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SHIMAJIRO CAR II しまじろうカー Ⅱ
かわいいトミカを発見してポチッと! 孫への永久貸し出し用になるため、 無傷のうちにパチリ! しまちゃん、かわいいねぇ〜、 と喜んでいました! #tomica #shimajiro #しまじろう ###
TV & MOVIE etc ? しまじろう SHIMAJIRO CAR IIsennakazu
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LOTUS RENAULT 97T #12 AYRTON SENNA 1985
ロータス・97Tは、チーム・ロータスが1985年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、設計はジェラール・ドゥカルージュ氏、1985年の開幕戦から最終戦まで実戦投入されました。 基本的なデザインは95TとCART用のマシンであった96を踏襲していますが、シャーシは95Tとは違い、カーボンファイバーでアルミハニカムをサンドイッチする方式に変更されており、これは96からもたらされたものでした。シーズン初期は、前輪とサイドポンツーンの間にバージボードが搭載されていました。エンジンは引き続きルノー製を搭載しています。 ドライバーは、エリオ・デ・アンジェリス選手とアイルトン・セナ選手でしたが、No.2ドライバーとしてチームに加入したセナが、デ・アンジェリスを上回る速さを見せ、第2戦ポルトガルGPではポールポジションを獲得、そして初優勝、ファステストラップを記録し、ハットトリックを成しえました。 記録としては、年間3勝 8PPで、コンストラクターズランキング3位。 ドライバーズランキング4位(アイルトン・セナ)2勝 7PP ドライバーズランキング5位(エリオ・デ・アンジェリス)1勝 1PP でした。 (参照ウィキペディア) #minichamps #lotus #ロータス #renault #ルノー #uk #イギリス
12 COMMEMORATIVE EDITION OF THE 15YEARS OF THE INSTITUTE AYRTON SENNA EDITION 43 NO 30 FORMULA 1 1/43sennakazu
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FERRARI SF15-T 2015 #5 SEBASTIAN VETTEL
フェラーリ・SF15-Tは、スクーデリア・フェラーリが2015年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ドライバーは、レッドブルから移籍したセバスチャン・ベッテル選手と継続のキミ・ライコネン選手です。 このマシンは、前年型との最大の違いはパワーユニットにあり、空力を優先した構造を一新し、パワーと信頼性を重視した物となりました。内燃機関の点火システムにドイツのマーレ社が供給するジェットイグニッション(Turbulent Jet Ignition)を採用、副燃焼室(サブチャンバー)で点火した燃料を「種火」としてシリンダー内に放射し、シリンダー内の燃焼効率を高めることで、非常に薄い混合気をリーンバーンして、パワーと燃費を改善しました。 この年のレギュレーション変更により、マシンのデザインは「ショートノーズ派」と「ロングノーズ派」に二分されましたが、フェラーリの選択は「ロングノーズ」でした。前年同様に前後ともサスペンションはプルロッドが採用されています。 このシーズン、最終的には3勝を記録し、表彰台獲得数も大幅に増加。特に3勝目のシンガポールGPでは、フェラーリとしては2012年以来のポール・トゥ・ウィンを成し遂げました。 総じてみれば、ベッテルが常に表彰台圏内を争ったのに対し、ライコネンは予選の失敗を決勝で取り戻した場面もありましたが、ミスが目立ち精彩を欠いたシーズンとなりました。 結果、ベッテルは3位、ライコネンは4位。 チームは、メルセデスに大きく放されたものの2位を獲得しました。 (参照ウィキペディア) #bburago #ferrari #フェラーリ #vettel #ベッテル #italy #イタリア
5 FORMULA 1 1/43 SCUDERIA FERRARIsennakazu
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PORSCHE 956L 3rd 24H LE MANS 1983
1983年のル・マン24時間レースは、51回目のル・マン24時間レースであり、1983年6月18日から6月19日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われました。 暫定的なクラスがなくなり、グループBとグループCによるすっきりしたクラス分けになりました。そして、サイズはグループCと同じですが燃料タンク容量55リットル、最低重量700kgのグループCジュニアがクラスとして新設されました。 グループC ポルシェは前年の優勝車ポルシェ・956のカスタマースペックを市販し、さらに性能向上を図ったワークス3台を含めて11台が出場することとなりました。 また、フェラーリV型8気筒ターボエンジンを搭載したランチア・LC2などグループCの車両が各社から登場しました。 グループCジュニア マツダはこれまでのマツダ・RX-7ベースでないレース専用車、マツダ・717Cを製作し、チーム名「マツダスピード」を登記しレース専門会社となっての参戦となりました。またマツダのエースドライバーで西のレース拠点だった片山マツダの片山義美選手が参加したことは、東のレース拠点だったマツダオート東京がしていたル・マン挑戦をマツダが正式にオーソライズしたことを示しました。 出走は51台で、グループC車両の多くは全くポルシェ・956についていけず、トラブルを起こしては大きく遅れ、またリタイアし、4時間目の時点ではポルシェ・956がトップ10を全て占めていました。 ワークスポルシェの1号車ジャッキー・イクス選手がプライベーターのポルシェにミュルサンヌコーナーで追突されて大きく後退したものの、ガス欠寸前まで給油しないで引っ張る凄まじい追い上げを展開し、4時間目の時点でプライベーターのポルシェ全てを追いぬいて周回遅れながら3位に順位を上げ、前年予選最高タイムとほぼ同じ3分29秒7を記録して追い上げました。 結果 完走は20台で、ヴァーン・シュパン/ハーレイ・ヘイウッド/アル・ホルバート選手組のポルシェ・956、3号車は24時間で5,047.934kmを平均速度210.330km/hで走って優勝しました。 結局、ポルシェ・956はジョン・フィッツパトリック選手の11号車が燃料ポンプのトラブルで11時間目に、ワークスの2号車がエンジントラブルで21時間目にリタイアしたのみに留まり、9位のザウバー・C7を除いてトップ10全てポルシェ・956が占める快挙を達成しました。 前年と違いポルシェ同士の競争でペースが上がり、このモデルであるプライベーター最高位となった3位のクレマーは前年の優勝車より走行距離で63km上回り、4位のヨーストも28km上回った。厳しい燃費規制の下で5,000kmを超え、しかもモトロニックは進歩途上であったことは、年ごとに進歩するポルシェの技術を明確にしました。 (参照ウィキペディア) とにかく、この頃のレーシングカーは、このポルシェもそうですが、マツダもランチアもとてもカッコ良くて美しいです。 なので、ネットで見かけると、すぐにポチッとしてしまいます。あかんですね。。 #minichamps #porsche #ポルシェ #lemans #ルマン ###
21 KENWOOD LE MANS 1/43sennakazu
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FERRARI SF70H SEBASTIAN VETTEL 2017
フェラーリ・SF70Hは、スクーデリア・フェラーリが2017年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーであり、フェラーリのモータースポーツ参戦70周年にちなんで命名されました。 突起のついたフロントノーズが採用され、ホワイトのカラーリングのシャークフィンも装着されており、シャークフィンの後端には、メルセデス・F1 W08 EQ Power+でも採用された「Tウィング」も装着されています。サイドポンツーンの開口部は独特な形状をしており、横に広がって複雑な構造となっており、さらにその開口部の真上にも大きな穴が開けられています。これは、安全対策のために設置が義務づけられている側面衝撃吸収構造を、サイドポンツーン内部ではなく、空力付加物に収めて外出しにするというF1では過去に例のないソリューションを採用したためでした。 ドライバーは、前年同様にセバスチャン・ベッテル選手とキミ・ライコネン選手。 開幕前のテストから好調な走りを見せ、メルセデスの対抗馬として期待されました。開幕戦オーストラリアGPでベッテルが2年ぶりの勝利を果たし、復調ぶりをアピール。ベッテルは第3戦バーレーンGPでも勝利し、第4戦ロシアGPの予選でベッテルが2年ぶりのポールポジションを獲得、9年ぶりのフロントロー独占となるなど好調に推移していました。 第5戦スペインGPからカーナンバーの視認性の向上のためのレギュレーションの変更に伴い、1970年代の名車、312Tのオマージュのような字体になりました。第6戦モナコGPは予選でライコネンが9年ぶりのポールポジション、決勝ではベッテルが勝ち、フェラーリにとって16年ぶりのモナコGP優勝とともに7年ぶりのワン・ツー・フィニッシュを果たしました。 高速サーキットでのレースが続くカナダGPからイギリスGPまでは、パワーに勝るメルセデスの後塵を拝することになりましたが、低速サーキットのハンガロリンクで行われたハンガリーGPは予選でフロントロー独占、決勝でワン・ツー・フィニッシュを飾りました。 ここまではメルセデス優勢のレースでも粘り強い走りは見せていましたが、後半戦に入ると2016年に逆戻りしたかのような展開となり、ベッテルはここまで守ってきたランキング首位の座をルイス・ハミルトン選手(メルセデス)に明け渡してしまいました。 その後もドライバーズタイトル争いではハミルトンに決定的な差を付けられ、ベッテルの自力でのチャンピオン獲得の可能性は消滅してしまいました。コンストラクターズ争いではアジアラウンドでの失速が響き、アメリカGPでメルセデスの4年連続チャンピオンが確定しました。 そしてメキシコGPでハミルトンのタイトルが確定しましたが、第19戦ブラジルGPでベッテルが8戦ぶりに優勝し、これによりベッテルはランキング2位を確定させました。 最終的には優勝5回、ポールポジション5回、ファステストラップ7回を更新するなど近年と比較すれば上々といえる成績ではありましたが、フェラーリが終盤にトラブル続きで失速していたのに対し、メルセデスはこの年、ハミルトンが全戦入賞、バルテリ・ボッタス選手も1度のマシントラブルでのリタイア以外は全戦で完走しているなど信頼性の差が浮き彫りになったシーズンとなりました。なおライコネンはランキング4位で終えました。 (参照ウィキペディア) このモデルの好きなところは、ホワイトのカラーリングのシャークフィンとシャークフィンの後端の「Tウィング」の組み合わせ、そしてサイドポンツーンの開口部が 横に広がって独特な形状になっているところ、ここら辺がカッコいいですね! #bburago #ferrari #フェラーリ #italy #イタリア #sebastianvettel #セバスチャンベッテル
5 FORMULA 1 1/43 FERRARIsennakazu
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FERRARI 1512 ITALIA GP 1965 JOHN SURTEES
フェラーリ 1512F1は、スクーデリア・フェラーリが1964年から1965年にかけてF1世界選手権で使用したフォーミュラ1カーで、車名の1512は「1,500ccの12気筒エンジン」をあらわします。(158は8気筒) 先に8気筒の158F1は156F1の後継車として、マウロ・フォルギエリを中心に開発されました。エンジンはバンク角90度の1,489ccV型8気筒で、ボッシュ製燃料噴射装置を装備し、210ps / 11,000rpmを発生しました。シャーシは156F1後期型で使用した「アエロ」と呼ばれるセミモノコック方式を継続し、外観ではノーズサイドのNACAダクト、水色に塗られたホイール、エンジンカウルから露出した吸気管などの特徴がありました。 同時期に、フェラーリは平行してバンク角180度のV型12気筒エンジンを搭載する1512F1も開発しました。このモデルの仕様になります。エンジンは1970年代に結実する水平対向12気筒(ボクサー)路線の原点となりました。また、ボディは同チーム初のFRP製で作られました。 1,500ccエンジン規定最終年となる1965年シーズンは1512F1を主戦とする予定でしたが、実際は158F1と併用する形となりました。この年はジム・クラーク選手+ロータス・33の組み合わせが圧勝し、フェラーリ勢は2位2回が最高成績で、シーズン4位でした。なお、ジョン・サーティース選手がスポーツカーレースで脚を負傷したため、終盤2戦はペドロ・ロドリゲス選手に搭乗の機会が与えられました。 (参照ウィキペディア) サーティースのイタリアGOの成績はリタイア、シーズンは5位でした。 #brumm #ferrari #フェラーリ #italy #イタリア ##
8 FORMULA 1 1/43 SCUDERIA FERRARIsennakazu
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CAMEL LOTUS HONDA 99T 1987 AYRTON SENNA
ロータス99Tは、チーム・ロータスが1987年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ドライバーはアイルトン・セナ選手と中嶋悟選手です。 1987年シーズン、ロータスはエンジンをルノーV6ターボから、ホンダV6ターボに変更し、セカンドドライバーには日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟選手を迎えました。メインスポンサーはロータスにとって長年のパートナーだったJPSからキャメルに変更され、ボディーはキャメルイエローになりました。 中嶋のマシンには、ロータスとFOCAとの契約によりシーズンを通じて車載カメラが搭載されました。しかし、、当時はまだ車載カメラに関するレギュレーションが未整備だったため、他の車に比べ中嶋車のみがカメラ及びバッテリー・送信機等で数キロ車重が重くなったほか、頭上のロールバー横にカメラ一式が設置されることによりリアウイングへの空気の流れが乱されダウンフォースへの悪影響もあり、中嶋にとってかなりのハンデとなりました。 (参照ウィキペディア) 1987年シーズンは、セナのドライブにより、モナコGPとアメリカGPで2勝を記録しました。また、このシーズンの最高の思い出は、イギリスGPでは、セナが3位、中嶋が4位に入賞し、1位のナイジェル・マンセルと2位のネルソン・ピケのウィリアムズ勢とともにホンダエンジンの1-2-3-4フィニッシュを成し遂げました! 夜中に歓喜の声をあげて怒られました。。 この年のセナの戦績は、57ポイントで3位でした。また中嶋は、16戦中4回の入賞で7ポイントで12位でした。 #minichamps #lotus #ロータス #honda #ホンダ #ayrtonsenna #アイルトンセナ #uk #イギリス
12 15 YEARS OF THE INSTITUTE AYRTON SENNA EDITION 43 NO.31 FORMULA 1 1/43sennakazu
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MERCEDES BENZ CLK DTM DTM CHAMPION 2003 #3 BERND SCHNEIDER
メルセデス・ベンツ・CLKクラスは、ダイムラーがメルセデス・ベンツブランドでかつて展開していた、4人乗りのクーペまたはカブリオレタイプの乗用車です。 (参照ウィキペディア) このモデルは、市販車をベースにしたツーリングカーで争われるドイツツーリングカー選手権(Deutsche Tourenwagen Masters、略称:DTM)に参戦したメルセデス・ベンツ・CLKクラスです。 2003年シーズンは、このモデルのベルント・シュナイダー選手が、全10戦を戦い、優勝2回を含む表彰台7回全入賞の快進撃でシーズンチャンピオンとなりました。 この年のドライバーは、ジャン・アレジ選手、クリスチャン・アルバース選手、カール・ヴェンドリンガー選手などF1に参戦した名だたるドライバーが出場していました。また日本から金石勝智選手も出場していました。 しかしDTMに参戦していたマシンは、どのメーカーも面構えよくカッコいいですね! #minichamps #mercedesbenz #メルセデスベンツ #dtm #germany #ドイツ ##
3 DTM 1/43 HWA TEAMsennakazu
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AUDI D4 DTM DTM 2005 C.ABT
2005年のDTMは、AUDI、MERCEDES BENZ、OPELの3メーカー、9チーム、20台が参戦、全11戦を戦いました。 この年のドライバーには、トム・クリステンセン、ミカ・ハッキネン、ジャン・アレジ、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、アラン・マクニッシュ、ベルント・シュナイダーなど、ル・マンやF1で名を馳せた選手が数多く参戦しています。調べていてビックリしました。 このモデルのクリスチャン・アブト選手の成績は、9位。コンストラクターズは、6位でした。ちなみに、マニファクチャラーは、メルセデス ベンツでした。 (参照ウィキペディア) #minichamps #audi #アウディ #dtm #germany #ドイツ
14 DTM 1/43 AUDI SPORTTEAM JOEST RACINGsennakazu
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MERCEDES BENZ CLK AMG DTM DTM 2004 J.JANIS
2004年ドイツツーリングカー選手権。 3大ワークス(メルセデス・ベンツ、アウディ、オペル)総勢23台が参戦し、10戦+ノンタイトル戦/上海を戦いました。 出走ドライバーを見ると、F1で有名なジャン・アレジ、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、ベルント・シュナイダー、24hルマンで最多優勝記録を持つトム・クリステンセン、日本で活躍したエマニュエル・ピロ各選手らも参戦していました。 このマシンのチーム・ロズベルグ/ヤレック・ヤヌス選手は、残念ながらシーズン最下位0ポイントでした。 しかし、こうやってミニチャンプス の製品になっているのですから、人気だけはあったのでしょうか? 私もこのミニカーを気に入った一人ではありますので。。 #minichamps #dtm #mercedes #メルセデス #benz #ベンツ #amg #germany #ドイツ
20 OTHER RACE (FOREIGN) 1/43 TEAM ROSBERGsennakazu
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HYUNDAI MOTORSPORT N i20 R5 #30 RALLY SARDEGNA 2020
2020年10月8日〜10月11日、第6戦イタリアのサルディニアで行われたWRC-3の優勝車です。ドライバーとナビゲーター(コ・ドライバー)は、両名とも年間チャンピオンを獲得しています。 (参照ウィキペディア) このカラーリングに誘われて購入しました。メインのパープルとレッド、イエロー、ダークブルーのバランスが素晴らしいですね。 #ixo #hyundai #ヒュンダイ #rally #ラリー
30 RALLY 1/43 HYUNDAI MOTORSPORT Nsennakazu
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ENDLESS ADVAN Z SUPER TAIKYU 2005 ST1 NO.3
2005年、スーパー耐久開幕戦、仙台ハイランドレースウェイ。100周約406km。 ST1クラス(旧クラス1)は、今までポルシェのワンメイク状態でありましたが、この年から、シリーズの活性化を目的に、このエンドレス アドバン Zがエントリーすることなりました。ポルシェ5台、Z1台。 予選では、影山正美選手が5位。決勝では、終盤木下みつひろ選手が3位を走行していましたが、突然の電気トラブルで10周を残してリタイアとなってしまいました。 (参照nismo) #ebbro #supertaikyu #nissan #日産 #fairladyz
3 スーパー耐久 1/43 ENDLESS ADVANsennakazu
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三菱 GTO TWIN TURBO MR(Z15A)1997 警視庁高速道路交通警察隊車両
GTOはカッコいいですね。発売された時には、買えもしないのにディーラーの試乗会に行きました(笑) このミニカーも○視庁勤めの娘婿へのプレゼント用に買いました。でも高速警察隊の車両はあまり馴染みがないようで、以前展示した所轄署警戒警備車両のクラウンの方が仕事で手近のようですね。 警察車両モデルは、なんだかんだで4車種目ですが、眺めていてハマってきました。 今は機動隊車両が欲しいです。 #hikoseven #mitsubishi #三菱 #警察車両
警察車両 1/43 GTO TWIN TURBO MR HIKOSEVEN(RAI’S)sennakazu
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FERRARI 312T #12 NIKI LAUDA MONACO GP 1975
312T やこの頃のマシンの好きなところは、ドライバーの後方のエアインテーク形状が、大袈裟なほど大きいところです。特にフェラーリはバランス良くデザインされており、個人的には前方向から見た姿が綺麗です。 ニキ・ラウダ選手は、この年、ワールドチャンピオンになりました。 #looksmart #ferrari #フェラーリ #nikilauda #italy #イタリア
12 HERITAGE SERIES FORMULA 1 1/43sennakazu
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JORDAN HONDA EJ12 TAKUMA SATO JAPANESE GP SUZUKA OCTOBER 13th 2002 FIRST CHAMPIONSHIP POINT
私の記念すべきミニカー・コレクションの第1号です。 ミニカー=おもちゃくらいの認識しかない私にとって、手に取った時の衝撃は今も忘れません。いくら?4,200円。う〜ん。買っちゃおう。と言った流れで手元に。それから三日三晩穴が開くまで眺めては、デカールの緻密さ、重量感、カラーリングなどなど、全てに感動してました。 またこのモデルは、鈴鹿観戦時にジョーダンのピット前で応援、5位初入賞初ポイントを果たしたマシンでもあり、何年か経って結ばれた運命の1台と勝手に位置付けています。 決してレアものではありませんが、私にとってとても大事な1台です。 #minichamps #jordan #honda #takumasato #佐藤琢磨
10 TS COLLECTION NO.3 FORMULA 1 1/43sennakazu