指導した。 その後は、故郷であるバーミンガムに戻り、バーミンガムAを管理した。 1953年来日チームの団長であるロパットとは、ヤンキースで同僚であるが、ロパットは、単にスタープレーヤーを集めただけではなく、将来の監督、コーチ等の指導者候補としてニアルホスに来日参加を呼び掛けたことがうかがえる。
サインボール 1953年authentic-baseball-collection
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Donruss Signature Significant Signatures Nolan Ryan
1998年にリリースされたBaseball Card Donruss Signature シリーズのNolan Ryan Significant Signatureとなります。
Baseball Card Donruss Texas Rangersauthentic-baseball-collection