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伸びゆく鉄道科学大博覧会記念のピース
鉄道90年を記念し昭和37年6月15日から7月10日まで、東京・晴海の国際展示場で開かれた「伸びゆく鉄道科学大博覧会」の記念たばこ。 例によってピースの10本入りとなってます。 この博覧会は東海道新幹線の開業を2年後に控え国鉄が大々的に開いたものですが、一応、主催は毎日新聞。 国内各地からC62、D51、C51、義経号といった蒸気機関車、電気機関車はムーミンと呼ばれたEF55のほかEF60、ED72が、ディーゼル機関車はDF50、DD13、電車は153系やクハ401、気動車からはキハ81、キハ28、さらには「あさかぜ」用のカニ22、除雪車のキ621やDMVの先祖であるアンヒビアン・バス043形、坊っちゃん列車の伊予鉄道1号機関車などが集められ、ちゃんと線路を敷いて展示されたそうです。 新幹線の前頭部が置いてあったという目撃談もあります。 大半の車両は当時現役で使われていたもので、晴海までの搬送は謎な部分も多いのですが、越中島貨物駅まで配給ないしは自力回送の後、そこに繋がっていた東京都港湾局専用線の晴海線で会場近くまで送り込まれたのではないかと類推する向きもあります。 さらに、晴海線に期間限定で線路を接続ないし分岐させ、国際展示場内まで線路が延伸されたのかも・・・と考えることもできますが、これはややファンタジーかも。 ただ、住宅のないエリアですし、いちいち短距離をトレーラーで陸送するよりは線路を繋いだ方が展示終了後も撤収しやすいですし、何よりそういうことがたやすくできてしまった時代だったということは事実です。 ここで展示された車両の中にはEF551やC621のように現存しているものもあります。 展示会に謎が多いのとは裏腹に、たばこパッケージ自体は非常に多く残存しているので全くレアではありません。 #たばこパッケージ #ピース
伸びゆく鉄道科学大博覧会 記念たばこ 東京/晴海showa_express
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地下鉄はどこから入れるの
昭和39年12月23日に最初の区間が開通した東西線。 そのときの記念乗車券。 高田馬場-九段下間のため地上区間はなく国鉄ともつながっていなかったので、車両はまだ開通していなかった工事中の九段下-竹橋間のトンネル直上からクレーンで吊り下げて搬入しました。 作業は東京五輪終了後に行い、1か月半かかったそうです。 運賃の20円は東西線特定運賃で、他線区は4キロ20円のところ、東西線は建設費など償却のため3キロ20円とのこと(出典:メトロアーカイブによる)。 車両は5000系3連6本(18両)の陣容。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #地下鉄 #東西線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和39年showa_express
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日比谷線全通記念
日比谷線で最後まで開通していなかった霞ケ関-東銀座がつながり、今と同じ形になったのは五輪開幕直前の昭和39年8月29日。 これをもって伊勢崎線に加え西端で東横線とも直通運転を開始しました。それを記念して発行された乗車券。 大して珍しい券ではありません。 この路線の直通運転は伊勢崎線直通は中目黒発、東横線直通は北千住発で、現在他線での相互乗り入れでは普通である3線(ないし4線)通し運転の列車はありませんでした。 日比谷線の編成の中には3直可能な3社ATS搭載編成と自社以外東武ないし東急のATSにしか対応していない編成が混在していたことによります。 北越谷発日吉行きはなかったわけです(一応)。 また、編成両数は6連24本と4連10本の2種類あり、全編成6連化されたのは昭和44年9月。 8連化完了は昭和46年5月でした。 しかしま、将来東横線への直通が中止されることになるとは誰も想像してなかったでしょうね。 日比谷線車両が南北線、三田線に加え副都心線の車両とも並ぶ姿を夢想したものですが・・・ (副都心線開業前の車両お披露目運用では実現) #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #日比谷線 #東急東横線 #東武伊勢崎線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和39年showa_express
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東京五輪の寄付金付き
東京五輪の寄付金が売値に含まれていたオリンピアス。 五輪は1964(昭和39)年開催ですが、オリンピアスが発売されたのは1年前の昭和38年。 売価60円のうち10円が五輪のために寄付される仕組みで、目標額は3億円だったものが、五輪開催の昭和39年10月までに3億2264万円集まったそうです。 もともとは両切りで販売開始したもののあまり売れず、フィルター付きにしたら人気に火がついたらしい。 寄付金集めが主目的だったため、売られていたのは昭和38、39年の2年間のみ。 もちろん、宣伝用の広告付きパッケージもありました。 #タバコパッケージ #東京五輪 #オリンピック
タバコパッケージ 日本 昭和38、39年showa_express
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スカート履いてたんです
日比谷線で一番最初に開通した区間は昭和36年3月28日の南千住ー仲御徒町間。 これはその時の記念乗車券で、新橋駅で入鋏されてますね。 イラストでは長い編成に見えますが、この時代の日比谷線は2両編成で、8編成16両の陣容。 先頭車にアルミ製のスカートが付いているのが最大の特徴で、連結器はこの中に押し込まれていました。 2両編成だったのはこのときまでで、翌年の南千住-北千住、仲御徒町-人形町開通で4連化されています。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #日比谷線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和36年showa_express
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営業100キロ突破記念~日比谷線バージョン
営団地下鉄営業100キロ突破記念の最後の1種類は日比谷線バージョン。 昭和44年時点での日比谷線は北千住-中目黒全通から5年たっており、伊勢崎線と東横線に直通していた。 描かれている車両は3000系で、当時は4500形を組み込んだ6両編成。 3500形組み込みによる8連化が完了したのは昭和46年(5月)になってから。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #日比谷線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~丸ノ内線バージョン
5種類ある営団地下鉄営業100キロ突破記念乗車券のうちの丸ノ内線バージョン。 赤い500形が描かれてますが、マニアックなことを書くと、方向幕の両脇の方向標識灯がないので昭和35年以降製造グループ。車番は645以降。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #丸ノ内線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~銀座線バージョン
営業100キロ記念の銀座線バージョン。 銀座線の営業距離は長らく14.3キロだったが、現在の渋谷駅工事が終わると130メートルほど短くなる予定。 描かれているのは01系導入まで主力だった2000形。 銀座線引退後は一部が日立電鉄と銚子電鉄に改造のうえ譲渡されたが、日立電鉄は廃線になり、銚子の2両も引退済み。銚子では1両を車庫で保管している。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #銀座線 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~千代田線バージョン
営団地下鉄の営業100キロ突破記念乗車券の千代田線バージョン。 昭和44年12月20日に北千住-大手町で開通した千代田線は、6000系が竣工していなかった関係で、東西線と同様の5000系で営業をスタート。 この乗車券の絵柄を見ると長めの編成に見えるけど、開通当初は3両編成(10編成:計30両)でした。 しかし1年後の昭和45年12月14日には中間2両を増備し5連化。 ただ編成数は変わらず10編成。 昭和46年になり3月20日の大手町-霞ケ関延伸開業と、4月20日の北千住-綾瀬延伸及び常磐線直通運転をもって10連化されました。 5000系は5連2本を繋げ10連化(10連×5本)し、6000系は13編成新造し、千代田線は両系列合わせ18編成の陣容となりました。 千代田線の5000系は東西線のお古ではなくレッキとした新造車で、製造年も6000系と2年しか違わないにも関わらず、乗客からは「ハズレ」的な印象で見られていたようです。 代々木上原開業後も残っていましたが、小田急への直通はありませんでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~東西線バージョン
昭和44年の12月20日に千代田線の大手町-北千住が開業し、営団地下鉄の営業キロが100キロを超えたことにちなんで発行された5種類の記念乗車券。 これは東西線バージョン。 東西線は同じ年の3月29日に中野-西船橋が全通しており、営業距離では30キロ超と、今現在でも東京メトロで最長の路線となっている。 この時代の2位は丸ノ内線の27.4キロ(方南町支線3.2キロ含む)だが、現在では有楽町線(和光市-新木場28.3キロ)に抜かれ3位となっている。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #地下鉄 #東西線 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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末広町から50円
東西線が大手町から東陽町まで延伸開業した昭和42年の記念乗車券。 どことなく日比谷線3000系っぽいけど、思い切りの良い省略っぷりの5000系が描かれてますね。 乗車券としては東西線とは関係のない末広町からの50円券。 東西線なのに東西線の駅発になってませんが、この時代の営団地下鉄はそういう記念乗車券が結構ありました。 同じ記念乗車券がもう1枚ありますが、そちらはちゃんと九段下になってます。 50円券ですが、昭和42年時点での営団地下鉄初乗り運賃は30円で、これは昭和41年からの額。 40円に値上がりしたのは昭和47年からで、その後60円、80円と推移し、3桁の100円になったのは昭和57年からでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和42年showa_express
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大雑把過ぎる5000系
あまりにも大雑把な5000系の描かれた東西線全通記念の乗車券。 ヘッドライトぐらい描けよなあ・・・ 東陽町から西船まで延びて両端で国鉄との乗り入れが始まっったわけですが、混雑する国鉄総武中央線のバイパスが目的だったから、開通当初の延伸区間沿線は人なんてろくに住んでおらず田んぼだらけ。 当然土地も安いから地下ではなく高架で建設したわけです。 昭和40年代後半に親戚の一人が浦安に越しまして。 ディズニーランドもあるわけなく、みんなで「うらやす? 何やそれ? 初耳~」などと笑っていたんですが、こんなに有名になっちまうとは! #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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未来の電車だった千代田線6000系
昭和44年に北千住-大手町で開通した千代田線。 当時は6000系の竣工が間に合っておらず、東西線と同様の5000系での運転でした。 2年後の昭和46年3月20日に大手町-霞ケ関開通で6000系投入。 ちょうど1カ月後の4月20日に北千住-綾瀬が開通して常磐(緩行)線に直通を開始し、発行されたのがこの3枚セットの記念乗車券です。 大雑把なイラストが多かった当時の記念乗車券にあって、デザイン的にも現代に通じる新しいものになっています。 6000系はかっこよかったですね。 子供のころ、初めて6000系を見たときのインパクトは忘れません。 あれは未来から来た電車でした。 非常ドアがオフセットされた先頭車の窓デザインが異次元でしたもん。 だから、千代田線の駅で電車を待っていて国鉄車(103系1000番台)が来たときのがっかり感は半端なかったです(これだって新車なんですけどね)。 営団の車両は爆弾ドアと言われ、6000系は客室窓やドア窓が小さいことから監獄電車とも呼ばれていましたが、今でも好きな車両です。 ところで、知り合いから聞いた話で恐縮ですが、その人の親類が千代田線の建設現場で何かの親方をやっていたらしく、現場で10万円入り財布を生コンの中に落として、後日「千代田線のトンネルの中には10万円埋まってるぞ」と吹聴してたらしい(笑)。嘘かホントか知りませんが。 いやしかし、話が本当だとして当時の10万円って。 落としたのは大手町より北の工区ということで、着工は昭和41年で開通が昭和44年の1期分。 とりあえず昭和45年の大卒初任給が2万3000円というデータだから・・・なかなかヤバいですね。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和46年showa_express
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2区間同時に開通
中野-竹橋開通とあるが、高田馬場-九段下は開通済みで、それぞれの両端、九段下-竹橋と高田馬場-中野間開通を祝した記念乗車券。 中野までは到達したが国鉄への乗り入れは翌月28日からで、しかも営団側からの片乗り入れで、荻窪まで。 国鉄車が東西線を走るようになったのは同じ年の10月1日に竹橋-大手町が開通してから。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和41年showa_express