-
日本重巡洋艦 鳥海(1942第1次ソロモン海戦)
鳥海(ちょうかい)は、高雄型重巡洋艦の4番艦です。同型3番艦摩耶と共に日本海軍書類上日本で竣工された最後の重巡洋艦となりました。1928年三菱造船長崎造船所にて起工、1932年に竣工し、第二艦隊旗艦を務めます。1944年のレイテ沖海戦に参加、鳥海はアメリカ護衛空母を攻撃中に被弾、戦線を離脱します。この被弾は誤射による同士討ち(金剛の誤射)とされています(所説有)。戦線離脱後、米艦載機の襲撃を受け大破、戦闘及び航行不能となり、駆逐艦藤波が乗組員を救助の上、自軍による雷撃処分を受けました。 このモデルはオーストラリア重巡キャンベラなどを撃沈、大勝利を挙げた第1次ソロモン海戦時の兵装を再現しています。 #アオシマ #重巡洋艦 #日本軍
036167 ウォーターラインシリーズ340 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本重巡洋艦 高雄(1944レイテ沖海戦)
高雄(たかお)は、高雄型重巡洋艦の1番艦です。1932年竣工、2番艦愛宕と共に第二艦隊に所属します。ちなみに、3番艦は摩耶、4番艦は鳥海です。1944年のレイテ沖海戦に参加した際、アメリカ潜水艦に雷撃されスクリューを破損、航行不能となります。何とか応急処置により微速航行が可能となり、シンガポールに寄港、そこで再び航行不能となります。そのまま終戦を迎え、高雄は妙高と共にシンガポールにおける人員宿泊、他艦船の修理、通信などの担当母艦となり、敗戦処理を進めていきます。その後イギリス海軍に接収され、妙高と共に自沈処理となりました。 #アオシマ #重巡洋艦 #日本軍
037577 ウォーターラインシリーズ337 艦船 1/700ちょこ大佐
-
航空母艦 葛城
葛城(かつらぎ)は、雲龍型航空母艦の3番艦で、改五計画で建造された最後の航空母艦です。昭和19年10月に呉工廠で竣工しましたが、既に戦局の悪化により空母として使用されることはありませんでした。そのため三つ子島沿岸に疎開艤装されましたが昭和20年3月、敵艦載機による空襲があり直撃弾1発を受け右舷艦首に直径2mの大穴を開けられます。続く7月にも空襲を受け損害を出し、7月28日に3回目の空襲を受けます。幸い沈没を避け終戦を迎えますが、戦後特別輸送艦として改装を受け復員輸送の任に就きました。昭和21年12月に日立造船櫻島造船所にて解体されその生涯を閉じました。 #タミヤ #航空母艦 #日本軍
A087 ウォーターラインシリーズ87 艦船 1/700ちょこ大佐
-
ソビエト海軍航空母艦搭載機
このセット二次大戦後ソビエトの航空母艦に搭載された代表的な航空機のセットです。 下記の2機種計32機がセットされています。 ホーモン ホーモンは2重反転式のローターを持つ対潜ヘリコプターです。1967年からソビエト海軍の水上艦艇や沿岸警備で使用されています。機首の下部に捜索レーダーを備え、キャビン部下面には水中吊り下げ式のダンキングソナー、更に磁気装置を持ち、胴体下面にはホーミング魚雷は爆雷を装備できる性能でした。 フォージャー フォージャーは、ソ連最初の実用VTOL機として母艦の防衛、周辺の哨戒、偵察が主な任務です。最大速度はマッハ1程度と言われています。 #アオシマ #航空機 #ソビエト軍
? ウオーターラインシリーズ 航空機 1/700ちょこ大佐
-
日本戦艦 扶桑
扶桑(ふそう)は、扶桑型戦艦1番艦で初の超弩級戦艦として大正6年11月呉工廠で竣工しました。従来日本の戦艦には国の名がつけられる習わしでしたが、扶桑は例外です。扶桑とは、中国の古くからの伝説で東の果てに生える巨木のことを指し、中国において古代日本の異名として知られています。 完成時には世界最大、最強、そして史上初めて基準排水量で3万トンを超えた軍艦でした。しかし、太平洋戦争の殆どの期間を瀬戸内海で練習戦艦として過ごしました。その後運命の捷1号作戦に参加、敵駆逐艦隊の雷撃を受けスリガオ沖にてその生涯を閉じました。 #アオシマ #戦艦 #日本軍
01483 ウォーターラインシリーズ104 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本海軍 重巡洋艦 摩耶1944
重巡洋艦摩耶(まや)は、高雄型重巡洋艦の3番艦として計画建造された1万トン級条約型巡洋艦です。条約型巡洋艦とは、ワシントン軍縮会議において排水量1万トン以下、備砲20.3センチ口径砲以下という制約下で建造が認められた艦を指し、特に条約型重巡洋艦は戦艦に次ぐ有力艦との期待から日本海軍はその整備に努力を払っていました。高雄型は完成後艦橋の小型化などの改装を行う予定でしたが、改装されたのは高雄と愛宕のみで摩耶は改装前に開戦してしまったので改装が行われずにそのまま戦争に投入されました。昭和18年にトラック島で米機動部隊の攻撃を受け船体中央部に損傷を受け、その損傷修理時に第3主砲塔の撤去と12.7センチ高角砲連装6基25ミリ3連装機銃12基を増備する防空巡洋艦に改装されました。マリアナ沖海戦に参加後、摩耶は栗田艦隊の旗艦となりバラワン水道を進撃中米潜水艦の雷撃で撃沈され、その生涯を閉じました。 このモデルは、ウォーターラインシリーズではなく、船体が完全再現されているフルハルモデルです。 #アオシマ #重巡洋艦 #日本軍
043295 フルハルモデル 艦船 1/700ちょこ大佐
-
ドイツ海軍 戦艦ビスマルク
戦艦ビスマルクは、シャルンホルスト級を拡大し、攻撃力、防御力を増したもので1940年に竣工されました。シャルンホルストで採用されていた射撃式装置は勿論、副砲はすべて砲塔式となり主砲は新式38.1㎝50口径砲8門と強化されていて世界でも屈指の戦艦となっています。1941年5月21日北大西洋の敵補給線を攻撃するために出撃しました。これに対してイギリス海軍は全力で追撃、濃霧の中を最新鋭レーダーを使用して捕捉、グリーンランド東方で開合しましたがビスマルクの砲撃は正確を極め、追撃隊の英巡洋艦を撃沈、英国追撃艦隊を敗走させました。その後ドイツ海軍は大西洋に進出し、フランスへ向かいます。しかし、フランスのブレスト港西方で敵飛行船に発見され、英空母アークロイヤルの雷撃機の魚雷攻撃を受け損傷、次いで戦艦キングジョージ5世、ロドネーをはじめ重巡艦隊、水雷戦隊の包囲攻撃を受け撃沈しました。 #アオシマ #戦艦 #ドイツ軍
004975 ウォーターラインシリーズ101 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本戦艦 長門 1944レイテ(リテイク)
長門型戦艦フラグシップである長門(ながと)は大正9年から10年にかけて長門、陸奥が完成して以来、太平洋戦争が始まるまで交互に旗艦を務め、国民のアイドルでした。主砲に40センチ砲8門、副砲14センチ砲20門、8センチ単装高角砲4門を搭載し、同型艦の陸奥、アメリカのコロラド級戦艦3隻、イギリスのネルソン級戦艦2隻とともに当時世界最強の戦艦7隻、通称ビッグ7に数えられていました。防御は徹底した集中防御方式を採用、水中防御も2重の防御縦隔壁と水密区画の細分化を行っていました。大正9年11月25日の竣工より多くの海戦にて連合艦隊旗艦を務め、真珠湾攻撃の開始電文「ニイタカヤマノボレ」もこの長門から発せられています。終戦後はアメリカ軍に接収され、ビキニ環礁で行われた原爆実験の標的となり、その生涯を閉じました。 #アオシマ #戦艦 #日本軍
009284 ウォーターラインシリーズ 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本航空母艦 蒼龍1941
蒼龍(そうりゅう)は、改装された赤城、加賀などの運用実績を踏まえて建造された日本海軍初の本格的航空母艦です。しかし、ワシントン軍縮条約の排水量の制約もあって排水量18,000トンの中型空母として完成しました。格納庫内は上下二段構造で搭載機は零戦21機、99艦爆18機、97艦攻18機の計57機を搭載可能でした。開戦から戦没するミッドウェー海戦までに常に南雲機動部隊にあって第一線空母として活躍しました。 #アオシマ #空母 #日本軍
045152 ウォーターラインシリーズ222 艦船 1/700ちょこ大佐
-
特殊潜航艇母艦 千代田
千代田(ちよだ)程艦種が変わる改装を受けた艦はありません。もともとは千歳型空母の2番艦として高速給油艦の機能を有した水上機母艦として竣工しましたが、一度目の改装で水上機母艦兼甲標的母艦になって太平洋戦争に参加、その後二度目の改装でカタパルト及び搭載機を半分にし、代わりに特殊潜航艇を12機搭載可能な特殊潜航艇母艦に生まれ変わります。更に大日本帝国海軍がミッドウェー海戦にて空母4隻を損失したのを受け、3度目の改装で航空母艦に改装されます。最後は航空母艦としてレイテ沖海戦に参加、アメリカ重巡洋艦ウィチタの砲撃を受け沈没、その数奇な生涯を閉じました。 #アオシマ #特殊潜航艇母艦 #日本軍
001219 ウォーターラインシリーズ549 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本海軍戦艦 陸奥
陸奥(むつ)は、長門型戦艦の2番艦として大正10年10月24日に竣工したが11月に開かれたワシントン軍縮会議で完成艦か未完成艦かで騒がれたため、陸奥の名は国民に広く知れ渡りました。この時から陸奥の不運は始まったと言えましょう。その後実践に参加する機会が無いまま対空兵装の増加、小改装、航空兵装搭載などが行われて強化されました。ミッドウェー海戦に参加後、寄港した広島港にて謎の大爆発を起こし、大した活躍もできないまま沈没しました。爆発の原因はいまだ不明です。 #アオシマ #戦艦 #日本軍
045091 ウォーターラインシリーズ116 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本戦艦 山城
戦艦山城(やましろ)は、大正2年に扶桑型超弩級戦艦の第2番艦として建造され、大正6年3月31日に横須賀海軍工廠で竣工しました。後に大戦艦陸奥を建造した大ガントリークレーン(橋脚型大型クレーン)を使用して建造されています。装備は36㎝砲を連装に6砲塔12門を中心線上に配置されており、その艦影はとても勇壮なものでした。レイテ沖海戦にて米艦隊の激しい雷撃を受け撃沈しました。最後まで砲撃可能だった1番砲塔は、沈没の最中にも砲撃を行っていたと伝えられています。 #アオシマ #戦艦 #日本軍
? ウォーターラインシリーズ46 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本軽巡洋艦 川内
川内(せんだい)は、川内型巡洋艦のフラグシップで、14隻建造された大日本帝国海軍の5500トン型軽巡洋艦の最終型です。1922年2月16日、三菱造船長崎造船所で起工、23年10月に竣工しました。マレー沖海戦、ミッドウェー海戦、第三次ソロモン海戦など名だたる海戦に参加して活躍しましたが、1943年のブーゲンビル島沖海戦にて、米艦隊の雷撃を受け魚雷2発を被弾、沈没しました。 #アオシマ #軽巡洋艦 #日本軍
040089 ウォーターラインシリーズ350 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本軽巡洋艦 鹿島
鹿島(かしま)は、香取型巡洋艦の2番艦として建造され、主に新兵の航海演習用の練習巡洋艦として開戦まで従事していました。開戦後、戦局の悪化に伴い戦線へと駆り出されましたが、激戦に巻き込まれることなく、輸送任務や護衛任務を主にこなし、そのまま終戦を迎え、戦後は復員輸送に従事し、1947年、解体されました。 #アオシマ #軽巡洋艦 #日本軍
? ウォーターラインシリーズ79 艦船 1/700ちょこ大佐
-
日本重巡洋艦 愛宕
重巡洋艦愛宕(あたご)は、高雄型巡洋艦の2番艦です。2番艦ながら竣工は高雄より早く、摩耶に代わって第二艦隊旗艦となりました。主に南方戦線に従事しましたが、さして激しい戦闘に巻き込まれることなく、第三次ソロモン海戦に突入します。この海戦は、海戦史上稀に見る戦艦対戦艦の戦いが勃発し、愛宕は敵連合艦隊サウスダコダやワシントンと砲撃戦を繰り広げ、被弾して呉に帰投します。その後レイテ沖海戦に栗田艦隊の旗艦として参加しましたが、米潜水艦の魚雷を受け撃沈しました。 #アオシマ #重巡洋艦 #日本軍
? ウォーターラインシリーズ17 艦船 1/700ちょこ大佐