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ジョーダン・ホンダEJ11
01年のヤルノには期待していた。結果は最高位4位で12ポイントでランキング9位だった。予選ではチームメイトたちに15勝2敗だったが、リタイアは8回と失格1回でエンジンのトラブルが目立った。ベストレースは第5戦スペイン。5番手からのスタートでレース後半にブレーキトラブルを抱えてもアグレッシブに4位入賞を獲得してみせた。シャシーもエンジンも進化しなかった一年と言えた。02年はルノーに移籍した。
J・トゥルーリ ホットウィールマテル 仙台市 オールージュ 2001.10.20ゆーじ
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フェルスタッペンオフィシャルコレクション、アストンマーチンレッドブルレーシング・タグホイヤーRB14、2018.スペインGP
通販で安かったので購入しました。フェルスタッペンオフィシャルコレクションの台紙はやっぱりいいですね。
M・フェルスタッペン、ミニチャンプス ユーロスポーツ通販 2021.1.20ゆーじ
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ルノーF1チーム B201 テストカー
ルノーワークスとして復帰正式発表後に走ったと思われるB201のテストカー。02年1月8日のバルセロナテストで走ったのがこのカラーリング。その後、マイルドセブンと契約をしてあのカラーリングになりました。当時は台紙も新しくなりワクワク感があり、バトンの飛躍にも期待した記憶があります。
J・バトン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.5.24ゆーじ
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アロウズ•コスワース A23
トム・ウォーキンショーのチーム運営の酷さから02年に消滅したアロウズ。エンジンはカスタマー仕様のコスワースで例年より期待できる、そう思えたが。しかし資金不足と訴訟問題で、フランスGPでは故意と思われる2台の予選落ち。そして次戦ハンガリーには姿を見せなかった。フレンツェンはスペインとモナコで6位入賞とらしさを見せた。マイク・コフラン設計のA23は大胆なハイノーズで熱意を感じた。フロントサスはツインキール採用で、空気をフロントからディフューザーに流す努力もしていた。しかしすべてが水の泡になった。だが時は流れて06年のスーパーアグリはこのA23を改造してSA05として出走するのだからF1は本当にわからないもんです。
H・Hフレンツェン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.11.8ゆーじ
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フェラーリ412T2
1995年に3リッターというルールになったが、唯一V12を選んだのがフェラーリだった。ミハエルが翌年に加入することを考えると、自分の中では最後のフェラーリと呼びたくなる。96年にはベルガーもアレジもベネトンに移ってゆく。ベネトンとウィリアムズのルノーエンジン勢の活躍が注目されるが、自分はそこでもがきながら駆け回る跳ね馬を注目していました。
G・ベルガー ミニチャンプス 仙台市 アベ模型 2000.10.17ゆーじ
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ザウバー•ペトロナス C20 ファーストチャンピオンシップポイント
スーパーライセンス問題で危ぶまれたキミのデビュー当時の話題の大きさは凄かった。開幕戦のオーストラリアGPでは13番手からスタートし、7位フィニッシュもパニスの黄旗無視で6位入賞が転がり込んできた。第6戦のオーストリアGPでは終始安定の4位フィニッシュ。第8戦カナダGPではトゥルーリやモントーヤを抑えての4位入賞。ニックを差し置いてマクラーレン入りも頷ける大活躍だった。ファーストポイントは別バージョンの台紙なのも印象的だ。
K•ライコネン ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2002.4.25ゆーじ
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ジョーダン•無限ホンダ EJ10
2000年のフレンツェンは17戦で6回しかチェッカーを受けられなかった。逆にマシンのトラブルがほとんどなのに11ポイントも稼げたのは収穫なのかもしれない。唯一の見せ場は第15戦アメリカGPの終盤のジャックとのバトルを制しての3位表彰台だ。EJ10はマイク•ガスコインの設計だが、199と違ってサーキットによって神経質になる性格が災いしてしまった。
H•Hフレンツェン ホットウィールマテル 仙台市 オールージュ 2000.12.21ゆーじ
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マクラーレン・メルセデス MP4-17
キミのF1での2年目はマクラーレン加入でスタートする。開幕戦のオーストラリアGPではファーステストラップを記録するだけではなく3位で初表彰台に上がった。結局4回の表彰台獲得で24ポイントはクルサードの一つ下のランキング6位で終えた。リタイアは10回だったがほとんどはマシン側のトラブルが原因だった。MP4-17の信頼性に悩まされたシーズンになってしまった。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.11.8ゆーじ
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マクラーレン・TAGポルシェMP4/2C ワールドチャンピオンセット
86年はプロスト、ピケ、マンセルが最終戦まで争った。シーズン初勝利は第3戦のサンマリノGPでモナコも勝って連勝。第6戦カナダGPから4戦連続ポディウムで確実に結果を残す。最終戦前まではポイントがマンセル70、ピケ63、プロスト63とかなり不利だった。レースではマンセルがタイヤバーストでピケもピットに入って逆転勝利。2年連続のチャンピオンを獲得した。
A・プロスト ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.7.5ゆーじ
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プロスト•プジョーAP02 テストカー1999
AP02はレギュラードライバーを買わなかったのでハイドフェルドのテストカーを買った。99年のニックはマクラーレンのテストドライバーの傍ら、国際F3000のチャンピオンにも輝いている。AP02はAP01のショートから一気にロングホイールベースになる。設計はロイク•ビゴワとアラン•ジェンキンスだが、ジョン•バーナードも関わったようだ。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2001.6.8ゆーじ
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ティレル・ヤマハ022
懐が寂しかったのかブランデルを買った022。ハーベイポスルスウェイトの設計のシンプルな022。ヤマハエンジンもJTからの資金提供で開発も加速した。スペインGPでは3位でポディウムに上がった。8ポイントでランキング12位は立派だった。
M・ブランデル ミニチャンプス 麻布、GPコレクション 2000.8.7ゆーじ
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ベネトン・ルノー B197
ベルガーのF1最後のマシン。蓄膿症で3戦欠場の間に父親が飛行機の事故で亡くなる不幸も重なった。だが復帰したドイツGPではP•Pを獲得し、レースでもそのまま勝利し通算10勝目を挙げた。復帰戦の勝利だけではなく、父親にも捧げる勝利に感動をしたことを思い出します。
G・ベルガー ミニチャンプス 府中本町 店名不明のホビーショップ 2000.2.10ゆーじ
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ベネトン・プレイライフ B199
チームメイトのブルツには差をつけたが地味なシーズンだった。波乱のヨーロッパGPでのトップ走行とリタイア後の悲しむ姿を見て、走りきってくれたらなぁと思ったものです。B199はチームも認める失敗作だった。B198から一気にホイールベースを伸ばした。独自のスタイルのマシンだったが、結果は散々でベネトンチームの消滅もいよいよ近づいてきた。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.3.25ゆーじ
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ウィリアムズ・ルノー FW19
フレンツェンがトップチームウィリアムズのシートを手に入れた97年。ライバルのミハエルとも張り合えると思ったが、結果はシーズン終盤にはジャックの援護に回ってしまった。そして翌年はカスタマーのメカクロームエンジンで大きく失速して、フレンツェンもウィリアムズを去った。モデルカーは版権の問題でジャーマンドライバーとして発売されていた。
H・Hフレンツェン ミニチャンプス 府中本町 店名不明のホビーショップ 2000.2.10ゆーじ
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フェラーリ F300 タワーウィング
98年のF300は各レースで形が違うと言われてます。極めつけが第4戦サンマリノGPに登場したタワーウィング。翼を付けた跳ね馬はこのレースのみです。ちなみに通常バージョンが売り切れでこれを買ったようです。
M・シューマッハー ミニチャンプス 千葉県柏、キャッツスピード 1999.10.20ゆーじ