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ピチカート・ファイブ&コレクターズ プレゼンツ「ナック」
【レディメイドな時代〜渋谷系は音楽だけではなかった】 渋谷系といえばピチカート・ファイブやフリッパーズ・ギターに代表される音楽を思い浮かべると思うけれど、以前の音楽のサンプリングやカヴァーにとどまらず、大きな功績のひとつにスタイリッシュな映画の発掘&公開にあったと思う。特にピチカート・ファイブ・プレゼンスで注目された映画は『黒い十人の女』だろう。そしてこの映画『ナック』も憧れの的になったと思う。 当時、高円寺や下北沢の古着屋にいけばまだまだこの手の映画に出てくるファッションが気軽に手に入ったことも大きいかも。 これらの渋谷系の映画が功績でいえば、古い日本の若者映画のビデオパッケージをおしゃれにすれば注目されるし売れるとなったことかも。 今や六本木ヒルズとなり六本木WAVEのビルの地階にあったシネ・ヴィヴァンのことを思い出す人も少ないだろう。 個人的にはユーラシア・デリカテッセンという旧防衛庁並びにあった外国人向けお惣菜屋でグリルドチキンやババロアを購入して帰宅することが楽しみであったのだけれど。 このあたりから、映画ポスターは一見、海外の映画ポスターかな?って思えるデザインになってきた。高円寺のモルタルアパートの一室の壁にはればそこはロンドン、パリ、ニューヨークに一転するマジックもあった。 監督のリチャード・レスターがビートルズの映画二本の合間に撮った青春映画。 1965年作で第18回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したそうだ。
監督:リチャード・レスター A1 ピチカート・ファイブ&コレクターズ プレゼンツ「ナック」 1991/07/26公開プリンテッド・ソウルズ・
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髪結いの亭主 / Le Mari de la coiffeuse
【ボロブドールをご存じか、中国王女よ】 ちょうどこの映画の公開時に住んでたアパートの近所に空き家の散髪屋があった。 用もなくその空き家を覗いてはそこに引っ越したらどんな生活が始まるのかと夢想したんです。 昭和の散髪屋だから店内はタイル細工で覆われていて、肌が触れると冷っとするだろうなとか、とかとか。そしてシャボンのかほりや蒸し器の蒸気のかほりなどがなぜか頭の中に漂っていた。 小学校を卒業するまで同じ散髪屋に行ってた。 なんでそこだったのかは覚えていないが、二三年頃からはお金を渡されてひとりで通うようになった。髪の分け方が歌手の菅原洋一のようだったので、その店主の雰囲気からハンバーグ散髪屋と勝手に店名を決めていた。(ハンバーグは菅原洋一のあだ名である)助手を務めるのは奥さんで無口な小柄な可愛らいい方だった。そしていつの間にやらその奥さんは顔を見せなくなってしまった。 ある日突然、なにやら大柄でよく喋る女の人がお店にいた。このひとは誰なんだろうと思いつつも通っていた。後々に知ったことだが小柄な奥さんと離婚をしてその大柄な人と再婚をしたのだそうだ。あれから45年ほど経ってお店のあった場所に行ったが空き地のままで何もなかった。 『髪結の亭主』ってもちろん映画のタイトル(原題も同じ意)なんだけれど、『例え』であるなんて思ってもみなかった。世界中共通だし、女も男もどこの国でも一緒なのね。 音楽のマイケル・ナイマンを意識しだしたのもこの映画からで、翌年あたりにグローブ座でのコンサートへも足を運んだが前の席の筑紫哲也氏の頭がけっこう邪魔だった。
監督/ パトリス・ルコント A1 髪結いの亭主 / Le Mari de la coiffeuseプリンテッド・ソウルズ・
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廣家 / ARE YOU READY FOR FOODS ?
【一目で横尾忠則のとはわかるのだが...】 って、だれでも思いますよね。でもなんでしょう。中心部には『廣家』の文字、逆さの人々が足で持ち上げているのは料理、それも中華料理。放射線状の中にはなにやらメッセージが "ARE YOU READY FOR FOODS ?" その正体は中華料理屋『廣家』の広告。オープン当初はこのポスターは店内やビルの階段に貼り巡らませられ、来客時にお客さんに配られたものであろう。確か大量に処分されてたのを当時のポスター貼り業の社長が拾得したのを分けてもらったと思う。ときは1989年日本中がバブルで浮かれていたからこそこんなポスターも作ることが出来たのであろうと思う。 場所は渋谷の公園通り沿いパルコ・パート2に斜め向かいとある。Webで調べるもののもう情報さえも見つからない跡形もないお店。バブルの徒花となる。
横尾忠則 A1 廣家 / ARE YOU READY FOR FOODS ?プリンテッド・ソウルズ・
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Cherry Red Records / 新感覚派音楽誕生
【静かなるパンクの誕生】 70年代後半、パンクの猛威、スカで乱舞、ニューウェーブが闊歩、テクノが散開、そんな世界にギター一本で新たなるアダムとイブの誕生。もちろんベン・ワットとトレーシー・ソーンである。 誰でも弾けそうで、誰でも描けそうで、誰もが成れそうだと思わせられたが結局2023年の今でもこのふたりを超えられた当時のキッズはいただろうか。 この無垢な子どもが描いたロゴマークに静かなるパンクの誕生を隠れていた。 上記ふたりの作品の他にマリンガールズとレーベルコンピレーション二種の発売記念販促ポスター。 #printed_souls #music_poster #poster #販促ポスター
Cherry Red Records A1 新感覚派音楽誕生プリンテッド・ソウルズ・
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小泉今日子 / TRAVEL ROCK
『女性上位万歳』 ポスター貼りの仕事のひとつで「ハリ急便」っていうのがあった。ポスター貼りは100〜300枚のポスターを担いて新宿渋谷下北沢などの飲食店にポスターを貼るのだが、「ハリ急便」というのはレンタカーでハイエースを借りて、クラブクアトロのフリーペーパー「Quattro Press」を毎月ライブハウス、バー、クラブ、音楽に特化した飲食店、ダンスフロアのある店などに配布する仕事。特に六本木や西麻布はそんな店も多く、著名人もよく見かけてた。岡崎京子も見かけたな。 そんな西麻布にディスコからクラブへと夜の遊び場が変わってきた90年代の頭。そのクラブの代表格のひとつがクラブ「YELLOW」 たまたまその日がこのアルバム『TRAVEL ROCK』のリリースパーティみたいなのをやっていて「ポスター貼りの傍らポスター収集もしているから」と言って名刺と交換でもらったポスター。 このポスターを友人に見せたら良からぬことを想像し言ってくるヤツが必ずいる。 イヤなヤツだが友人だ。 #printed_souls #music_poster #poster #販促ポスター
小泉今日子 A1 TRAVEL ROCKプリンテッド・ソウルズ・
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Prince & The New Power Generation / Diamonds And Pearls
どファンクなシングル「Gett Off」を先行リリースしてからの ニューバンドThe New Power Generationと初めて作ったフルアルバム『Diamonds And Pearls』の販促ポスター。 翌年1992年4月にはバンドで来日、関東圏でのライブはすべて参戦、横浜公演のあとはプリンスのクラブGlam Slam Yokohamaまで追っかけてメンバーには会えたがプリンスには会えず仕舞い。始発までGlam Slamで過ごしたこともあったなぁ〜 アルバムでは1990年に日本で録音した三曲 "Strollin'" "Willing And Able" "Money Don't Matter 2 Night"は凄くリラックスした空気感があってとても好き。 "Money Don't ..."はスパイク・リーがMVも撮影してたね。 これ以降かな国内盤を予約してポスターをもらうなんてことがめっきり減ったと思う。 #printed_souls #music_poster #poster #販促ポスター
Prince & The New Power Generation A1 Diamonds And Pearlsプリンテッド・ソウルズ・
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The Stranglers / The Raven
当時、ストラングラーズのアルバムは『レイブン』しか買っていないからたぶんその時にもらったものと思われる。その日はもう一つ別のアルバムと迷っていたことを何故かよく覚えているそれは「孤独のメッセージ」が収録されたポリス『白いレガッタ』。前者を選んだ理由はきっと初回ジャケットの3D仕様だったのではないかな。その頃の3Dって角度によって少しは遠近感というか立体的に見えるだけの代物だけど十代には十分刺激的。ポリスがニューウェーブやパンクを隠れ蓑にミクスチャーのレゲエをやっていたように、この『レイブン』からはパンクという隠れ蓑にコンパクトなプログレを展開していたと思う。数ヶ月前にこのアルバムからのシングルカットのUKオリジナルのEPを二枚ほど入手しご満悦である。 #printed_souls #music_poster #poster #販促ポスター
The Stranglers A1 The Stranglers / The Raven 販促ポスタープリンテッド・ソウルズ・
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Aurex Jazz Festival '82 〜JACO熱く、福岡をJAZZにする〜
福岡公演はジャコ・パストリアス・ビッグバンドだけの出演だったからか、福岡公演のみの告知ポスター。 ジャコも最高だけれど、スペシャルゲストがトゥーツ・シールスマンスでこれまた最高に輪をかけたライブでした。 しかしこのときのライブの衝撃は、ジャコがトレードマークとも言えるロングヘヤーでなく坊主頭で出ていたこと。みんな声には出せない衝撃が走ったものだった。 個人的には生まれて初めての来日アーティストのライブがこれであったので、パンフレットとポスター(当時は他にレコードくらいしか物販はなかった)を買って帰りの電車の中でひとり読みふけってた。 このときの模様は音源化もされているので今でも容易に聞ける。 なお『Aurex Jazz Festival』とは、東芝のオーディオライン「Aurex」主催のジャズフェスティバル。 #printed_souls #music_poster #poster #ツアーポスター
Jaco Pastorius A1 Aurex Jazz Festival '82 〜JACO熱く、福岡をJAZZにする〜プリンテッド・ソウルズ・
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JAMES BROWN + F.O.E
【関西弁でヤジが響く大阪城ホール】 打ち込みでの音楽がアリーナクラスを沸かし始めるにはまだまだ先の話だったころ、前座が細野晴臣率いるテクノヒップホップユニットFRIENDS OF EARTHだったのです。 しかしながら殆どがJBのファンであったことからか、F.O.Eにはヤジが飛び交いメンバーが盛り上げようとフロアでブレイクダンスも披露するがすべてが空振りに。 細野晴臣もJBも両方ともファンだったボクはけっこう悲しかった思い出ですね。 その後日、F.O.Eが作ったバックトラックにJBが歌入れをしたらしいが、何度もテイクを録らせる細野晴臣にJBがかなり機嫌が悪くなったという噂が。 ポスターは会場の大阪城ホールにて物販として購入。 #printed_souls #music_poster #poster #ツアーポスター
JAMES BROWN + F.O.E A1 FRIENDS OF EARTH Vol.1プリンテッド・ソウルズ・