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昭和12年のお正月
あけましておめでとうございます。 84年前の昭和12(1937)年は丑年でしたので、当時のマッチラベルを。 今年こそコロナ克服してよい年になりますように!
正月 マッチラベル 昭和12年showa_express
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藤山一郎「青い背広で」テイチクのマッチラベル
古賀政男に誘われ、ビクターからテイチクに移籍した藤山一郎が昭和12年に歌った「青い背広で」。 YouTubeにもちゃんと上がっているので聞きましたが、いかにも当時らしい旋律ですが、ニュースとかフランス人形という言葉が歌詞の中に入っており、戦前昭和のモダンな雰囲気が感じられました。 藤山は戦時中は南方に慰問に行っており、そこでも歌ったのかもしれません。 歌詞にある「街へあの娘と 行こうじゃないか」とか「長いまつげの 可愛い乙女」。 こんなの戦地で聞いたら郷愁を誘うでしょうね。 南方には2回行ってるようですが、現地で終戦となり、捕虜生活を送った後に帰国しています。 マッチラベルとしてはかなり珍しい部類に入ると思われる一品。 レコード新譜のマッチラベルはそれなりにあるのですが、これはよそでは見たことがありません。 #マッチラベル #テイチク #藤山一郎 #レコード #流行歌
マッチラベル テイチクレコード 昭和12年showa_express
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透明人間の館
昭和12年の3月15日から5月31日まで行われた「名古屋汎太平洋平和博覧会」。 国内や外地、科学、産業など26のパビリオンで実施され、会場中央を路面電車が貫通し、名古屋駅や熱田駅からは市電やバスが1分おきにシャトル運転されるなど、期間中の来場は480万人という太平洋戦争前最後の大型博覧会でした。 戦意高揚を図る目的で国防館もあり、会期中には戦艦伊勢が名古屋に寄港。 全舷上陸して観覧したそうです。 一方の陸軍は戦車などの展示はあったものの、博覧会名に「平和」とあるのが気に障ったようで、あまり協力的でなかったとの説もあります。 そんな中で一番人気だったのが、この「透明人間館」・・・笑 とうめいにんげん~? 透明人間ですよ? 透明人間! 透明だからって見に行ったら透明だから見えるわけもなく、建物の中が空っぽだったとか、そういうオチじゃないだろーな? で、調べたらわかりました。 これは、臓器を含む等身大の人間骨格を透明のプラスチックのスキンで覆った、標本というか模型の展示だったようです。 透明人間というよりも、人間の皮膚が透明になったらこんなふうに見えますという、キワモノではない科学系の真面目な展示物でした。 しかも非常に高価なもので「ドイツ・ドレスデン衛生博物館で約4万円で特製した世界に二つしかない透明人間が科学の神秘を物語っている」という解説が付けられていたそうです。 博覧会の写真は下記サイトにあります。 透明人間も出てますので、ぜひその目でご確認ください: http://www.peace-aichi.com/pdf/20181021_hakurankai1937_2.pdf 10ページあるPDFファイルですが、この中の「東會場 その六」にクダンの透明人間が載ってます。 博覧会の入場料は大人60銭、子供と軍人は30銭。 参考までに、昭和10に米1升の値段は30銭でした。 博覧会が終わると建物などは撤去されましたが、現在も博覧会のために造られた「平和橋」という運河を渡る橋が跡地に残っており、現役で使われています。 地下鉄名港線「港区役所駅」すぐ北側で、真下に地下鉄が通っています。 アールデコ様式の非常にデザイン性の良い橋ですが、直近には「ららぽーと」もあり、あまりにも普通に使われているため、気付く人はほとんどいません。 #スタンプ #名古屋汎太平洋平和博覧会 #名古屋 #博覧会 #戦前
名古屋汎太平洋平和博覧会 スタンプ 名古屋showa_express
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「くれない丸」か「くれなゐ丸」か
大阪商船が別府航路に就航させていた客船。 くれない丸は「紅丸」と漢字で書くのですが、初代は平仮名では「くれない」、2代目は「くれなゐ」と表記するらしい。 初代は明治33年に竣工した北ドイツ・ロイド汽船(Norddeutscher Lloyd)の長江航路用の河川専用船で、火災で全損後に大阪商船が買い取って大改修したもの。 2代目は大阪鉄工所で大正13年に竣工した国産船。 じゃあ、このスタンプは「くれない丸」とあるから初代のものかというと、なんか違うっぽい。 ネットで調べると「くれない丸」は前方のみにマストがあって、「くれなゐ丸」の方は前後に計2本のマストが写ってます。 さらに、この2隻の船が同じ船名で存在していたことはさすがにないようで、「くれなゐ丸」が就航するにあたって、初代の「くれない丸」は「鳴門丸」という名前に変更されたとあるので、昭和12年の紅丸は「くれなゐ丸」と見て間違いないでしょう。 なのでこのスタンプには「くれない丸」と記されていますが、本当は「くれなゐ丸」という結論になりました。 なんでこうなったのかは、もちろん分かりません。 「くれない丸」は戦争が終わった昭和20年の9月に座礁沈没。 後から生まれた「くれなゐ丸」は昭和19年に戦没しています。 なお、戦没地点はウィキペディアに記された座標ではミンダナオ島北東部の内陸になってしまう。 正しい戦没地点は戦没民間船舶統計によれば北緯9度0分東経122度20分で、これはミンダナオ島北西沖、ネグロス島南西沖になります。 毎度のことではありますが、内海航路の船が遠く離れた外洋で沈んでるのは悲しい。 #スタンプ #戦前 #大阪商船 #関西汽船
スタンプ 大阪商船 昭和12年showa_express
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ひょっとして誤植かもしれない
昭和12年の7月に東宝で行われた宝塚の「マンハッタンリズム」公演。 5月には本家の大劇場でも公演された作品で、他の作品と同様、遅れて東京宝塚で上演されたもの。 期間は7月1日から8月1日までの1カ月で、マンハッタン以外に「南都拾遺(なんとしゅうい)」「素襖落(すおうおとし)」の2本が同時公演。 宝塚系は手持ち資料が1冊しかなく公演内容など分かりませんので、そちら方面は専門家にお任せするとして、タイトルだけを見ていくと、このころは欧米を舞台にした公演が多くタイトルもカタカナ系が目立ってましたが、同じ年でも「少年航空兵」とか「南京爆撃隊」といった軍国系の内容の公演もあり、ちょうど時代の端境期だったようです。 それよりも注目は1枚目の公演記念スタンプ。 「マンハッタンリヅム」とあるけども、ひょっとっして「リズム」かな? 2枚目画像に同じ公演の宣伝マッチがあるのですが、そちらはちゃんと「リズム」になってますし、宝塚系サイトを漁っても、すべて「ズ」になってるから、これは・・・やっちまったかも。 残念ながら本家でのスタンプはありませんでしたので、そちらの比較はできませんでした。 #スタンプ #マッチラベル #宝塚 #戦前
スタンプ 東京/有楽町 昭和12年showa_express
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飛行場整備のための寄付金付き切手
航空愛国切手という寄付金付き切手に押された航空愛国週間のスタンプ。 愛国切手は国内で飛行場の整備を進めるために、その費用の一部を寄付金で集めようと発行されたものだそうです。 切手の発行日は昭和12年6月1日。 従って、この「週間」もそれに合わせて開始されたものと思われます。 切手は2銭、3銭、4銭の3種類で、寄付金額はいずれも2銭。 2銭は赤、3銭は紺、4銭は写真のように緑色でした。 描かれているのは日本アルプス上空のダグラスDC-2。 スタンプは北海道の留萌局のもの。 押印日は6月5日。 寄付金を集めるため、2銭のものは2358万枚、3銭は694万枚、4銭は2014万枚と大量発行されたということで相当な数が現存しており、現在のコレクター市場では全くレアもの扱いはされておりませんが、押されたスタンプの価値で★5個とさせていただきます。 #スタンプ #愛国切手 #戦前 #留萌 #エンタイア
航空愛国週間 スタンプ 北海道/留萌showa_express
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ジョージ6世の戴冠式
肝心な王冠はやや不鮮明ですが「英国皇帝陛下戴冠式記念」と記された記念スタンプ。 いったいどこでこういうスタンプが押せたのか、いまひとつナゾです。 年号など一切入っていませんが、時代的に1936(昭和11)年に王位に就いたジョージ6世のことと思われます。 実際に戴冠式が行われたのは翌1937(昭和12)年で、これを記念し英国で行われた観艦式には日本からは重巡足柄が派遣されました。 なお本艦について現地では「飢えた狼」というニックネームが付けられたそうです。 #スタンプ #戦前 #戴冠式 #英国
英国王戴冠式 スタンプ 昭和12年showa_express
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神風号の亜欧連絡飛行
昭和12年に朝日新聞によって行われた東京-ロンドン連絡飛行。 立川離陸後94時間17分56秒でロンドンに到着し、100時間を切るという目標を達成し、搭乗員は日本だけでなく、英国や経由地のフランスでも英雄となりました。 帰国後も大小さまざまな祝賀会など各種催しが開かれたといい、このスタンプもそういったイベントで押されたものと思われます。 実はこのスタンプ、京都大丸の来店記念スタンプと同じページに押されており、インクの色も全く同じなので、京都大丸で写真展かなにかイベントが行われていたのかもしれません。 朝日の社旗を中心にTOKIO→LONDONの文字や操縦桿を握る翼のはえた手など、デザイン的にもなかなか凝った、日本離れしたものになっています。 年号は皇紀で表されており2597年。 #スタンプ #戦前 #神風号 #亜欧連絡飛行 #朝日新聞
亜欧連絡飛行 スタンプ 京都かshowa_express
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昭和12年 雪組公演「セレナーデ」のスタンプ
宝塚の観劇記念スタンプは多種多様にあって、これもそのひとつ。 東宝で昭和12年2月3日から24日まで行われた雪組「セレナーデ」のもの。 同じ公演は1か月前には中劇場で、前年の12月にも同じく中劇場で行われている。 #スタンプ #戦前 #宝塚
スタンプ 昭和12年 東京宝塚劇場showa_express
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山に登るためのエレベーター
日和山(ひよりやま)という名前の山は日本のあちこちにあるみたいですね。 ウィキペディアにもちゃんと項目があって、北から南まで各地にあることが分かります。 ただ、ほとんどは所在地が羅列してあるだけで、項目ごとにページが存在しているものはわずか。 そんな中で独立して解説が載っている数少ないのが、この鳥羽の日和山。 漁師が天気を見るために登ったから、この名前があるそう。 しかし、山に登ってみたいのは観光客もまた然り。 ということで、登頂するためにつくられたのがエレベーター。 山とは言っても標高は69メートルだから、ちょいとした丘といった風情。 標高と比較するのもアレですが、大阪万博の太陽の塔は70メートルでした。 エレベーターは参宮線の鳥羽駅前にあったもので、東京タワーのように脚の開いた鉄塔のような見た目。 完成は昭和9年なので、このスタンプは3年後の押印ですね。 高さ51メートルまで上がって、そこから先は水平の橋を渡って山にたどり着くというものだったらしい。 もちろんタダなんて美味しいことはなく、片道5銭だったという。 戦後も残って動いていましたが、昭和49年に駅の火災で一緒に燃えてしまい、その後解体されたそうです。 鳥羽市のサイトに写真と解説が出ています:https://toba-archive.jp/content/detail.php?no=3275 #スタンプ #戦前 #鳥羽 #エレベーター
スタンプ 三重県/鳥羽市 昭和12年showa_express