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MERCEDES BENZ TYPE 190E 2.3-16 #11 AYRTON SENNA WINNER RACE OF CHAMPION NURBURGRING 1984
このモデルのアイルトン・セナ選手がドライブするレースは、1984年ニュルブルクリンク レース オブ チャンピオンズ (ROC)で、メルセデス ベンツが主催し、1984年5月12日に同コースのサーキット開通を記念してニュルブルクリンク GP シュトレケで開催されたエキシビション レースです。 このイベントには、当時存命だった14人のF1世界チャンピオンのうち9人(そして将来チャンピオンとなるアラン・プロスト選手とアイルトン・セナ選手の2人)を含む世界のトップドライバー20人が参加し、主要な自動車レースにおいて史上最多のF1世界チャンピオンレースとなりました。すべてのドライバーは、レースに若干の変更を加えた新しいメルセデス・ベンツ 190 E 2.3-16の同一のモデルで競い合いました。 12周のレースはセナが優勝し、同等のマシンで世界最高のドライバー数名を破り、セナが自動車レースの世界舞台に頭角を現した第一歩でありました。 F1は1976年のドイツGP以来、ニュルブルクリンクでのレースを行っていませんでした。このレースでニキ・ラウダ選手が北コースで瀕死の重傷を負ったことにより、その後の開催が見送られていたこともあり、F1を会場に戻すための取り組みで、その後開発されたより厳しい安全要件を満たすために、新しく短いレイアウトが提案されました。GPシュトレッケは1981年11月30日に起工し、2 年をかけて建設され、1984年10月のF1ヨーロッパ グランプリの開催地に選ばれました(F1ドイツGPはホッケンハイムで開催)。 「レース・オブ・チャンピオンズ」のコンセプトは、このレース場を紹介し、F1 復帰への関心を高めるために考案されました。 メルセデス・ベンツは、スポーティで空力的な外観と既存のメルセデス 190を再開発した 2.3 リッター 16 バルブ エンジンを特徴とする「190 E 2.3-16」を発売する予定でした。このイベントは、この新しいスポーツ モデルをマーケティングする良い機会となったため、20 台のサンプルが用意されました。車の半分はラウシュシルバー(スモークシルバー)で塗装され、残りの半分はブラウシュヴァルツメタリック(青と黒のメタリック)で塗装されました。エンジニアのゲルハルト・レープラー氏は、安全性と性能に若干の変更を加えて車両のレースへの適合性を確保しました。 ポールポジションは、アラン・プロスト選手でしたが、優勝は、このモデルのアイルトン・セナ選手が獲得しました。 ドライバーたちはセナのパフォーマンスに感銘を受け、伝えられるところによると、ジョン・サーティース選手はフェラーリのドライバー時代に親交を深めていたエンツォ・フェラーリ氏に、セナを雇うよう促したといいます。また、レース中ずっと彼の後を追っていたジョン・ワトソン選手は、特にシケインでの彼の攻撃的なドライビングを賞賛しました。 そしてセナは、3週間後のF1モナコGPで豪雨の中2位に食い込み、このレースパフォーマンスを裏付けました。 なお、190 E はDTMで大きな成功を収め、 1986 年から1993 年までレースで優勝し、1991 年と1992年にはメルセデス・ベンツのコンストラクターズ タイトル、1992 年にはクラウス・ルートヴィヒ選手がドライバーズ タイトルを獲得しました。 ニュルブルクリンク(ROC)レース結果 1 11 Brazil アイルトン・セナ 2 18 Austria ニキ・ラウダ 3 4 Argentina カルロス・ロイテマン 4 3 Finland ケケ・ロズベルグ 5 9 United Kingdom ジョン・ワトソン 6 16 New Zealand デニー・ハルム 7 19 South Africa ジョディ・シェクター 8 2 Australia ジャック・ブラバム 9 12 West Germany クラウス・ルートヴィヒ 10 15 United Kingdom ジェームス・ハント 11 17 United Kingdom ジョン・サーティース 12 14 United States フィル・ヒル 13 6 Liechtenstein マンフレッド・シュルティ 14 1 United Kingdom スターリング・モス 15 5 France アラン・プロスト 16 21 West Germany ウド・シュッツ 17 7 France ジャック・ラフィット 18 8 West Germany ハンス・ヘルマン 19 20 Italy エリオ・デ・アンジェリス RET 10 Australia アラン・ジョーンズ (参照ウィキペディア) エキジビション的要素の多いレースの結果ではありますが、それでもF1チャンピオンの錚々たるドライバーたちを抑えて優勝した新人セナは、何をやっても凄いです! #minichamps #mercedes #メルセデス #benz #ベンツ #ayrtonsenna #アイルトンセナ #germany #ドイツ
11 AYRTON SENNA RACING CAR COLLECTION EDITION 43 NO.11 OTHER RACE (FOREIGN) 1/43sennakazu
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トヨタ パブリカ ピックアップ KP39P 1984 塗料店
パブリカは、1950年代の国民車構想の影響を受けて開発されたトヨタ初の大衆車で、長年にわたって同社の生産、販売する最小クラスの車種として位置づけられました。 その後は、スターレット→ヴィッツ→ヤリスへとつながるトヨタにおけるエントリー系コンパクトカーの源流でありました。 日本製の大衆車として初の水平対向エンジン搭載車であり、この水平対向エンジンはのちにミニエースやスポーツ800への搭載を経て、晩年にはトヨタ・ライトバス→初代コースター用の車載用クーラー専用サブエンジンとして受け継がれていきました。 ちなみに、「パブリカ」という車名は、当時流行していた一般公募によって命名されたものであり、由来は「大衆車」を意味する英語「パブリック・カー」(Public car)を略した造語であり、国民車にふさわしい名称であると評価されました。 1969年(昭和44年)4月、フルモデルチェンジで2代目(UP/KP30型)となり、2U-C型/2U-B型 空冷800 ccエンジンも残されましたが、主力は初代カローラに搭載されていたK型エンジン(1,100 cc)のボアを縮小した水冷直列4気筒1,000 ccの2K型エンジンとなりました。 トラックモデルは「ピックアップ」と改称され、業務提携先の日野自動車では、羽村工場内に小型車専用ラインを設け、商用モデルの組み立てに参加しました。 その後、何度かのマイナーチェンジと仕様の変更が行われてきましたが、商用モデルは、バンが1978年(昭和53年)10月の2代目スターレットバン登場まで販売され、残ったピックアップはエンジンを昭和54年排出ガス規制適合の1,300cc 4K-J型(型式はJ-KP39P)に変更し、1988年(昭和63年)3月をもって販売終了となり、パブリカは27年の歴史に終止符を打ちました。 (参照ウィキペディア) #hachette #toyota #トヨタ #truck #トラック ###
高岡塗料店 懐かしの商用車 1/43 パブリカ ピックアップ KP39Psennakazu
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PORSCHE 956B DRM NURBURGRING 1000km 1984 AYRTON SENNA
ポルシェ・956は、1982年に発効したFIAの新規定のひとつであるグループCに合わせて開発したポルシェのプロトタイプレーシングカーです。デビュー年の1982年はワークス・チームのみが956を使用していましたが、1983年から有力なカスタマー・チームにも販売されるようになり、956の後継車ポルシェ・962とともに世界中のスポーツカーレースで活躍しました。 このモデルは、アイルトン・セナ選手が、トールマンチームからF1デビューした1984年に、アメリカ・ダラスGPとドイツGPとの2週間の間の7月15日に開催された、ドイツレーシングカー選手権 (DRM)のニュルブルクリンク1000km耐久レースに参戦したヨーストレーシングチームのマシン/ニューマンポルシェ956B(シャシーNo.956/117、ポルシェAG製カスタマー仕様956Bスペックの7号車)です。ちなみにニューマンとは日本のメーカー『タカQ』のブランド名であります) セナは、当時ヨーストレーシングのレギュラードライバーだったステファン・ヨハンソン選手とアンリ・ペスカローロ選手と共に出場し、予選9位、決勝8位の成績でした。 このシャシーNo.956/117は、1984年及び1985年と2年連続でルマン24時間を征したシャシーであり、セナが生涯唯一のCカーレースで、この伝説のシャシーを使用してレースをしたとは。。 やはり彼は「持って」いましたね。 なお、通常、F1モデルを除くレーシングカーモデルには、ドライバーフィギュアを乗せることはほぼ無いのですが、このモデルにはしっかりとステアリングを握るセナが『鎮座』しております!(見づらいですが7枚目の画像を参照願います) #minichamps #ミニチャンプス #porsche #ポルシェ #germany #ドイツ ##
7 AYRTON SENNA RACING CAR COLLECTION EDITION 43 NO.17 OTHER RACE (FOREIGN) 1/43sennakazu
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CHEVROLET CORVETTE C4 1984
シボレー・コルベットは、ゼネラルモーターズ(GM)のシボレーブランドによって販売されている4代目のマシン。 C4型では世界的情勢を意識し、それまでのアメリカニズムを押し出したデザインから大きく路線変更することとなり、全体的に洗練されたヨーロピアンスタイルをまといました。大きく盛り上がったフェンダーなどはなだらかに整形され、空力にも十分な配慮がなされるこで、Cd値は0.34と当時のスポーツカーとしては高い数値となりました。 構造的にも先代とはエンジン以外のほぼ全てを新規設計とし、エンジンを前輪車軸後部に搭載するフロントミッドシップレイアウトを採用し、49:51とスポーツカーとして理想的な前後重量配分を実現し、素材にFRPを用いることで軽量化に配慮しました。(参照ウィキペディア) 映画やドラマなどで観ているせいなのか、もっと大きなクルマを想像していましたが、小型ながらも日本には一番しっくりといくクルマだと思います。 DATE: 205 CV SAE NET 5,733cc V8 FRONT 241 KM/H 13.3L/100KM $21,800 #deagostini #chevrolet #シボレー #corvette #コルベット #usa #アメリカ
AMERICAN CAR COLLECTION 1/43 CORVETTE C4 DEAGOSTINIsennakazu
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McLAREN MP4/2 TAG TURBO N.LAUDA WORLD CHAMPION 1984
1984年から1986年まで活躍したジョン・バーナードが設計した最強マシンです。エンジンはTAGポルシェ(テクニーク・ダバンギャルドの資金を得てポルシェが開発) 。3年間でコンストラクターズ2回、ドライバーズ3回(ニキ・ラウダ選手1回、アラン・プロスト選手2回)。全48戦出走して22勝を上げてます。 1984年、全16戦12勝のこの二人が優勝争いを繰り広げ、0.5ポイント差でラウダ選手に軍配が上がりました。 (参照ウィキペディア) #minichamps #mclaren #tag #porsche #lauda #uk #イギリス #worldchampion
8 McLAREN COLLECTION EDITION 43 NO.20 FORMULA 1 1/43sennakazu
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AUDI SPORT QUATTRO 1st 3 STADTE RALLY 1984 “VERSION START OF RALLY”
WRCで優位に立つために開発されたアウディ・スポーツクアトロでしたが、この年1984年はラリー・コートジボワールの1勝のみでした。でも、強くなくてもこのモデルはカッコいいです。市販車を少しラリー仕様にしたシンプルさが好きです。もちろんシンプルなカラーリングもです。 #trofeu #audi #アウディ #quattro #rally #ラリー #germany #ドイツ
1 RALLY 1/43 AUDIsennakazu
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FROM A PORSCHE 956 WEC JAPAN FUJI 1000km 1984
風が流れるような華麗なボディ。空力と美しさを備えたマシンを設計するスポーツカーデザイナーは本当に凄いと思います。 現代の緻密な空力には敵わないと思いますが、やっぱりこの時代のスポーツカーが好きですねェ。 #ebbro #wec #porsche #ポルシェ #germany #ドイツ #fuji #japan
16 WEC 1/43 FROM A PORSCHEsennakazu
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LOTUS 95T EAST US GP 1984 2nd E.D.ANGELIS
ロータスの中でも、この頃の“JPS”カラーは、キリッとしてとてもカッコよく見えました。鉄の棺桶と言われてました。 学生時代、カッコつけてこのタバコを買って吸ってましたが、あまり美味しくなかったですね。高いし。。 #spark #lotus #formula1 #ロータス #uk #イギリス
11 FORMULA 1 1/43 LOTUSsennakazu