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丸ノ内線全通記念乗車券
昭和34年3月15日に丸ノ内線が霞ヶ関から新宿まで延伸開業した際に発行された記念乗車券。 この時点で新宿-荻窪/方南町は一応着工されてはいたのですが、この記念乗車券に記されている通り丸ノ内線は「全通」の扱い。 新宿より西の区間が「荻窪線」という呼称に決まったのは翌年の昭和35年のことではありますが、新宿まで延びたこの時点ですでに別の路線名で呼ぶことは決まっていたような扱いですね。 この乗車券は開業当日に使用されたもので、郵便スタンプで言うところの「初日印」のようなもの。 入鋏は新宿三丁目駅で(伊)とありますので、「伊勢丹方面改札」を表していると思われます。 比較的多めに残っている記念乗車券なのでレア度は低いです。 昭和34年時点で増備されていた車両はすべて500形で、この年に竣工した車両は606~610と620~644の合計30両。 606~610は日立、620~632が近畿車輛、633~640が東急車輛となっており、先行表示機の左右に標識灯のついているほぼ最終グループ。 このうち620、623、624、633、634、637、639、640の8両は後にブエノスアイレス入りした131両の一部です。 2016年に日本に里帰りした4両には含まれていません。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #営団地下鉄 #丸ノ内線
霞ヶ関-新宿開業記念 記念乗車券 昭和34年showa_express
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ちまちま延びる丸ノ内線
昭和29年に池袋から御茶ノ水まで開業した丸ノ内線。 2年後には800メートル先の淡路町までやってきました。 まさか将来、千代田線や都営新宿線とも乗り換えできる駅になるとは・・・ 4カ月後にはもう2駅先の東京まで開業し、翌年には西銀座まで、さらにその翌年には霞ケ関までと、まるで匍匐前進のように路線が延びていきました。 今だったら券売機やサーバー、路線図の変更などなど、その都度ちまちまやってたら手間ばっかかかるのであり得ませんが、当時は他の地下鉄とも繋がってないし、少しでも早く便利に、という考えだったんでしょうね。 流れる車両側面のサインウェーブがきれいなデザイン。 丸ノ内線の記念乗車券の中ではまあまあレアな部類には入りますが、それでも星は2つだなあ。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #地下鉄
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和31年showa_express
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日本で4番目の地下鉄
丸ノ内線で最初の開業区間は池袋-御茶ノ水間で、開通は昭和29年1月20日。 これはそのときの記念乗車券。 開業にあたって赤い300形の3両編成10本が導入され、朝夕ラッシュ時3分30秒間隔、昼間4分間隔で運転されたそうです。 記念乗車券に描かれているのはこの300形。 サインウェーブまでは描かれていません。 このときの車両でトップナンバーの301は地下鉄博物館で静態展示中で中も見られます。 もともと丸ノ内線は1期工事では池袋から神田までを予定していたものの、御茶ノ水-神田間の道路の狭さから設計段階で諦め、御茶ノ水までとなったとのこと。 開業時の運賃は15円均一。 営団として初の、日本の戦後でも初の地下鉄開業となりましたが、日本全体では4番目に開業した地下鉄というのが意外なところ。 実は戦時中の昭和17年(5月10日)に3号線(現在の大トロ四つ橋線)大国町-花園町の1区間が本邦3番目の路線として単線開業していたのでした。(1番目:銀座線、2番目:御堂筋線) ※逓信省地下鉄道や宮城電鉄仙台、京阪京都など戦前の鉄道地下区間は地下鉄の概念に含めず #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #地下鉄
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和29年showa_express
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営業100キロ突破記念~丸ノ内線バージョン
5種類ある営団地下鉄営業100キロ突破記念乗車券のうちの丸ノ内線バージョン。 赤い500形が描かれてますが、マニアックなことを書くと、方向幕の両脇の方向標識灯がないので昭和35年以降製造グループ。車番は645以降。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #丸ノ内線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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荻窪まで到達
荻窪線の南阿佐ヶ谷-荻窪間開業の昭和37年1月23日に発行された全通記念乗車券。 全通は「本線」のみで、中野富士見町-方南町は2カ月後。 延びるトンネルを描いた図柄で、車両は描かれておらず当時の主流の比較的あっさりめなもの。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #荻窪線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和37年showa_express
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荻窪まであとちょっと
昭和36年の2月8日に新宿から新中野まで開業した荻窪線。 同じ年の11月1日には南阿佐ヶ谷まで開通し、これを記念して発行された乗車券。 終点の荻窪までは、それから約3カ月後の昭和37年1月23日にたどり着きました。 こういう小刻みに開通区間を延ばすのは、システム改修の手間など考えると今ではあり得ないでしょうね。 当時の経済成長や戦後復興などの勢い、意気込みを感じます。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #荻窪線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和36年showa_express
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フランク永井も歌った駅
池袋からちまちま延びてきた丸ノ内線が銀座にたどり着いたのは昭和32年の12月15日。 ここにできたのが西銀座駅で、銀座線の銀座駅とは物理的には繋がっていませんでした。 一応、西銀座駅と銀座駅の間では改札外乗り換えの扱いはあったようです。 7年後に日比谷線が延びてきて、3線が接続したときに西銀座駅は統合されて銀座駅となっています。 写真で見た開業当時の西銀座駅は、ちょうどこの記念乗車券に描かれているような、余計な広告類もなく柱がずっと見通せて明るいけれど、飾り気のない駅でした。 当時の記念乗車券は写真を使ったものはなく、すべて手描きのデザイン。 赤い電車が描かれていますが、この時点での丸ノ内線は300形と延伸用に増備された400形の2種類の電車が走っていました。 1年前の淡路町-東京間開業時点でも3連だったので、西銀座開業時も3連運用だったと思われます。 #記念乗車券 #営団地下鉄 #西銀座駅 #丸ノ内線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和32年showa_express
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荻窪線だった新宿以西区間
昭和36年2月、丸ノ内線の新宿以西、新宿-新中野間と方南町支線の中野坂上-中野富士見町間開業で発行された記念乗車券。 当時の新宿以西区間は正式に荻窪線と呼ばれており、全線を丸ノ内線に統一されたのは昭和47年のこと。 10年以上も荻窪線と呼ばれていたため馴染んでしまったのか、荻窪の親戚は平成になってもぽろっと「荻窪線」と言っておりました。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #荻窪線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和36年showa_express