2014年日本GP 鈴鹿サーキット

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2014年日本グランプリは、F1世界選手権第15戦として10月5日に鈴鹿サーキットで開催された。

メルセデスのチームメイト同士のチャンピオン争いは、前戦シンガポールGPでニコ・ロズベルグがリタイアしたことにより、ルイス・ハミルトンが3点差でポイントリーダーとなり、日本GPを迎えた。
予選日の10月4日朝、現役王者のセバスチャン・ベッテルが2015年はレッドブルを離脱することがチームから発表され、パドックは驚きに包まれた。
チーム代表のクリスチャン・ホーナーは、金曜日の夜にベッテルの意思を知らされたと明かし、移籍先がフェラーリであることをほぼ認めた。
ベッテルの後任として、トロ・ロッソの新人ダニール・クビアトがレッドブルへ加入することも決まった。

予選
ニコ・ロズベルグがポールポジションを獲得。2番手はハミルトン。3、4番手にはボッタス、マッサのウィリアムズ勢がつける。
結果
1ニコ・ロズベルグ メルセデス1:32.506
2ルイス・ハミルトン メルセデス1:32.703
3 バルテッリ・ボッタス ウィリアムズ・メルセデス1:33.128
4フェリペ・マッサ ウィリアムズ・メルセデス1:33.527
5フェルナンド・アロンソ フェラーリ1:33.740
6ダニエル・リチャルド レッドブル・ルノー1:34.075
21小林可夢偉 ケータハム・ルノー1:37.015

決勝
決勝当日は台風18号の接近により天候悪化が予想されていたが、スケジュール通り15時にスタートとなった。気温は19度、路面温度は23度。雨脚が強いため、全車ウェットタイヤを装着し、セーフティーカー先導によるローリングスタート方式が採られた。しかし、セーフティカー走行中の2周目に赤旗が提示され、レースは一時中断。雨が弱まるのを待って、15時25分に再びセーフティカー先導で再開された。
その直後、予選5位のフェルナンド・アロンソが電気系トラブルにより早くもマシンを止めた。
9周目終了後にセーフティーカーが退出すると、本格的なレースが始まった。路面状況の変化をみてジェンソン・バトンがピットインし、浅溝のインターミディエイトタイヤに交換。そのラップタイム推移を見て他車も続々とピットインし、タイヤ交換を行った。バトンは判断が奏功し、メルセデス勢に次ぐ3番手に浮上する。また、雨用のセッティングに賭けていたレッドブル勢がペースを上げ、ウィリアムズ勢をかわして4・5番手に浮上する。
独走態勢のメルセデス勢は、先頭のニコ・ロズベルグがオーバーステアに苦しみ、2番手のルイス・ハミルトンからプレッシャーを受ける。
25周目にDRSが解禁されると、29周目のホームストレートでハミルトンがDRSを使ってオーバーテイクを仕掛け、1コーナーアウト側からかわしてトップに立つ。その後、ハミルトンは僚友との差を広げ、2度目のタイヤ交換後も優位を保つ。後方ではバトンとセバスチャン・ベッテルの3位争いが白熱するが、バトンはピット作業に手間取って後退し、ダニエル・リチャルドにも抜かれて5番手に後退する。
40周目を過ぎる頃には雨脚が再び強まり始め、41周目にDRS使用が禁止される。バトンはまたも早めの判断で、ウェットタイヤに履き替える。
43周目、エイドリアン・スーティルがダンロップコーナー出口でコースオフし、タイヤバリアに接触。マシン撤去作業のためこの区間に黄旗が提示される。
その1周後、同じ地点でジュール・ビアンキがコースオフし、スーティルのマシンを吊り上げていた重機に衝突。この事故でビアンキは意識不明に陥り、救出車出動のためセーフティカーが出動する。
他車はピットインしタイヤ交換を行うが、46周目に2度目の赤旗が提示され、44周目終了時点の順位でレースが成立した。
53周予定の75%(40周)を走行し終えていたため、入賞者には通常のポイントが付与される。
優勝はハミルトン。鈴鹿初制覇となり、F1での個人通算30勝を記録し、これでロズベルグとのポイント差を10に広げた。2位はロズベルグ。原因不明のタイヤのオーバーヒートに苦しめられて、ハミルトンに抜かれてしまった。3位は9位から追い上げたベッテルで、6年連続表彰台、鈴鹿での表彰台獲得率100%をキープした。しかし、ドライバー・関係者はみなビアンキの容態を気遣い、表彰台のシャンパンファイトも控えられた。
結果
1ルイス・ハミルトン メルセデス 441:51:43.021
2ニコ・ロズベルグ メルセデス+9.180
3セバスチャン・ベッテル レッドブル・ルノー+29.122
4ダニエル・リカルド レッドブル・ルノー+38.818
5ジェンソン・バトン マクラーレン・メルセデス+1:07.550
6バルテッリ・ボッタス ウィリアムズ・メルセデス+1:53.773
19小林可夢偉 ケータハム・ルノー+1 Lap
レース中のクラッシュにより46周目に赤旗掲示、そのまま終了となり44周目の順位で確定

レース後
43周目にクラッシュしたジュール・ビアンキは終了後に三重県立総合医療センターに救急車で搬送され硬膜下血腫を取り除くための緊急手術が行われたがその後も意識は戻らず、家族からびまん性軸索損傷を負っていることが発表された。ビアンキは人工昏睡状態におかれ同病院で治療が継続されたが、自発呼吸の回復とバイタルサインの安定が認められた事から母国への移送ができると判断、11月19日にフランス・ニースのニース大学付属病院に転院した。しかし、転院後も意識は戻らず、2015年7月17日夜に同病院にて死去した。
F1グランプリにおけるドライバーの死者は1994年サンマリノGPのアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガー以来21年ぶり、その他のF1マシンドライブ中でも2013年のマリーア・デ・ヴィロタ以来となった。

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