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1970年代
実家に帰ると兄から「古いのが出てきたから保存してくれや」ということで1970年代のカルビープロ野球カードをいただきました。まあ数十枚ですがあまりの懐かしさに目が輝きます。前回買ったカードホルダーは4000枚ぐらいは入るようですが、あっという間に入っちゃいました。1980年代からきれいに球団毎入れてあげようと思いますが、調べてみるとカルビーもBBMも2003年より前はカードは箱に入っているだけ。数えてませんが実家からもっと来たのと今のを合わせると2万枚以上は間違いなくあるようです。まあ少しずつ少しずつ。
ゆーじ
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2009年ベルギーGP
新婚旅行は2009年のベルギーGPでした。 レースでは直線番長フォースインディアのフィジコがP•Pでした。勝ったのは跳ね馬のキミでした。 行く前にスパのことをよく調べるとサーキット内をいろいろ歩けることがわかりました。入るとさっそくラソースが登場。ラディオンとオールージュ付近にトンネルがあってシケイン、そしてプーオンまで行くことができました。その後ケメルストレートも歩きました。世界最高のサーキットは今でも自分の中ではやっぱりスパフランコルシャンです。 当時買ったピンバッチは今でも宝物です。
ゆーじ
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33GT-Rの三連メーター
コレクションではありませんが、過去に乗っていた33GT-Rの三連メーター。これも屋根裏にありました。せっかくなので飾ろうと思います。でも33GT-Rは事故でお釈迦にした苦い過去があるんだよなぁ。まあもって苦い過去は次の機会に。
ゆーじ
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781系900番台
暇な時間があったので動かないモーター車の調整をする。グリスが固まっていたので取り除いて走行可能になりました。
マイクロエースゆーじ
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90年アメリカGP
実はF1のTシャツも集めてます。これは90年当時の物で、セナとアレジがバトってます。背中には6位までの順位が入っていて、中嶋悟も6位入賞してます。おそらく通販で買ったんですが、お店に電話をして振り込みとかだったんですかね? お店もどこだったか記憶にありません。でも今回の鈴鹿では久々に着ようと思ってます。
ゆーじ
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BAR•スーパーテック01
ティレルを買収して誕生したBARだが、後にブラウンGPの後にメルセデスになる。99年1月の発表会ではラッキーストライクと555のカラーリングのマシンを披露する。しかしレギュレーションでチームの2台のマシンは同じカラーリングでなくてはならないに違反するのでハーフ&ハーフカラーとして出場した。個人的に555側が好きだったのでこの向きにしたと思われる。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2000.6.27ゆーじ
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BAR•スーパーテック01 1999テストカー
BAR01は98年12月15日の合同テストでシェイクダウンされた。本選のカラーリングが未定のため青と灰色中心のBARカラーで走った。しかしジャックがドライブするもギアボックスや電気系のトラブルでわずか3周で走行を終えている。その後発表されたラッキーストライクと555の2台のカラーリングで披露されたが、レギュレーションで1チーム別々のカラーリングが認められずご存じのハーフ&ハーフカラーで走ることになった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.2.4ゆーじ
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BAR•ホンダ003 テストカー
琢磨の初モデルカー化されたのがこのBAR003。01年にBARのテストドライバーとなって乗ったのがこれだが、ぶっちゃけ本選仕様とはカーナンバーが無い以外は変わらない。デビューしたジョーダンEJ12はこの後に発売されることになる。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.5.3ゆーじ
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BAR•ホンダ 02
8年ぶりにF1に帰ってきたホンダ。そこを救ったのがジャックで17ポイントを稼いだ。しかし同じく復帰したBMWから見るとだいぶ地味な成績で、序盤はトラブルが多かったのは痛かった。だが当時はホンダが帰ってきただけで喜んでいた自分だったが、その後の浮き沈みの第三期の成績はやっぱりホンダらしさに欠けていて寂しかった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.4.3ゆーじ
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BAR・スーパーテック 01
BAR01は2台目の購入。ハーフ&ハーフカラーで555側も欲しくなって買ったが、やはりゾンタやサロじゃなくジャックを買った。いつかは555ロゴに変えたいと思っているが手を付けていない。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2003.5.29ゆーじ
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BAR・ホンダ SHOWCAR2003
03年のショーカーは02年に004がなぜか発売されなかったので、01年の03からバージボードとフィンを外して04年のカラーリングにしたもの。それにしても03はやっぱりかっこ悪く古くさい。一応、サイドポンツーンはラッキーストライクに変更したが、愛着もなくそれ以外は手を付けなかった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.10.11ゆーじ
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BAR・ホンダ 003
ホンダエンジン第3期の2年目で周りもいよいよ期待が高まったシーズンだったが失望のシーズンだった。ジャックはスペインとドイツで3位表彰台を獲得したものの、両レースともリタイアが多く棚ぼたの印象が強かった。ジャックは12ポイントでチームでも17ポイントと期待外れだった。003はマルコム・オスラー設計で、ハンドリングの問題やセットアップで苦労し、シャシー剛性不足やエンジンが重くパワー不足で課題は山積みだった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.2.4ゆーじ
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BAR・ホンダ 005
モデルカーにはテストドライバーということでカーナンバーは入っていない。琢磨は全戦帯同で膨大なデータをチームに与えた。そして日本GP直前にジャックの欠場で6位入賞を手に入れた。2年連続で鈴鹿を盛り上げた記憶は忘れられない。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.2.16ゆーじ
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BAR・ホンダ 005
ルノーから移籍してきたバトン。速さは見せたがアロンソのレギュラー昇格で押し出されてのBAR加入だった。ポイントは17でランキング9位。チームメイトとの予選対決は9勝6敗だったが、モナコでは土曜の午前中のフリー走行のクラッシュで欠場するミスもあった。印象に残っているのは第15戦アメリカGP。一時トップを走ったが最終的には2位走行中にエンジンブローで苦い結末となってしまった。
J・バトン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.6.10ゆーじ
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BAR・ホンダ 005 日本GP
琢磨の日本GPは突然の出走だったが、005でテストを重ねていたのでほぼ最高と言える結果になった。予選は13番手。次々順位を上げ、一時は2位で走行した。5周目にはミハエルと接触にもひるまず、6位でフィニッシュして鈴鹿に詰めかけたファンを喜ばせた。005はジェフ・ウィリスの設計で手堅いデザインで他チームを上回るアドバンテージはなかった。アップデートや信頼性も決して高いとは言えなかった。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2004.6.20ゆーじ