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【1987/05/26】国宝シリーズ第1集郵便切手
国宝シリーズ第1集として昭和62年5月26日に60円及び110円切手が発行されます。 〇八橋蒔絵螺鈿硯箱(尾形光琳作)は長方形の被せ蓋造りで蓋の両側に刳形の手がけがついています。二段重ねで上段は硯箱下段は料紙箱となっています。硯箱は中央部に水滴と硯をはめ込み残りの空間を筆置きとしたもで琳派の硯箱に多く見られる形式です。文様は「伊勢物語」の八橋の景で光琳はこの題材を好み掛物・扇面・屏風等に多く描いています。四側面の文様は連続し、これに蓋の文様が巧みに関連するよう表現されています。黒漆塗に金の平蒔絵で燕子花の葉を描き、花は螺鈿、橋は鉛板を用い遠近感や質感を見事に表しており、江戸中期の蒔絵界で独自の様式を打ち立てた作品です。 〇彦根城天守は慶長11年(1606年)に井伊直継が築いたものですがこの時に新造されたのでなく天正(1573年~1592年)年間に築造された大津城天守を移築したことが確実と思われるようになりました。彦根城天守の形式は他に例を見ない程複雑で外部三重内部三階の小規模であるのに一重目の軒の四方に八個の切妻破風を軒に交差させ、他の天守に見られない趣を出しています。また二重目と三重目にある多くの火灯窓の配列が見事です。火灯窓を用いている天守は初期のものに多く江戸時代のものには極めてまれです。
A)20枚(縦4枚・横5枚) B)10枚(縦5枚・横2枚) A)縦25mm・横35.5mm B)縦42mm・横30mm A)八橋蒔絵螺鈿硯箱 B)彦根城天守windsurfcafe
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【1989/06/30】国宝シリーズ第7集郵便切手
国宝シリーズ第7集として、平成元年6月30日(金)に62円及び100円郵便切手が発行されます。 <金銅透彫鞍金具> 1848年に応神天皇陵古墳の陪塚丸山古墳から出土したもので、大陸からの舶載品と思われています。 一部に欠失はありますが、左右対称に唐草竜文を透かした意匠は見事です。我が国上代の鞍金具のうちでも製作精緻な希にみる優品です。 <玉虫厨子> 推古天皇の遺品ともいわれるもので、法隆寺に伝わる飛鳥時代の厨子です。総体檜造り、外面黒漆塗りっで、高さは233センチメートルです、縁に張った透彫りの金具の下に玉虫の羽を伏したところから、この名が生まれました。しかし今は、ほとんどが失われています。 当時の建築、絵画、工芸の優れた技法が渾然とまとめ上げられた稀有の作品です。
A)20枚(縦4枚・横5枚) B)10枚(縦5枚・横2枚) A)縦25mm・横35.5mm B)縦42mm・横30mm A)金銅透彫鞍金具 B)玉虫厨子windsurfcafe
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【1989/01/20】国宝シリーズ第6集郵便切手
国宝シリーズ第6集として、昭和64年1月20日(金)に60円及び100円郵便切手が発行されます。 <銀製鍍金狩猟文小壺>-東大寺- この小壺は東大寺創建当初(奈良時代、8世紀)の地鎮具の一部で、明治40年の大仏殿修理工事の際出土したものの一つです。高さは約4.4センチメートルです。壺には飛鳥、草花、山岳を、身には山岳を境に一面に鹿と猪を、他面には二頭の鹿を騎馬狩猟する様を毛彫りにしています。文様面は鍍金されています。この壺の中には、水晶玉、真珠などを入れた大小2個の水晶合子が納められていた、と伝えられています。 <銅造薬師如来坐像>-法隆寺- 飛鳥時代(7世紀)のもので、光背の裏面に「用明天皇の遺志ををつぎ、推古天皇と聖徳太子が607年に造り奉った」と刻まれていますが、現在では造立年代に疑問が持たれています。 薬師如来は宝珠形の光背をつけた像高63センチメートルの独尊像形式で、松と楠材からなるやや裾広がりの二重宣字坐の上に懸裳を広げて座っています。柔和で洗練された姿は、傑作の誉れ高い名品です。
A)20枚(縦4枚・横5枚) B)10枚(縦5枚・横2枚) A)縦25mm・横35.5mm B)縦42mm・横30mm A)銀製鍍金狩猟文小壺 B)銅造薬師如来坐像windsurfcafe
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【1988/06/23】国宝シリーズ郵便切手・第4集
国宝シリーズ第4集として、昭和63年6月23日(木)に60円及び100円郵便切手が発行されます。 厳島神社は、推古朝(592)の創立と伝えられていますが、社殿が建てられたのはずっと後のことです。現在の規模となったのは、平安時代後期、平清盛の手によるものといわれています。 島全体を信仰の対象として本州側から拝んでいたようで、島の上に社殿をたてることをはばかり海中に建てられたので、現在のように珍しい形になったと思われます。潮が満ちると、朱の社殿や回廊が海上に浮かぶこの厳島神社を中心とした景観は、”安芸の宮島”として親しまれ、日本三景の一つに数えられています。 切手の意匠は、摂社客神社の祓殿を右正面から眺めたものです。摂社客神社は、本社の主神に従属する外来の神を祭る神社、祓殿は厄除けなどの神事を行う殿舎です。背景に見える塔は、五重塔で重要文化財に指定されています。 小桜韋威鎧は、平安時代後期の武将源義光が甲斐の守に任じられて以来、その子孫の甲斐源氏へ伝えられ、武田氏の宝として受け継がれたもので、”頑丈で、矢や槍をふせぐ盾も必要ない”という意味で「盾なし」の鎧とも呼ばれています。 武田信玄の時に菅田天神社(塩山市上於曽)に納められていましたが、信玄の没後相続した武田勝頼が長篠の合戦で敗れた際家臣がこれを持って逃れ、向嶽寺(塩山市上於曽)の木の下に埋めました。その後、家康が掘り出して、再び菅田天神社に納め、以来、現在も当社に保存されています。 この鎧は、小札と呼ばれる長方形の鉄の薄板を、韋(なめしがわ)が組み紐で継ぎ合わせる”威”という手法で作られていますが、威に小さな桜の紋を染めた韋が使われていることから、この名がついています。
A)20枚(縦4枚・横5枚) B)10枚(縦5枚・横2枚) A)縦25mm・横35.5mm B)縦42mm・横30mm A)厳島神社 B)小桜韋威鎧windsurfcafe