6月19日(月)NHKG 影像のバタフライエフェクト ビートルズの革命 青の時代 そしてルーシーは宇宙を行く

初版 2023/07/06 17:38

改訂 2023/07/06 17:42

ジョン・レノン<1975.4.4 フランスTV局のインタビュー>

「僕が気に入らなかったのは、僕たちが何かをリードしているという主張だった。」60年代は “新しい世界を発見しに行く船だった。” そしてビートルズはその船の見張台に立っていただけだ。僕たちは「おーい、陸地だぞ!」と叫んだ。それだけだ。僕たちが何に貢献して何に貢献しなかったか僕にはわからない。言えるのは僕たちの世代が全員で60年代という船に乗り、新しい世界へ行ったということだ。

1960年代のソ連では西側のロック音楽を聴くことは禁止されていた。西側のラジオ・ルクセンブルグから短波放送でビートルズの「ヘイ・ジュード」が流された。それを聞いたソ連の若者の言葉「この世のものとは思えないほど素晴らしかった。喜びで心がいっぱいになってどうしたらいいか分からなくなった。何年もかけて積もり積もった憂鬱や恐怖が一瞬で消え去った。」表向きは共産主義国家の要求に従って暮らしながらも僕らはビートルズを信じることでその一部を静かに拒否していた。それでもビートルズを聞きたい若者は、闇ルートで売買されていた使用済のレントゲンフィルムに刻まれた「肋骨レコード」を求め隠れて聞いた。

 ソ連を構成する国でも強制力の緩い国があった。エストニアでは毎日3:15~4:00まで「キャント・バイ・ミ―・ラブ」を流し続ける放送局があり、これを聞いた若者「イヴォ・リンナ」がいた。「『ヘイ・ジュード』が私の魂に侵入してきた。なぜこの曲が良いと思ったかのか言葉が見つからない。しかしまるで血のように私の体を巡り始めた。」と語る。彼は1968年「ヘイ・ジュード」をエストニア語でカバーし、歌い始めた。

「カバーではなく、自分自身の音楽を作れ」というジョン・レノンのメッセージを聞いたイヴォ・リンナはジョンのアドバイスに従い自分自身の歌「私はエストニア人」を作った。  

 1988年 国民的歌手に成長したイヴォ・リンナはエストニアで開いたコンサートで「私はエストニア人」を歌った。知らない人同士が手を取り合い、まるで一人の人間のように歌っていた。私は全く信じられないものを見た。エストニア国旗です。心の中では怖かった。ここは自由の国ではありません。ソ連です。家に隠し持っていた国旗を振り歌い続けたのです。この出来事は「歌う革命」と呼ばれ、ラトビア、リトアニアと波及し、ソ連からの独立を求める運動に発展して行ったのです。

 ゴルバチョフ書記長は民主化は進めても独立を認めるつもりは無かった。「連邦を離れてはならない。協力して一緒にやって行こう」と呼びかけたが、それでも市民は歌い続けた。

 私たちの国の独立を後押ししたのは歌の力だった。歌が、時にくじけそうになる私たちの心を励まし、勇気づけてくれた。60年代のエストニアの若者たちを音楽に目覚めさせたのはビートルズだ。私もビートルズに出会ったからこそ音楽の世界に飛び込み、そして「歌う革命」に参加した。すべての始まりはビートルズだった。<イヴォ・リンナ> 1991年12月、大国ソ連は崩壊した。

2003年5月24日、ポール・マッカートニー(当時60歳)初ロシア公演が開かれた。ビートルズを知ってから40年経っていた。やっと本物のビートルズに会えた。夢が叶ったのだ。まるで昔からの友人や先生に再会したように感動的だった。初めてポールに会ったゴルバチョフもビートルズのファンであった。

2021年10月NASAからビートルズの曲に因んで名付けられた探査機「ルーシー」が打ち上げられた。現在火星付近を飛行中。いつか回収される時のためビートルズの言葉が刻まれた銘板が積み込まれている。数百年後も数千年後もビートルズの曲が聞かれているだろうか?

1962年デビューしてから1970年解散するまで、時代をけん引したビートルズ。私も60年代からビートルズと共に人生を過ごして来たが、彼らの音楽性、斬新さ、新しい作曲法、レコーディング技術で人々に楽しみと喜び、感動を与えてもらったことに感謝です。それ以上に同じ時代を生きた共産圏の若者たちの夢、自由、独立を支援し続けた「歌の革命」の源流がビートルズにあったことを改めて知り、ビートルズの影響の偉大さに驚いています。日本で生まれ育ったこと、当たり前のように自由にビートルズが聞けたことに感謝でいっぱいです。

1950年生まれのレコード大好き人間です。レコードとの最初の出会いは、保育園のお遊戯でした。手廻しの蓄音器で落とすと割れるSP盤でした。それから50年代 60年代 70年代 80年代 90年代 2000年代 2010年代と音楽もメディアも目まぐるしく変わりました。変わらないのは録音された音です。その時、その場所の空気感がいつまでも残っています。それは本当に素晴らしいことだと思います。私はそれ程音にこだわる方ではありません。無理をしないで好きなものしか買いませんでしたので、一貫性がなく支離滅裂の部分もあります。退職を機会にそろそろ終活のため整理をしようと思っていた時、「ミューゼオ」と出会いました。皆さんのように早いアップはできませんが、マイ・ペースで展示していきたいと思います。お時間がある時覗いてみて下さい。

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