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2000 15TH PMA BENETTON PLAYLIFE B200 A.WURZ
アレキサンダー・ブルツ 自身最後のベネトン BENETTON B200 2000年ブルツはベネトンレギュラー3年目 チームメイトは3年連続G・フィジケラ フィジケラが前半8戦で 2位1回 3位2回など5度の入賞の中 ブルツは前半戦まさかのノーポイント 後半戦はフィジケラも失速しノーポイント ブルツはR14イタリアGPで ようやく5位でシーズン初ポイントを獲得も 入賞はこの1度限りとなった ブルツはこの年限りでベネトンを離れ 翌2001年はマクラーレンのテストドライバー 後2005年に同チームで代役でスポット参戦 モデルはミニチャンプス GP仕様無しのRACE CAR MILD SEVENEのブルーがベース タバコ禁止GPではチーム名の BENETTONがエンジンカバー等に貼られた
240227 A.WURZ 2000 12FW12C
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1978 9TH QUARTZO FERRARI 312 T3 G.VILLENEUVE〖🏆1〗(USA WEST GP)
ジル・ヴィルヌーブ フル参戦初年度 アメリカ WEST GP トップ快走も・・ 1978年 フェラーリフル参戦初年度の ジル・ヴィルヌーブは 開幕戦決勝でFLの走りを見せるも8位 その後 2戦連続リタイアで迎えた R4アメリカ WEST GP ロングビーチ 予選は初となるフロントロー(2位)獲得 決勝は1勝目からトップに立ち 自身初のリードラップを記録 ヴィルヌーブのキャリアリードラップは534周 その後1度もトップをゆずることなく 初ポイント獲得が初優勝も見え始めた39/80周目 周回遅れでJ・P・ジャブイユ(ルノー)と バトルを繰り広げていた クレイ・レガッツォーニ(シャドウ)を抜く際に ヴィルヌーブ右前輪がレガッツォーニ左リアに ぶつかりウォールに飛ばされリタイア ヴィルヌーブの初P・初優勝は消え このGPの勝者はチームメイトの カルロス・ロイテマンとなった この後R6ベルギー4位で初ポイント 最終戦のR16カナダGPで初優勝を飾る モデルはQUARTZO R4アメリアWEST GP仕様 予選2位→決勝リタイア フェラーリ312T3はリアウイングの 形状がGPごとに大きく異なり 初優勝したカナダGP仕様とは逆の M字型のフラップとなっている https://muuseo.com/FW12C/items/1392?theme_id=41104
240212 G.VILLENEUVE 1978 1回FW12C
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1982 (33RD) SPARK LOTUS 91 G.LEES
日本助っ人ドライバーパイオニア ジェフ・リース F1ラストLOTUS 91 ジェフ・リースは1980年数チームでF1に エントリーしたものの8戦中決勝は2回のみ 1981年はヨーロッパF2にステップダウンも 3勝をあげてシリーズチャンピオン 1982年はR8カナダGPにエンサインより スポット参戦予選25位→決勝リタイア 同年R11フランスGP 欠場したナイジェル・マンセルの代役で ロータスより出場 予選24位→決勝12位完走 これがF1でのラストレースとなった その後日本に渡り 1983年全日本F2 チーム イクサワで 8戦中4勝をあげてシリーズチャンピオン 1978~1986年開催した同シリーズで 唯一の外国人のチャンピオン 日本のモータースポーツにおける 外国人助っ人のパイオニア的存在で 1987年はF1 HONDAエンジンの テストドライバーも務めた モデルはスパーク R11フランスGP仕様 予選24位→決勝12位 タバコブランドJPSデカール加工 リースの1戦限りのロータス91 🏁ジェフ・リース (イギリス) 【決勝出走数】 5回(入賞0回 予選落7回) 【予選最高位】 16位 1979年 TYRRELL R10ドイツ 【決勝最高位】 7位 1979年 TYRRELL R10ドイツ https://muuseo.com/FW12C/items/697
240210 G.LEES 1982 12FW12C
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1959 【WORLD CHAMPION】QUARTZO COPPER CLIMAX T51 J.BRABHAM〖🏆2〗
🔲🔲🔲1959🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 COPPER CLIMAX T51 🟩🟩J.BRABHAM🟩🟩 🔲🔲🔲全9戦🔲🔲🔲 【出走】8回【PP】1回 【優勝】2回【FL】1回 ジャック・ブラバム オセアニア地域初のチャンピオン 1959年名車クーパーT51を投入 開幕戦モナコGPで ジャック・ブラバムが初勝利 ファステストラップも記録 ブラバムの通算勝利14回 PP13回 R3オランダGP2位 R4フランスGP3位 R5イギリスGPで2勝目 最終のアメリカGPではガス欠で止まるも 最後はマシンを押しながら4位でゴール オセアニア地域初 クーパーとしても初の ワールドチャンピオンに輝いた モデルはQUARTZO 2勝目をあげたR5イギリスGP仕様 予選では自身初となるPP獲得 ブラバムの通算PPは13回
240204 J.BRABHAM 1959 1回FW12C
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1963 13TH SPARK BRM LOTUS 24 J.HALL
シャパラル・カーズ創設者ジム・ホール F1唯一のフル参戦 BRM LOTUS 24 ジム・ホール アメリカ出身 石油探掘業を営む裕福な家庭に育ち 両親をで亡くしたのち遺産を引き継ぎ スポーツカーを購入してレース活動開始 1960年~1962年はプライベーターで 地元アメリカGPのみスポット参戦 1963年はBRMでロータスのマシンを使用 R5イギリスGP 予選13位→決勝6位 R6ドイツGP 予選16位→決勝5位 シーズン2度の入賞 後半は7戦連続完走 ホールのF1はこの年限り その後ホールはシャパラル・カーズを設立 1960年代に実験的で強力なレースカーを開発 アメリカのUSロードレーシング選手権(USRRC) カナダ-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am) ヨーロッパのスポーツカー世界選手権で活躍 1970年代末からCARTに挑戦しインディ500も制覇 モデルはSPARK 開幕戦モナコGP使用 ホールは予選13位→決勝リタイア クリームグリーンのカラーリングのマシン このGPはエントリー17台中 7台がLOTUSのマシンを使用している
231101 J.HALL 1963 12FW12C
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1980 7TH PMA LOTUS FORD 81 E.DE.ANGELIS
アンジェリス ロータスシート獲得 自身初の表彰台LOTUS FORD 81 1980年アンジェリスは前年末のロータスの テスト走行にてN・マンセル E・チーバーなど シート争に勝ちロータスのシートを手に入れる チームメイトはマリオ・アンドレッティ モデル仕様のR2ブラジルGP 予選7位より決勝2位表彰台獲得 当時は弱冠21歳 アンジェリスの生涯表彰台回数は9回 その後ロータスのマシンの不振もあり 中盤戦は苦戦 後半戦で4位2回 6位1回 年間で4度の入賞で年間8位 チームメイトのマリオは入賞1回と大不振 翌1981年マリオはアルファロメオに移籍 アンジェリスは1985年までの6年間 チームロータスのエースとして君臨する
230602 E.DE.ANGELIS 12 1/43FW12C
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1998 16TH PMA PROST PEUGEOT AP01 J.TRULLI
ヤルノ・トゥルーリ チーム最下位脱失 貴重な1ポイント PROST PEUGEOT AP01 1998年ヤルノ・トゥルーリは 前年度途中加入のプロストから レギュラードライバ―でフル参戦 チームメイトはオリビエ・パニス 無限→プジョーエンジンにスイッチするも 苦戦を強いられたチーム・プロスト 前半終了時点で両ドライバ―とも 決勝最高9位でコンストラクター最下位 R13ベルギーGP トゥルーリ予選13位 決勝は雨の混戦で上位陣がリタイヤの中 何とか生き残り6位入賞 貴重1ポイントはノーポイントの ティレル ミナルディを抜いて コンストラクター9位に浮上 トゥルーリ自身もこの1ポイントが 後にデビューから13年連続入賞を継続する 1998年唯一のポイントでもあった 翌1999年もプロストに残留し 自身初の表彰台を手に入れる
230430 J.TRULLI 12 1/43FW12C
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1966 7TH SPARK BRM P261 J.STEWART 〖🏆1〗
フライング・スコット ジャッキー モナコGP初勝利 BRM P261 1966年ジャッキー・スチュワートは BRMでの2年目のシーズン チームメイトはG・ヒルなど モデル仕様の開幕戦モナコGP 予選3位から2位に40秒の差をつけて優勝 自身初のモナコ制覇(通算モナコ3勝) G・ヒルのモナコ4連覇を阻止した形 このGPは100周で争われ 完走はエントリー16台中僅かの4台 完走4台中3台がBRMのマシンだった この後ジャッキーは4位・5位の入賞のみ チームは新型エンジンH型16気筒の開発を 進めるも水平対向8気筒を2段重ねという F1史上類を見ないレイアウトで 重量過多・高重心が仇となり苦戦 年間順位は前年度新人ながら 3位 34ポイント→7位 14ポイントと 大きく成績を落としてしまう 翌1967年ジャッキーは残留するも グラハム・ヒルはチームを離脱 BRMも3年間未勝利の低迷期に入る #F1-1966年
J.STEWART 12 1/43 BRMFW12C
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1978 9TH QUARTZO FERRARI 312 T3 G.VILLENEUVE〖🏆1〗(CANADIAN GP)
ジル・ビルヌーブ フェラーリフル参戦 地元カナダで初勝利 FERRARI 312 T3 1978年ジル・ビルヌーブのフェラーリ フル参戦1年目は若きジルの象徴的な1年 R1開幕戦アルゼンチンGPで初のファステスト R4アメリカWEST GP予選2位から首位を独走 しかしC・レガッツォーニ(シャドウ)に追突 大クラッシュを起こしリタイア R6ベルギーGP 4位初入賞 R12オーストリアGP 3位初の表彰台 R14イタリアGP予選2位から2位フィニッシュ しかしフライングのペナルティーで結果7位 R16カナダGP 地元モントリオールの 新設 イル・ノートルダム・サーキット 予選3位からJ・P・ジャリエ(ロータス)の リタイアにも助けられて 50周目にトップに立ち優勝 自身の初勝利はカナダ人ドライバ―の初勝利 現在までもカナダ人ドライバ―のF1勝利は ビルヌーブ親子(ジル6勝 ジャック11勝)のみ イル・ノートルダム・サーキットは後に ジル・ビルヌーヴ・サーキットと 名称変更になった #F1-1978年
230201 G.VILLENEUVE 1978 1回FW12C
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1997 8TH PMA JORDAN PEUGEOT 197 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ ジョーダン移籍 初ポイント・初表彰台・初FL JORDAN 197 G・フィジケラはミナルディからジョーダンへ ラルフ・シューマッハと24歳・21歳の若いコンビ R3アルゼンチンで同士討ちで早くも関係悪化 R4サンマリノGPで予選6位→決勝自身初入賞4位 フィジケラの通算入賞回数は73回 R6スペインで初ファイナルラップ R7カナダで3位 R12ベルギーで2位 表彰台2回獲得 通算表彰台は19回 R10ドイツGPでは予選2位から G・ベルガー(ベネトン)と高速バトルで 優勝を争った(結果はパンクで11位) この年ジョーダンはスポンサーの B&Hの意向もあり鮮やかなイエローに変更 チームが終了する2005年までこのカラー継続 戦闘機のノーズアート風のグラフィックで ノーズコーンをスネークヘッドに見立てた カラーリングが注目された遊び心ある1台 #F1-1997年
221104 G.FISICHELLA 1回 12FW12C
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1981 14TH PMA LOTUS FORD 88 N.MANSELL
ロータス フル参戦1年目 N・マンセル 失意の地元イギリスGP 予選落ち 1981年マンセルはロータスで初のフル参戦 TMはエリオ・デ・アンジェリス ロータスは可動式カウルを被せた ツインシャーシ LOTUS FORD 88を導入するも レギュレーション違反で決勝では走行できず R8イギリスGPでは冷却系などを プライマリーシャーシに移設した 改良版である88Bを導入するも結果は同じで プラクティスは走行できたものの 予選では使用できず マンセルはこの影響もあって 地元イギリスGPでまさかの予選落ち ロータスはシーズン途中でメインスポンサー エセックス石油のデビット・ティーメが 訴訟問題に巻き込まれてスポンサーを撤退 再びJPSカラーの漆黒に変更します マンセルは旧型のロータス81Bで R5ベルギーで初入賞&表彰台を獲得 年間順位は16位と振るわずもロータス残留 #F1-1981年
220918 N.MANSELL 1584 12FW12C
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1992 15TH+α SPARK LOTUS 107 J.HERBERT
LOTUS 37戦ぶりの新車LOTUS 107 ジョニー・ハーバートにより出走 1992年ロータスはR5サンマリノGPより 待望の新車LOTUS 107を投入 旧型の102シリーズは1990年開幕より 実に36戦に渡り使用された 107のデビュー戦はハーバートのみに 与えられたが予選はギリギリの26位で通過 旧マシンで出走のTM M・ハッキネンは予選落ち この時のLOTUSの代表はP・コリンズで ハーバートを1989年ベネトンでの デビューの道を作った人物 ゆえにハーバートに先に ニューマシンが与えられた 107のマシンではR8フランスGP 予選12位→決勝6位入賞 入賞はこの1回のみ(モデル仕様) 4年目にして初のフル参戦であったが ハーバートは年間2ポイント15位 TMのハッキネンは年間11ポイント8位 F1ライト兄弟とも呼ばれた2人は ハッキネンはマクラーレン ハーバートはロータス残留と明暗が分かれた #F1-1992年 #LOTUS
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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2012 12TH SPARK SAUBER C31 FERRARI K.KOBAYASHI
2022年 FORMULA 1 開幕 過去の日本人ドライバーのベストリザルトは 予選最高 2位 (2人) 決勝最高 3位 (3人) ファステストL (2人) 上記3つを全て記録しているのが 2012年小林可夢偉 SAUBER C31 ザウバー3年目のシーズン R3中国GPで予選3位→決勝10位ながら 40周目にファステストラップを記録 1989年R16オーストラリア中嶋悟(ロータス) 以来の日本人ドライバ―23年ぶり R12ベルギーGP 予選2位 2004年R7ヨーロッパGP 佐藤琢磨(BAR)以来の8年ぶり予選2位 R15日本鈴鹿予選3位→決勝3位 終盤J・バトン(マクラーレン)の追撃防ぎ 2004年R9アメリカGP 佐藤琢磨(BAR)以来の8年ぶりの表彰台 鈴鹿では1990年鈴木亜久里(ラルース) 以来の23年ぶりの表彰台 2022年 角田裕毅 アルファタウリに期待 2012年 小林可夢偉以来の11年ぶりの記録達成 そして予選 PP 決勝 2位/優勝 の記録更新 開幕戦の予選は厳しかったが 決勝はスタートでジャンプUP 見事2年連続開幕戦入賞 何とか翌年以降も生き残るためにも 応援していいます #がんばれ角田裕毅 #F1日本人最高位 #2022年F1開幕
K.KOBAYASHI 1回 12 1/43FW12C
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1976 9TH PMA McLAREN FORD M23 J.MASS
ヨッヘン・マス マクラーレン2年目 自身最後の2度目のファステストラップ 1976年マクラーレンM23の4年目 レギュレーション変更に合わせ インダクションポッドはドライバーの 頭部左右から吸気する方式に変更 軽量化と共にホイルベースが延ばされた 予選・決勝とも新加入のJ・ハントが圧勝 マスは2度の3位表彰台を含む8度の入賞 レギュレーション変更のR4スペインGPでは 自身最後の2度目ファステストラップを記録 R12オランダGPではニューマシンのM26が マス車に先行で導入されたが 予選15位→決勝9位に終わり再びM23で出走 ◆R16日本(富士SW) 予選12位→決勝R◆ 1976年は前半8戦中7戦 後半8戦中7戦が有効P ハント69P マス19P チーム有効74P フェラーリに有効ポイント差9Pで コンストラクタ―チャンピオンは逃した #F1 #F1-1976年 #Mclaren
J.MASS 1976 1回 12FW12C
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1984 10TH PMA LOTUS RENAULT 95T N.MANSELL
ナイジェル・マンセル ロータス最終年 自身初のポールポジション LOTUS 95T 1984年ロータスは開幕より新車95Tを投入 前年度後半の94Tをレギュレーションに合わせ 小型化 タイヤはピレリ→グッドイヤーに変更 マンセルはR6モナコGPで予選2位から 決勝は初のラップリーダーを5周記録も 大雨の中スリップしてリタイア R9アメリカGPでは自身初となるPPを獲得 マンセルのF1通算PPは32回 決勝は35周目までTOPを守るも K・ロズベルグ(ウイリアムズ)に抜かれTOP陥落 これが結果ウイリアムズ HONDAの初優勝につながる マンセルは入賞圏内を走行も チェッカー目前で壁にあたりミッション破損 自ら押してチェッカーを目指し 観客から大きな拍手で迎えられたが 体力が無くなり気絶して倒れてしまう (結果は3周遅れの6位完走扱い) 1984年完走5回はすべて入賞も残りはリタイア マンセルらしい結果で年間順位は10位 TMのE・アンジェリスは3位と大差をつけられた スポット参戦を含め5年間過ごした ロータスでの成績は3位(5回)が最高 A・セナの移籍もありロータスを離れ 翌1985年はウイリアムズ HONDAに移籍する #1984年 #LOTUS #マンセル #F1-1984年
N.MANSELL 850 12 1/43FW12C