1936

初版 2023/06/28 19:46

改訂 2024/06/24 20:38

1936(昭和11)年。この年の年初、徳川義親侯爵邸での『諏訪根自子留学送別会』の様子('24/6/8訂正)⬆︎*徳川ヴィレッジ㌻より。

1月15日 午前10時 日本赤十字社訪問を報じる新聞記事です⬇︎。此方(右)は社長の徳川家達公。赤十字社員徽章を授かりました。

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新聞記事(紙名不詳) 1936(昭和11)年 1月16日付け | MUUSEO (ミューゼオ)

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渡欧前、全国4都市にて1月16/18/19/21日の4日間開催されました『渡歐告別提琴独奏會』。その東京会場(日比谷公會堂)での告知ポスター⬇︎です。

1月21日 ⬆︎その日比谷公會堂にて挙行された渡歐告別提琴独奏會の最終日、大変珍しいステージショットです。月刊樂譜 同年2月號より。名古屋/大阪/京都そしてラストの東京、その一連の公演のプログラム(名古屋/大阪/京都 共通)入場券(京都)は⬇︎に・・・

1936(昭和11)年1月19日 京都朝日會館 / 諏訪根自子嬢 渡歐告別ヴァイオリン獨奏會 プログラム/半券

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掲載写真ではありませんが、恐らく同公演の別アングル。注目すべくはその左胸、1月15日に授与された女子赤十字社員徽章がしっかりと確認出来ますこと(律儀)⬆︎。

演奏會同日(1/21)の記念撮影の模様。

そして渡欧告別演奏會行脚のラスト東京公演の翌日、22日。ご出発前の貴重な荷造りショットです。

⬇︎同日22日夕刻、雑誌に掲載された東京驛での汽車車窓からのショットはトリミングされております。オリジナルの報道写真には実際には山田耕筰氏がお見送りをされているシーンが捉えられております。(神戸迄同行為されました)

社団法人同盟通信社 寫眞原板(表/裏/袋)⬇︎

この記載は恐らく、『The Nippu Jiji』紙 1936年2月14日刊に掲載された日付と推測されます。⬇︎

1月23日 旅立ちの記事が翌日の朝日新聞(大阪版?)にて報じられております。

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新聞記事((大阪?)朝日新聞) 1936(昭和11)年 1月24日付け | MUUSEO (ミューゼオ)

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神戸港、日本郵船 鹿島丸船上にて

同日のものではありませんが、神戸港を出港する鹿島丸。

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諏訪根自子さんサイン入りブロマイド-写し (戦前'36) | MUUSEO (ミューゼオ)

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⬆︎同年の年号記載のあるサイン入りブロマイドです。

ご来館有難う御座います。

忘れじの'美貌なる昭和'、諏訪根自子さんの奏でられたヴァイオリンの音色が大好きです♪

近頃は蓄音機で聴くのが愉しみ^^

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    ktr

    2023/10/28 - 編集済み

    セーラー服、地味でいいですね。
    これは彼女の第一期黄金時代でしょうか。
    別アングル写真は一種の風格すら漂ってますね。

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      nine_o_nine

      2023/10/28

      所謂「天才少女期」、まさしく第一期黄金時代^^

      お誂えのセーラー服…きっと色んな思いがあった事と察します、
      然しドレス以上の説得力そして、仰る通り風格すら!!ですよね。

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