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1977 (45TH) IXO RENAULT RS01 J.P.JABOUILLE
オールフレンチ ルノーデビュー ジャン・ピエール・ジャブイユ RENAULT RS01 1977年フランスのルノーが参戦 RS01にはF2用をベースとした F1初のターボエンジンを搭載 タイヤはミシュランが初参戦 F1初のラジアルタイヤを装着 燃料はエルフ ドライバーはジャン・ピエール・ジャブイユ オールフレンチでのF1挑戦が始まった R9フランスGPはあえて避けて R10イギリスGPよりデビュー 予選21位→決勝はエンジンが壊れリタイア 2戦欠場後のR13オランダGPでは 予選10位と健闘も決勝はリタイア 年間で5戦出場 1度予選落ち 決勝進んだ4戦はいずれもリタイア たびたびエンジンから白煙をあげ イエロー・ティーポットを揶揄された 最終戦日本GP(富士SW)は不参加 F1界においてはターボエンジン 幕開けに向けた記念すべき1台 モデルはIXO (デアゴスティーニ) F1マシンコレクション GP仕様の表記はないが フロントウイング形状 リアウイングのカラー・ロゴから 初参戦のR10イギリスGP仕様と思われます
240208 J.P.JABOUILLE F1マシンコレクション 1977FW12C
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1983 (21ST) SPARK ARROWS A6 T.BOUTSEN (DETROIT GP)
ブーツェン デビュー2戦目 予選・決勝シーズンベスト ARROWS A6 1983年R6地元ベルギーGPで アロウズよりF1デビューした ティエリー・ブーツェン 2戦目となったR7アメリカ東 F1-2度目の開催 デトロイト市街地コース 予選10位→決勝7位はいずれもシーズンベスト ブーツェンの決勝初完走レースで チームメイトのM・スレール(10位)を上回った この年アロウズはスポットスポンサーに 合わせて毎戦のようにカラーが変わり デトロイトではのちの1980年代 中盤~後半のアロウズの代名詞とも言える クリームベージュのカラーとなった モデルはスパーク デトロイトGPでは 1987年~1988年に同チームで BMWエンジンのバッジネームとなった アメリカのかつての保険大手USF&Gの子会社 メガトロンがスポンサーで同社のロゴが 車体とリアウイングに貼られている 1983年のアロウズA6のブーツェン車は GP違いで3台目のリリースとなり 先日4台目発売の情報がありました… https://muuseo.com/FW12C/items/1201?theme_id=30446 https://muuseo.com/FW12C/items/1013?theme_id=30446
240120 T.BOUTSEN 30 1/43FW12C
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1973 19TH SPARK (WILLIAMS) ISO-Marlboro FX3B H.GANLEY
ウイリアムズF1の前身Iso-Marlboro ハウデン・ガンレイ F1ラストポイント ウィリアムズF1の前身である フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは イタリアのスポーツカーメーカーのイソと フィリップ・モリス社がスポンサーとなり 1973年Iso-Marlboroのマシンを投入 ハウデン・ガンレイはニュージーランド出身 1971年・1972年はBRMでF1出場 オートスポーツ誌に掲載する写真撮影のため 許可なく他チーム(ポリトイ)を走行させたことで 原因でBRMを解雇されIso-Marlboroに移籍 Iso-Marlboroはシーズン通して9名の ドライバ―をエントリーしたが ガンレイのみがフル参戦 R14カナダGPでこの年唯一の6位入賞 キャリア最後の5度目の入賞 ガンレイは翌1974年にマーチで2戦エントリー 後半戦で日本のチームMAKIから参戦するも 決勝進出はできなかった モデルはSPARK Marlboroデカールが別で添付で貼り付け 独得な3色のカラーリング Iso-Marlboroの活動は翌1974年まで
231019 H.GANLEY 1973 21FW12C
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1999 (22ND) PMA BAR 01 SUPERTEC R.ZONTA
リカルド・ゾンタ F1デビュー 新規チーム BAR 01 SUPERTEC リカルド・ゾンタ ブラジル出身 1997年 国際F3000チャンピオン(3勝) 1997年 ジョーダンテストドライバー 1998年 マクラーレンテストドライバー 1999年 ティレルを買収して BATタバコの協力スポンサーのBARでデビュー チームメイトはジャック・ビルヌーブ R2地元ブラジルGPのフリー走行で足負傷 R3~R5まで欠場 代役でミカ・サロが走行 R12ベルギーGPでも大クラッシュをしている 予選最高R7フランスGP10位 決勝最高R14ヨーロッパGP8位 鳴り物入りで登場したBARとゾンタであったが ビルヌーブとともに無得点に終わる 翌2000年もBARに残留
230730 R.ZONTA 1999 23FW12C
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1998 16TH PMA PROST PEUGEOT AP01 J.TRULLI
ヤルノ・トゥルーリ チーム最下位脱失 貴重な1ポイント PROST PEUGEOT AP01 1998年ヤルノ・トゥルーリは 前年度途中加入のプロストから レギュラードライバ―でフル参戦 チームメイトはオリビエ・パニス 無限→プジョーエンジンにスイッチするも 苦戦を強いられたチーム・プロスト 前半終了時点で両ドライバ―とも 決勝最高9位でコンストラクター最下位 R13ベルギーGP トゥルーリ予選13位 決勝は雨の混戦で上位陣がリタイヤの中 何とか生き残り6位入賞 貴重1ポイントはノーポイントの ティレル ミナルディを抜いて コンストラクター9位に浮上 トゥルーリ自身もこの1ポイントが 後にデビューから13年連続入賞を継続する 1998年唯一のポイントでもあった 翌1999年もプロストに残留し 自身初の表彰台を手に入れる
230430 J.TRULLI 12 1/43FW12C
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1998 16TH PMA PROST PEUGEOT AP01 "TOWER WING″ J.TRULLI
1998年開幕戦から不振であった チームプロストはこの年トレンドになりつつ あったタワーウイングを導入するも 大きな効果は得る事ができなかった 前チームリジェ時代の1996年より フランスのタバコのスポンサーが ジタン→ゴロワーズに変更 ゴロワーズタバコはアルタディス社が 1910年から発売するブランドで フランスではジタンと並び 最もポピュラーなブランド 日本でも購入することができ アニメなので非公式ではあるものの 名探偵コナンに登場する ジンや ルパン3世のルパンが ゴロワーズタバコ(類似のタバコ) を吸っている映像が存在する また かまやつひろし氏は1975年に 〖ゴロワーズを吸ったことがあるかい〗 という楽曲を発表しており 自身もゴロワーズを喫煙していた
230430 J.TRULLI "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1984 17TH SPARK TOLEMAN TG184 S.JOHANSSON
ステファン・ヨハンソン F1初ポイント TOLEMAN TG184 1984年ティレルより途中参戦した S・ヨハンソンであったが 所謂 水タンク事件でティレルが活動休止 R14イタリアGPからはトールマンから出場 このGPは移籍問題に絡みチームがA・セナを 出走させなかった為にヨハンソンは カーナンバー19 急遽参戦のP・マルティニが20 予選17位→決勝4位入賞 F1初ポイント獲得 ヨハンソンの通算入賞回数は26回 終盤2戦はセナが復帰したため カーナンバー20で出場も予選ではセナに 大差で敗れ入賞はならなかった 翌1985年は再びティレルに1戦のみ戻り R2~はフェラーリで参戦する
221118 S.JOHANSSON 19 1/43FW12C
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1983 (21ST) SPARK ARROWS A6 T.BOUTSEN (BELGIAN GP)
振り向けばティエリー・ブーツェン 地元ベルギーGP デビュー ARROWS A6 1981年F2で年間2位を獲得すると 同年の鈴鹿JAFグランプリに参戦 中嶋悟に次ぐ2位を獲得 元ホンダF1監督の中村良夫の進言もあり スピリット・ホンダの契約ドライバーとなった 1982年ヨーロッパF2でホンダの マシンで3勝をあげてランキング3位 スピリット・ホンダでのF1参戦も噂されたが ステファン・ヨハンソンとのシート争いに破れた 1983年は同郷の先輩ドライバーの ジャッキー・イクスの支援とF2での実績により チコ・セラに変わりアロウズより 地元R6ベルギーGPでデビュー モデルはそのベルギーGP仕様(予選18位→決勝R) この後ブーツェンは1993年までF1に参戦 164戦出場 優勝3回 表彰台15回 入賞41回 この年のアロウズはGPごとのスポンサーが多く イギリスGP仕様とはカラーリングがかなり異なります https://muuseo.com/FW12C/items/1013?theme_id=30446 #振り向けばブーツェン #1983年
221106 T.BOUTSEN 30 1/43FW12C
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1992 19TH SPARK VENTURI LARROUSSE LC92 LAMBORGHINI B.GACHOT
フランス高級車 ヴェンチュリー参入 B・ガショー最後の入賞 LARROUSSE LC92 ラルースチームは資金難により 1992年はフランスの自動車メーカーの ヴェンチュリーが株式を買取参入 日本のMINEサーキットや 姫路セントラルパークを運営の セントラルパーク(土井産業)がメインスポンサー エンジンは90年以来のランボルギーニV12 チームは予備予選組に回ったが ガショーは予備予選・予選とも全て通過 R6モナコGP 予備予選2位 予選15位 A・セナ(マクラーレン)N・マンセル(ウイリアムズ)の 伝説の優勝争いの中 ガショーは決勝6位入賞 チームはこの年唯一 ガショーは生涯最後の4回目の入賞 ヴェンチュリーはこの年のみでF1から撤退 ラルースカラーともいうべき配色が CABINの赤も加わってとてもバランスの良い1台 #F1-1992年
221026 B.GACHOT 29 1/43FW12C
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1983 (21ST) SPARK ARROWS A6 T.BOUTSEN (BRITISH GP)
T.ブーツェンのデビューイヤー イギリスGP仕様 ARROWS A6 1983年R6ベルギーGPよりアロウズは ヨーロッパF2でも実績のある T・ブーツェンをドライバ―として採用 TMはマルク・スレール 10戦の出走で入賞はなかったものの 8戦で完走 最高位7位を2回記録 安定した走りが評価された モデルはR9イギリスGP仕様 予選17位→決勝15位 モータースポーツ誌 GRAND PRIXがスポンサーで マシンに赤色が施されている 前年度F2時代からのサポートで ヘルメットにはブーツェンとしては 珍しタバコブランドMarlboro ヘルメットのバイザーには 日本のレディースファッションブランドを 親会社に持つ自動車輸入販売会社 伊太利屋のピンクのステッカーが貼られている ブーツェンが日本でのレース活動もあり サポートをしていた ブーツェンはこの後1986年まで4年間 アロウズで参戦を続けます #1983年 #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 30 1/43 MarlboroFW12C
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1991 17TH+α SPARK BRABHAM YAMAHA BT60Y M.BRUNDLE
マーティン・ブランドル 日本GP鈴鹿 5位入賞はチームブラバム最後の入賞 1991年日本GP 鈴鹿サーキット ブラバム ヤマハのブランドルは 予備予選を1位で通過したが TMのマーク・ブランデルは予備予選落ち 予選はPPのG・ベルガー(マクラーレン)から 約5秒落ちの19位で決勝スタート 途中多重クラッシュをうまく避けて S・モデナ(ティレル HONDA)との 日本製エンジン対決を制し5位入賞 1962年から参戦 翌1992年途中で撤退する チーム ブラバムの239回目最後の入賞 BT60Yはハイノーズを採用したが フロントウィングを中央1点で支える独特形状 強度不足を補うためワイヤーで支えられている インダクションポッドは潜望鏡のような形状で ドライバ―上部に楕円形の口が付きだしている この日本GPではAUTO BACSが リアウイングに大きく貼られ オーストラリアのQANTAS航空も スポットスポンサーで参加 その他の日本企業も多数サポートしている ・住友海上・madras・kyosho・DAIKIN ・YAMAZEN・MITSUI・MITSUKOSHI・AOBA 当時はmadrasのブラバムチームロゴ入り シューズも発売されていました モデルガレージROMUの別注 限定800台 日本のバブル景気 F1ブームを象徴する1台 #F1-1991年 #1991年日本GP #ブラバム
M.BRUNDLE 800 7 1/43FW12C
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1976 (34TH) KYOSHO KOJIMA KE007 M.HASEMI
日本人初 日本製マシンで決勝出走 長谷見昌弘 KOJIMA KE007 目標は入賞ではなく 海外勢を迎え撃って勝つこと KOJIMA KE007は日本初開催のF1レースに スポット参戦するため開発した国産マシン オーソドックスにまとめながら 高速コースに特化したトップスピード重視 富士SW走行を目的とした富士スペシャル エンジンはフォード・コスワース・DFV ヒューランド製5速ギアボックスの 1970年代の一般的組み合わせで 当時の価格で周辺機器あわせ約850万円 タイヤは初の参戦となる日本ダンロップ 金曜日の午前予選1回目 予選4位のタイム1分13秒88で周囲を驚かせる 金曜日の午後予選2回目 さらなるタイムUPを狙い他車の スリップストリームに入り1分12秒台確実と 思われたが最終コーナーで 左フロントサスの強度不足でクラッシュ スペアカーの無かったコジマは 48時間でほぼ新車を作り上げて 予選10位から決勝に挑んだが 決勝はトップから7週遅れの11位完走 長い間KOJIMA KE007が出したとされる 1分18秒23はファステストLと記録されたが 後にJ・ラフィー(リジェ) 1分19秒97に訂正された モデルはKYOSHOの KE(コジマエンジニアリング)の ロゴ入り台座等の特別パッケージ 決勝レインタイヤ仕様バージョン 日本のモータースポーツの人々が世界に挑み 夢を乗せた1台と言えるかも知れません #F1-1976年 #KOJIMAKE007 #1976年 #F1世界選手権イン・ジャパン #F1
M.HASEMI 1976 51 1/43FW12C
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1985 9TH SPARK LIGIER JS25 J.LAFFITE
ジャック・ラフィー 2年ぶりのリジェに復帰 2年間ウイリアムズで苦戦したラフィーは 1985年フランスのリジェに復帰 TMはA・DE・チェザリス P・ストレイフ チームは前年同様のルノーエンジン タイヤはミシュラン→ピレリに変更 復帰初戦の開幕ブラジルで6位入賞 その後予選は15位前後と苦戦も R8イギリスで3位 表彰台は41戦ぶり R9ドイツで連続3位を獲得 R14ヨーロッパGPでは約4年ぶり 自身キャリア最後の7度目の ファステストラップを記録 最終戦は初開催のオーストラリアGP 予選20位ながら上位に浮上 最後はあわや同士討ちになりかけたが ラフィーは2位でフィニッシュ TMのストレイフも3位でW表彰台 ラフィーはこの時41歳 166戦目 翌1986年もリジェに残留となり G・ヒルの持つ決勝175スタートの F1最多出走回数の更新が期待された #1985
J.LAFFITE 1回 26 1/43FW12C
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2021 16TH SPARK ALFA ROMEO RACING ORLEN C41 K.RAIKKONEN
2021年キミ・ライコネン引退 最後の車体C41 カッコいい終わり方ではないかも しれないけどこういうのもアリ 最後がどうなろうと大きな違いはない ーキミ・ライコネン WE WILL LEAVE YOU ALONE NOW 🏁キミ・ライコネン(フィンランド) 【決勝出走数】349回(入賞219-表彰台103) 【予選最高位】PP(18回) 【決勝最高位】優勝(21回) 【ファステストラップ】46回 👑ワールドチャンピンピオン 1回 2007年 フェラーリ #2021年ライコネン引退
K.RAIKKONEN 7 1/43 ALFA ROMEOFW12C
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1988 (22ND) KIT AGS JH22 P.STREIFF
#1988
P.STREIFF 14 1/43 CAMELFW12C