-
大連三越の来店記念スタンプ
ちょいと印影悪いですが、昭和13年1月3日の日付が入っている大連三越の来店記念スタンプ。 昭和12年開業とのことで、塔屋付きの鉄筋5階建て。 建物は現存しており、旅行者のブログなどを見るといっときは全体がピンク色に塗られた女性用百貨店になってたが、今はグレーで1階にZARAが入ってるとか。 別図柄のスタンプもあります。 #三越 #満州 #大連 #戦前 #記念スタンプ
記念スタンプ 三越 大連showa_express
-
【戦後】国鉄近代化展のスタンプ~昭和37年
国鉄近代化展と記されている記念のスタンプ。 名古屋駅で昭和37年に開かれた催しに際して押されたものと思われます。 ヤフーで調べると毎日新聞の2018年の記事が一番上に表示されますが、そこにはきっぷ(硬券)を模した催しの入場券の写真が出ていて、国鉄中国支社の文字のほか、中国地方地盤の百貨店「天満屋」の名前が開催場所として出ていますから、国内各地で開かれていたのでしょう。 このスタンプは当時の郵便はがきに押されたものですが、はがきだけあって、流石に押されたスタンプの印影も実にきれいで見やすいですね。 展示の内容は分かりませんが、たぶん路線の電化推進や新型車両、スピードアップなど当時の技術や将来計画なんかを紹介したものなんじゃないかなと想像しています。 #スタンプ #国鉄
国鉄近代化展 記念スタンプ 愛知/名古屋showa_express
-
日米開戦の日
12月8日ということで、日米開戦の日。 これはそれを記念して作られたスタンプなのですが、どういった場所で押されたのかというと、戦時中に各地で行われた戦意高揚を目的とした「聖戦博覧会」のような会場で押されたのでしょう。 これが押されていたスタンプ帳の表紙には「大東亜建設戦博覧会記念スタンプ」とあり、表紙の裏には諏訪(長野)で昭和17年11月15日に押印した旨、メモ書きが残っています。 昭和17年の展覧会なので、それ以前に終了している作戦のものに限られるわけで、例えばマレー沖海戦(昭和16年12月10日)、武漢三鎮占領(昭和13年10月27日)、皇軍上海敵前上陸(昭和12年8月23日)、シンガポール市街突入(昭和17年2月11日)、スラバヤ沖大海戦(昭和17年2月27日)といった多種多様なスタンプが押されています。 #記念スタンプ #戦中
大東亜建設戦博覧会 記念スタンプ 昭和17年showa_express
-
ラジオ本放送開始の日
7月12日はラジオ本放送開始の日なのだそうです。 1925年だから大正14年。 基本、戦前昭和を扱っているため、大正マターはほとんど持ち合わせておりませんので、放送つながりで名古屋放送局と京都放送局のマッチラベルと大阪放送局の郵便小型記念印。 JOCKの名古屋放送局は同じ大正14年の7月15日から放送を始めたそうなので、わずか3日遅れだったんですね。 マッチラベルは戦前昭和のもので、ラジオを聞いてニッコリしている家族が描かれてます。 実に楽しそう。 じゃあ、どんなものを放送していたんだろうと想像が膨らみますが、2枚目の京都放送局(JOOK)のマッチラベルには放送種目が羅列されています。 それによると、 ラヂオ体操、経済市況、料理献立、ニュースのほか気象や時報、告知(お知らせ)に子供向け、音楽などなど、今とそれほど変わってはいませんね。 ラジオ体操を最初に放送したのは昭和3年8月1日開始の大阪放送局らしいので、このラベルは少なくともその後ということになるでしょう。 3枚目は大阪放送局新局舎完成記念の郵便小型記念印。 ウィキペディアによると落成式は昭和11年10月21日とありますが、この記念印は11月21日ですね。 押印期間は11月21日から24日までと確かな資料にも出ています。 丸の中に「放」のマークは日本放送協会のマークでしょう。 当時の放送局型受信機や玄関に貼る受信章にも同じマークがあしらわれています。 #マッチラベル #郵便スタンプ #記念印 #戦前 #ラジオ #日本放送協会 #名古屋放送局 #大阪放送局 #京都放送局 #NHK
マッチラベル 記念スタンプ 名古屋、京都、大阪showa_express
-
天王寺まで延びた御堂筋線
信じられないほどきれいに押印され、そのまま現在まで残った地下鉄梅田-天王寺間開業を祝う大鉄電車のスタンプ。 大阪の地下鉄1号線(現・御堂筋線)が昭和13年4月21日に難波から天王寺まで延伸開業したのにあわせて用意されたものでしょう。 押印日付は延伸翌日の22日になってます。 「梅田アベノ橋間」全通とありますが、地下鉄の駅名としては天王寺なので、「愈々(いよいよ)便利になる」とあるように、大鉄側から見た利便性を謳う文言です。 地下鉄延伸で接続が良くなることを表すため、手を握り合う意匠は昭和10年に1号線が難波まで延伸した際に南海電車が用意したスタンプにも使われており、ひょっとしたらデザイナーあるいはその所属先の事務所が同じだったのかもしれません。 このデザインは関東では見かけません。 描かれている建物は大鐵百貨店で、地下鉄延伸前年の昭和12年11月に全館開業とのこと。 後に近鉄百貨店阿倍野店となり、現在は「あべのハルカス」になってます。 #記念スタンプ #大阪鉄道 #大阪阿部野橋駅 #大鐵百貨店 #近鉄百貨店 #天王寺駅 #御堂筋線 #近鉄 #南大阪線 #大阪メトロ #あべのハルカス #戦前
記念スタンプ 大阪/天王寺 昭和13年showa_express
-
1月1日消印の戦前スタンプ
1月1日消印の戦前スタンプを探してみましたが、2枚しかありませんでした。 1枚は京都で昭和11年に押されたもので、鶴が飛んでます。 もう1枚は昭和13年に押された上海の野戦郵便局のもので、祝勝新年の文字と長城と思われる建造物の上を飛ぶ飛行機と日章旗が描かれてますね。 戦前の小型記念印のカタログがあるのですが、この図柄は収録されていなかったので詳細は不明です。 #記念スタンプ #戦前 #元旦 #昭和レトロ ※間違えて上海野戦局の「南京陥落記念」を貼ってしまったので差し替えました。
お正月 記念スタンプ 京都、上海showa_express
-
横浜高等工業学校の記念祭スタンプ(造船科)
横浜高工って記されているので調べると横浜高等工業学校とのことで、現在の横浜国大工学部でした。 学校ができたのが大正9(1920)年なので、第16回記念祭はスタンプにもある通り1936(昭和11)年の開催になります。 造船科は昭和4年開設で正式名称は造船工学科だそうです。 記念スタンプは造船科だけあって船のデザインですが、わざわ2種類も用意するという意気込みが伝わってきます。 この学校には造船以外に建築や応用化学、電気化学、機械工学の各科もありましたので、ひょっとしたらこれらの学科も記念祭に合わせてスタンプを出していたのかもしれませんが、手元にはこの造船科しかありません。 校舎は現在も残っていて、横浜国大の附属中学が使っているそうです。 場所はブルーラインの弘明寺駅前です。 #スタンプ #戦前 #横浜高等工業学校 #横浜国大
横浜高等工業学校第16回記念祭 記念スタンプ 横浜showa_express
-
郵便「はがき」じゃなくって「はかき」
なんか普通の郵便の消印のように押されてるスタンプですが、参急電車と記してあるように、これは鉄道のスタンプです。 参急は参宮急行電鉄の略で、桜井駅から中川(現在の伊勢中川)を経由して宇治山田に至る現在の近鉄大阪線、山田線、さらには中川から津に至る現在の近鉄名古屋線の一部を運営していた鉄道会社。 参急と名乗ってはいましたが、上本町-桜井間などを運営していた大阪電気軌道(大軌)が設立した会社で、昭和16年には合併して関西急行鉄道(関急)となってます。 さらに関急も大阪鉄道(大鉄=現在の近鉄南大阪線、吉野線)を昭和18年に合併、さらに昭和19年には南海とくっついて近畿日本鉄道(近鉄)となりました。 なお、関西急行鉄道(関急)とは別に、関西急行電鉄(関急電)って会社もありました。 津から桑名までは伊勢電鉄って会社が線路を敷いたのですが、無理がたたって参急に合併され、桑名から名古屋まで線路を延ばすために大軌がつくった会社が関西急行電鉄で、これは現在の近鉄名古屋線ということで、結局は何でもかんでも近鉄になったのです! 何が何やら(汗) で、それは置いといて、今回のはがき、じゃなくって「はかき」。 今では郵便の葉書きは「はがき」と読みますが、大昔は「が」じゃなくって「か」、すなわち「はかき」と呼んでいたらしいのです。 「書き」は「がき」でも「かき」でも、どちらも読み方としては正しいですもんね。 日本で官製はがきができたのは明治6年とのことなので、きっとこのときから「はかき」と表記されていたんじゃないかと思うのですが、この方面は詳しくないので確証はありません。 ただ、表記が「はがき」に変わった時期は昭和8年の2月だそうで、これだけは確かなようです。 今回のスタンプは昭和7年なので、「はがき」でなく「はかき」になってますね。 手持ちのものを調べたら、昭和8年2月以前に押印された葉書きは確かに全部「はかき」でした。 もちろん、いつの時代にも物持ちのいい人はいますので、昭和10年代のスタンプでも「はがき」でなく「はかき」に押印されているものは、ちょくちょく見かけます。 #スタンプ #参宮急行電鉄 #近畿日本鉄道 #伊勢神宮 #戦前
記念スタンプ 参宮急行電鉄 伊勢showa_express
-
令和2年には明治神宮鎮座100年
明治神宮ってあまりにもメジャーな初詣の場所なので大昔からあるような気がするけれども、御祭神が明治天皇とその皇后さまである昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)なので、建てられたのはお二人が亡くなった後の大正9年11月1日。この日が鎮座祭です。 大正9年は西暦では1920年なので、来年の2020(令和2)年は鎮座100年ということになりますね。 この切手とスタンプ(特印)は鎮座10年にあたる1930(昭和5)年11月1日に発行されたもので、切手はオレンジ色の3銭と緑色で1銭5厘の2種類があります。 スタンプの押印は11月3日で留萌局のもの。 押印スタートは1日からですが、何日まで使用されたかは残念ながら分かりません。 描かれているのは神宮正面南神門と参道の灯籠となっています。 国内各地のほか、台湾や朝鮮など外地の局にも配備されました。 切手は3銭のものが308万枚、1銭5厘は307万枚発行。 保存状態の良いシートでない限り、そんなに価値のあるものではありません。 #記念小型印 #戦前 #明治神宮 #明治神宮鎮座10年記念 #記念切手
明治神宮鎮座10年記念 記念スタンプ 留萌showa_express
-
前畑頑張れ!の五輪
「世界オリムピック競技大会遠征記念」とあるスタンプ。 戦前の五輪で日本がメダルを獲得したことで有名なのは1928年のアムステルダム大会(マラソンの人見絹枝)、1932年ロサンゼルス大会(馬術のバロン西など)や前畑頑張れ!で有名な1936年ベルリン大会があるけれども、このスタンプにはどの大会なのか記載がないので不明。 ただ、スタンプの右下付近に鷲のマークが付いているから、たぶんベルリン大会でしょう。 当時も五輪での活躍を記念して報道写真やユニホームの展示などが行われたそうなので、そういった催しで押されたスタンプではないかと推測しています。 ほかにも五輪関係はいろんなスタンプがあります。 中には幻となった1940年東京大会を盛り上げるものも残っています。
ベルリン五輪 記念スタンプ 戦前showa_express