金栗四三

0

まだ説明文が書かれていません

Default
  • Default

    pigpig3

    2024/02/25

    私の高校の先輩です。

    返信する
  • Default

    pigpig3

    2024/03/11

    日本初のオリンピアンにしてマラソンの父である金栗四三さんは私の出身高校の旧制中学3回生です。

    返信する
  • Default

    pigpig3

    2024/04/08

    金栗四三さんは私の出身高校の旧制中学3回生ですが、その次の4回生も多士済々です。1人目は多久儀四郎さんです。多久さんは金栗さんと同じ東京高等師範学校に進学しました。数学の教員でありながら、自らも中距離ランナーとして名をはせました。当時のアジアオリンピックでは見事、金メダルを獲得しています。2人目は薬師寺尊正さんです。薬師寺さんは元々は東京帝大出身の弁護士で目黒法曹会の会長なども務め、目黒区の名誉区民となっています。ただ、功績はそれ以外にもあり、日本のバスケットボールやバレーボールの先駆者的な存在でした。当時の大日本体育協会の名誉主事にも任命された方です。3人目は竹下武雄さんです。竹下さんも東大卒で長く熊本県の女子教育に携わりました。熊本県立第一高等女学校(現在の第一高校)の高等科の主任教授として熊本県の女子教育を大きく前進させました。4人目は田宮貞亮さんです。この方はハンセン病が専門の医学博士で東京帝国大学医学部の助教授や日本医科大学の教授などを歴任しました。旧制中学4回生からは私が調査した限り、これらの方がウィキペディアに掲載がありました。

    返信する
  • Default

    pigpig3

    2024/04/11

    金栗さんの1つ前の2回生は戦争との関りが深い方が2名いらします。1人目は五十嵐勇さんです。五十嵐さんは金属工学者で零戦に使用した超々ジュラルミンを発明した方です。戦後は東北大学などの教授を歴任しました。2人目は上原訓蔵さんです。上原さんはマレー語の第一人者でした。母校である東京外語学校(現在の東京外国語大学)の教授を務める傍ら、日本軍がマレー半島に進出する際には、陸軍教授となり、日本兵にマレー語の指導をしました。また、この期は卒業生が38名ですが、その内3名が陸軍士官学校に進学しています。先日、投稿した4回生の次の5回生からも40人の卒業生の内、4名が陸軍士官学校に進んでいます。嶋田乙彦元陸軍大佐、武田治行元陸軍大佐、藤本末夫元陸軍大佐などが卒業生です。

    返信する
  • Default

    pigpig3

    2024/04/14 - 編集済み

    金栗四三さんと同級生の旧制中学3回生は卒業生が41名居ました。その内、医師になった者は9名居ました。また、陸軍士官学校に進学した者も4名居ました。島本鉄次元陸軍大佐、西依辰馬元陸軍中佐などです。これだけ、優秀な人材が揃う中で特待生だった金栗さんは余程、勉強熱心だったのでしょう。

    返信する
  • Default

    pigpig3

    2024/04/14

    余談ですが、明治時代に難関校と言われた上級学校に一高、陸士、海兵、東京高師、広島高師、同文書院がありました。この全てに私の出身高校の旧制中学1回生(27名)から合格・進学者が出ています。一高(藤原保明)、陸士(森光之、下田充、両角徹)、海兵(河口嘉勝)、東京高師(古沢肥後男)、広島高師(染村亀鶴)、同文書院(中島止水)の各氏です。その次の2回生(38名)からは医師になった者は7名。東京帝大進学者が3名、京都帝大進学者が3名、陸軍士官学校進学者が3名いらします。陸軍士官学校に進学した3名の内、山内真喜男元陸軍大佐は日中戦争で戦死されたものと思われます。

    返信する