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1960年日本シリーズ優勝記念手帳
1960年日本シリーズ優勝記念手帳 大洋漁業株式会社が配布したもの 1960年6年連続最下位の大洋ホエールズを三原脩新監督のもとセ・リーグ優勝、日本シリーズでも日本一に導く。
野球 1960年 大洋ホエールズふくすけ
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水原茂『道』 毛筆色紙
水原茂 毛筆色紙 『道』 東京ドームの監督室には歴代監督の色紙が飾られおり水原氏の色紙はこれと同じタイプです。
野球 読売ジャイアンツ 野球殿堂ふくすけ
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川上哲治 『平常心是道』 毛筆色紙
川上哲治 『平常心是道』 現役引退後、禅の道から野球観を悟り、常勝巨人軍を作り上げ『栄光のV9』に導く。
野球 読売ジャイアンツ 野球殿堂ふくすけ
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広澤克実・竹田光訓 サイン色紙
広澤克実・竹田光訓(ルーキー)サイン色紙 両雄とも明治大学で活躍し、1984年11月20日のドラフト会議の注目選手。 広澤克実はD1で3球団から指名を受け『ヤクルトスワローズ』に入団。 大杉勝男の背番号8を受け継ぐ。 移籍先の巨人・阪神の4番打者にも起用された。 NPB通算成績(1985-2003) 打率237本塁打306打点985 打点王2回 (1991年1993年) 竹田光訓もD1で3球団から指名を受け『大洋ホエールズ』に入団。 こちらも平松政次の背番号27を継承したが結果を残せず1991年に引退。 NPB通算成績(1985-88・91) 1勝3敗防御率992 色紙の日付(1985/1/4)から入団が決定した翌年の年始に対面したサインだと思われる。
野球 1985年 ヤクルトスワローズふくすけ
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『小さな大魔神』山﨑康晃サイン色紙
『小さな大魔神』山﨑康晃(ルーキー) 2014年のNPBドラフト会議で外れ1位で入団 2015年成績 2勝4敗37S7H防御率192(新人最多S記録) セ・リーグ新人王獲得
野球 2015年 横浜DeNAベイスターズふくすけ
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『ブレービー(島野 修)』 サイン色紙
『ブレービー(島野 修)』サイン色紙 1981~98年の17年間に渡って球団マスコット『ブレービー』『ネッピー』のスーツアクターとして活躍。 投手として読売ジャイアンツ(1969-75(1勝4敗))にD1で入団するが活躍できず、阪急ブレーブス(1976-78)に移籍するが1軍登板はなく1978年に現役引退。 1981年から『ブレービー』として第二の野球人生として活躍する。 1998年オフに通算出場1175試合を記録しスーツアクターとして引退した。
野球 1984年 阪急ブレーブスふくすけ
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西鉄ライオンズ サインボール
西鉄ライオンズ(1951-72)PBL公式球サインボール 『怪童』中西太(1952-69)NPB成績 打率307-244HR-785打点 『鉄腕』稲尾和久(1956-69)NPB成績276勝137敗 防御率1.98 和田博実(1955-72)NPB成績 打率257-100HR-486打点 稲尾和久との黄金バッテリー 高倉照幸 (1953-1966)NPB成績 打率276-168HR-641打点
野球 西鉄ライオンズふくすけ
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『殺気の中に王がいた』(荒川博)
『殺気の中に王がいた』世界のフラミンゴへ師弟の苦闘の日々(荒川博 署名入) 『一打一生』 「荒川道場」にて『三振王から“世界のホームラン王”』に覚醒させた記録である。
野球 1977年 読売ジャイアンツふくすけ
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『もう一人の世界ホームラン王』高井保弘とスペンサーメモ
『世界の代打男』高井保弘 阪急ブレーブス(1964-82) NPB通算成績 打率269本塁130打点446 通算代打本塁打:27本(世界記録) シーズン最多代打本塁打:6本(1974 パ・リーグ記録) 高井は投手の球種と僅かなフォームの違いを観察していたスペンサーに学び、メモ帳に記録。 守備力難からレギュラー定着できなったが『スペンサーメモ』を習得し「世界の代打男」としての礎をつくる。 1972年頃から結果が出始め、1974年に代打本塁打日本記録を更新。 同年のオールスターでは調査済みの松岡弘から史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を一振りで仕留める。 このホームランを観ていたアメリカ人記者の提唱によって指名打者制度が検討されMLBを参考に1975年から導入される。 1975年8月27日のロッテ戦でMLBの通算代打本塁打数の世界記録を更新した。 1981年9月3日の西武戦で生涯3度目の代打サヨナラ本塁打が最後の代打本塁打となった。 翌1982年に引退。 現在も『世界の代打ホームラン王』として君臨する。 ダリル・スペンサー MLB(1952-53/1956-63) 阪急ブレーブス(1964-68/1971-72)兼任コーチ(1971-72) NPB通算成績 打率275本塁152打点391 1965年7月16日サイクル安打を記録するが日本では認識がなく本人が「『サイクル安打』はすごい記録だ」とアピール。 それ以降、MLBに習いサイクル安打達成者には連盟表彰と記録達成者として公式に記録されることになる。 また遡って記録が調べられ藤村富美男が史上初として記録された。 スペイサーは投手毎の球種と僅かなフォームの違いを観察しメモ(スペンサーメモ)する方法を日本に広めた。
野球 阪急ブレーブスふくすけ
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与那嶺 要(ウォーリー・ヨナミネ)〜王貞治との出会い
与那嶺 要(ウォーリー・ヨナミネ) 読売ジャイアンツ(1951-60) 中日ドラゴンズ(1961-62) 監督・コーチ歴 中日(打撃コーチ(1963-66)ヘッドコーチ(1970-71)監督(1972-77)) 川上巨人から戦力外を受けた経緯もあり、特に対巨人戦には闘志を燃やし巨人V10を阻止するとともに、G差0、20年ぶりのリーグ優勝(1974年)を果たす。監督就任期間の対巨人戦は64勝60敗6分であった。 野球殿堂(1994年)外国人選手の殿堂入りは史上唯一 NPB通算成績 打率311本塁打82打点482 1956年の成績 1956年 球団史上初の開幕戦初回先頭打者本塁打を記録 打率338本塁打13打点47(首位打者3回1954/1956/1957) ベストナイン(1952-58):7回 シーズンホームスチール(1951):5回(日本記録) 通算ホームスチール:11回(日本記録) アメリカンベースボールスタイルを日本野球に新しい戦術を伝道した。 戦闘的スライディング、タックルや一塁走者リードの際の左足部の蹴り込み、ドラッグバント、ダイビングキャッチなど ある少年がサインをもらおうと玩具のゴムボールを差し出すが、選手達も忙しいこともあり粗末で目立たないゴムボールなどは見向きもされなかった。 その時、与那嶺だけが少年のゴムボールに気付き、立ち止まって快くサインに応じた。 その少年は『王貞治』であった。 王はこの時の感激から与那嶺と同じようにファンからのサインを断らず、できる限りファンサービスを大事にする姿勢を貫いているという。 また奇しくも与那嶺と王は1994年、同時に野球殿堂入りをしている。
野球 1956年 読売ジャイアンツふくすけ
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ダルビッシュ有サインボール(加藤良三コミッショナー統一球)
ダルビッシュ有サインボール(加藤良三コミッショナー統一球) 加藤良三 2008年7月 第12代日本プロ野球コミッショナー就任(職歴 駐米大使) 統一球問題 2009年WBC3連覇に向けアメリカのボールに合わせるべく、コミッショナー主導で2011年シーズンから『統一球』を導入 『統一球(2011-13)』には加藤コミッショナーのサインを印字 シーズン終了後には統一球の影響か本塁打数が激減 第3回WBC(2013年3月)の参加問題 日本代表が持つべき交渉権(選手会は不参加決議)が無視され、コミッショナー権限で参加が決定 2013年6月統一球の仕様変更を公表していなかった問題から10月25日に職を辞任 ダルビッシュ有もツイッターで加藤Cのこの時の問題発言を批判した "keep the faith (信念を貫く)" 2011年成績(7年25才) 18勝6敗 防御率144 被本塁打5 最多奪三振 NPB通算成績(2005-11) 93勝38敗 防御率199 本公式球は反発係数の平均が基準の下限値を下回る違反球かもしれない。
野球 2011年 NPBふくすけ
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国鉄スワローズ(1959-60)3名サインボール
国鉄スワローズ(1959-60)3名サインボール 金田正一(1950-64) 1950-60までBクラスに低迷。 1964年オフ、球団と1962年業務提携したフジサンケイグループとの間に監督去就問題が発生。 球団ならび金田正一は解任を主張するもFサンケイGが留任を決定。 これを機に金田正一は巨人に移籍。金田正一を失った球団もFサンケイGに完全譲渡した。 翌1965年サンケイスワローズに改称。また金田を失った穴は大きく44勝91敗5分最下位に沈む。 金田正一が在籍期間(1950-64)のチーム成績(833勝1070敗41分) 金田正一の在籍中の勝敗(353勝267敗) チーム成績の勝利数:敗数の割合は42%:25%。 試合数1944試合中814試合の登板割合はか42%と判明。 金田がいなかったら、球団はもっと早くに身売りし、巨人のような常勝球団にいたら500勝も楽に越えていたかもしれない。 岩下守道(1959-60) 1949年巨人が初の入団テストを実施、応募者1300名のトップ合格 1950年投手から野手に転向 1959年国鉄スワローズに移籍 1959年の成績 123試合出場 打率280本塁打2打点38盗塁25 西岡清吉(1957-66) 1958-59-60が全盛期(三塁手) 1959年の成績 105試合出場 打率237本塁打6打点28
野球 国鉄スワローズふくすけ
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広島カープ 球団旗
広島カープ 球団旗(1959-66頃)
野球 広島カープ 広島東洋カープふくすけ
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ムーンライダーズ サインCD
ムーンライダーズ インストアライブ(新宿タワーレコード) 1975年 - 2011年12月(活動休止) 2016年7月 - (“活動休止の休止”) Tokyo7(2009年9月16日)リリース 鈴木慶一 岡田徹 武川雅寛 鈴木博文 かしぶち哲郎 (2013年12月17日死去) 白井良明(1977年、椎名和夫の脱退に伴い加入) 夏秋文尚(サポートメンバー)
ムーンライダーズ 音楽 2009年ふくすけ
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井口忠仁(資仁)サインボール
井口忠仁(資仁)サインボール ドラフト会議直近(1996/11/25) 福岡ダイエーホークス(1997-2004) 1996/11/21ドラフト会議逆指名(D1) 同期入団 松中信彦(D2) 千葉ロッテマーリンズ(2009-17) 2018年から監督就任 1996年アトランタオリンピック代表 銀メダル
野球 1996年 千葉ロッテマーリンズふくすけ