わが家のレコード生活の第一歩
初版 2024/04/20 19:04
1962年(昭和37年)頃、わが家のような田舎の農家にも電化の波が押し寄せてきました。最初に来たのがテレビでした。昭和34年当時の皇太子(現天皇)と美智子妃の結婚パレードを見たのが織機工場を経営していた隣のテレビでした。共同アンテナを建て、地域でテレビが見られる環境が揃うと、電気店の壮烈な販売合戦が始まりました。ゼネラル・テレビと日立テレビが売込みに来ましたが、結果日立に決まりました。わが家テレビが入ったのは昭和37年でした。
3番目の兄が中学生になり、英語の発音勉強のためソノシートが欲しいと言い出しました。、そのためにはレコードプレーヤーも必要です。両親に猛烈にアタックした兄は英語発音のソノシートとレコードプレーヤーを手に入れたのです。レコードプレーヤがわが家に来ると、兄が英語の勉強をしたのは三日坊主。後はレコードを聞きっぱなしでした。私はこの兄のお陰でレコードプレーヤーが使えるようになりました。最初に聞いた洋楽はパット・ブーンの「ホワイト・クリスマス/ジングル・ベル」でした。パット・ブーンの甘い歌声と銀色に輝くクリスマス・ツリーの飾りにアメリカの豊かさを感じました。
この兄が高校に入ってすぐの頃、激しいロックのレコードを買ってきました。中2の私はラジオからビートルズを聞き始めていました。が「のっぽのサリー/アイ・コール・ユア・ネーム」がビートルズの演奏であることを知らず兄の留守中部屋に入り勝手にレコードを聞いていました。 その後「エド・サリバンショー」(当時日本でも少し遅れて放送がありました)でビートルズを見て「ツイスト・アンド・シャウト」が気に入り、初めてビートルズのシングル盤を買いました。
こんな私のレコード生活を始めるきっかけになったのが、この「コロムビア・ポータブル電蓄・MODEL2000」でした。台形でラウンドコーナー、スチールにシャーベット・トーンのビニール皮膜した可愛いポータブル電蓄でした。このプレーヤーでどれだけドーナッツ盤を聞いたことでしょうか。最後は兄がスピーカーを外し、コードを伸ばして別のラジオのスピーカーに付替えて聞いていました。
この頃のコロムビアの音響製品のカタログがレコード資料と一緒に残っていたので一緒に掲載しておきます。
Nobuaki Sugiura
1950年生まれのレコード大好き人間です。レコードとの最初の出会いは、保育園のお遊戯でした。手廻しの蓄音器で落とすと割れるSP盤でした。それから50年代 60年代 70年代 80年代 90年代 2000年代 2010年代と音楽もメディアも目まぐるしく変わりました。変わらないのは録音された音です。その時、その場所の空気感がいつまでも残っています。それは本当に素晴らしいことだと思います。私はそれ程音にこだわる方ではありません。無理をしないで好きなものしか買いませんでしたので、一貫性がなく支離滅裂の部分もあります。退職を機会にそろそろ終活のため整理をしようと思っていた時、「ミューゼオ」と出会いました。皆さんのように早いアップはできませんが、マイ・ペースで展示していきたいと思います。お時間がある時覗いてみて下さい。
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