「ラバウルの貴公子」V-138 笹井醇一 中尉機 (昭和17年夏 ラバウル東飛行場/零戦21型/台南航空隊)

0

、海軍のエースパイロットとして名を馳せた笹井醇一は、端正な顔立ちから、戦後に「貴公子」という渾名がついたようです。
闘争心が旺盛で海軍兵学校の同期生からは「軍鶏」と呼ばれていました。「第251海軍航空隊付(改称後の台南空)海軍中尉笹井醇一 戦闘機隊指揮官又は中隊長として比島、東インド及び東部「ニューギニア」方面等の作戦に従事し戦闘参加76回単独敵機27機を撃墜し友軍機と協同敵飛行機187機撃墜16機炎上25機を撃破せり」
海軍兵学校出身者の公認撃墜数では最高だそうです。
1942年(昭和17年)8月26日、ラバウルから出撃した笹井隊長率いる零戦9機は米海兵隊の爆撃機と壮絶な空中戦を切り広げた後、米海兵隊の撃墜王マリオン・カールによって撃墜され、ガダルカナルの海岸に散りました。

Default