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CASTOROL NISMO GT-R #2 JGTC’00 (1/24 Tamiya)
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection
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ARTA ZEXEL SKYLINE #2 JGTC’99 (1/24 Tamiya)
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection
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XANAVI NISMO GT-R #23 JGTC’03 (1/24 Tamiya)
1993年にスタートした全日本GT選手権。このレースの発展に大きく貢献してきたスカイラインGT-Rでしたが、2002年はついに1勝もできないという屈辱のシーズンとなりました。翌2003年はニッサン創立70周年という記念の年。それだけに、新型GTRの開発には並々ならぬ情熱が注がれたのです。03年型GT-Rは、全体的なフォルムに市販タイプのGT-R(R34型)のイメージを残すものの実際は全く別物と言っていいほどの改造が加えられています。特にタイヤ部分の逃げが盛り上がった特徴的なフェンダーとリヤエンドの大きな絞り込みがスタイル上のポイント。車体下面は規定により前後車軸間がフラットボトム化されたものの、ノーズ下から流れ込んだ空気は前輪直後のアウトレットから排出し、リヤディフューザー形状からも空気を引き抜くことでダウンフォースを確保しています。エンジンは前年の後半戦から使用された3リッターV型6気筒ツインターボのVQ30DETTを熟成して搭載。キャビンの前後をカットしてパイプフレームとすることが許されたため大幅な軽量化が可能になり、加えてトランスミッションをリヤデフの直前に置くトランスアクスルとすることで重量配分も改善しています。サスペンションはレーシングカーの定番、プッシュロッドによりダンパーを作動させる4輪ダプルウィッシュボーンを採用。これらの改良により、プレーキングの安定性とコーナリングスピードが向上した03年型GT-R。ニスモチームは23号車のザナヴィニスモGT-Rを本山哲とM.クルムの両選手に、22号車のモチュールピットワークGT-Rを影山正美、R.ライアン両選手に託します。チャンピオン候補の一角と目された23号車は初戦でポールポジションを獲得して決勝で2位に入賞。続く第3戦で3位、第5戦で2位を獲得するなど速さを発揮。22号車も第2戦の富士で優勝。強力なマシン、迅速なピットワーク、優れた戦略を駆使したニスモチームは、チームランキングを常にリードする強さを見せたのです。
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection
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MOTUL PITWORK GT-R #22 JGTC’03 (1/24 Tamiya)
1993年にスタートした全日本GT選手権。このレースの発展に大きく貢献してきたスカイラインGT-Rでしたが、2002年はついに1勝もできないという屈辱のシーズンとなりました。翌2003年はニッサン創立70周年という記念の年。それだけに、新型GTRの開発には並々ならぬ情熱が注がれたのです。03年型GT-Rは、全体的なフォルムに市販タイプのGT-R(R34型)のイメージを残すものの実際は全く別物と言っていいほどの改造が加えられています。特にタイヤ部分の逃げが盛り上がった特徴的なフェンダーとリヤエンドの大きな絞り込みがスタイル上のポイント。車体下面は規定により前後車軸間がフラットボトム化されたものの、ノーズ下から流れ込んだ空気は前輪直後のアウトレットから排出し、リヤディフューザー形状からも空気を引き抜くことでダウンフォースを確保しています。エンジンは前年の後半戦から使用された3リッターV型6気筒ツインターボのVQ30DETTを熟成して搭載。キャビンの前後をカットしてパイプフレームとすることが許されたため大幅な軽量化が可能になり、加えてトランスミッションをリヤデフの直前に置くトランスアクスルとすることで重量配分も改善しています。サスペンションはレーシングカーの定番、プッシュロッドによりダンパーを作動させる4輪ダプルウィッシュボーンを採用。これらの改良により、プレーキングの安定性とコーナリングスピードが向上した03年型GT-R。ニスモチームは23号車のザナヴィニスモGT-Rを本山哲とM.クルムの両選手に、22号車のモチュールピットワークGT-Rを影山正美、R.ライアン両選手に託します。チャンピオン候補の一角と目された23号車は初戦でポールポジションを獲得して決勝で2位に入賞。続く第3戦で3位、第5戦で2位を獲得するなど速さを発揮。22号車も第2戦の富士で優勝。強力なマシン、迅速なピットワーク、優れた戦略を駆使したニスモチームは、チームランキングを常にリードする強さを見せたのです。
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection
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LOCTITE ZEXEL GT-R #1 JGTC’00 (1/24 Tamiya)
Eコマスのドライビングにより1998年、99年の全日本GT選手権を制したペンズオイル・ニスモGT-R。抜群の耐久性を誇るエンジンによる安定した走りと優れたレース戦略、そして迅速なピットワークで決勝では常に上位に名を連ねたものの、予選ではライバル達の後塵を拝していたのが課題でした。それまでのイエローとブラックから、ホワイトとレッドの塗り分けにカラーリングを新して迎えた2000年シーズン、リヤウイングやディフューザーの小型化など、空力面の変更をはじめABSや電子制御デフが禁止されるなどのレギュレーション変更に合わせるとともに、予選での速さを追求したマシンの開発が進められたのです。2.7直6ツインターボエンジンは低重心化のために搭載位置がぎりぎりまで下げられ、強力で安定した制動力を発揮させるためにプレーキを改良。メカニカルグリップをいっそう増やすためにサスペンションも見直され、各部にバラストを積んで重量バランスを取れるほど軽量化も実現。さらにエアロダイナミクスもファインチューンが施され、ボンネットに設けられたエアアウトレットのルーバーの数が減少、1枚構成となったリヤウイングはダウンフォースを確保しながら空気抵抗を押さえる形状となり、またフロントスポイラーやボディサイドのアンダーパネルの形が変えられるなど、より効果的なクーリングと空気抵抗の低減がはかられたのです。ドライバーは99年チャンピオンのE.コマスに加えて影山正美を起用。開幕前の合同テストで総合2番手のタイムを叩き出します。その余勢を駆って迎えた第1戦のもてぎでは4番グリッドを獲得し予選から速さを見せ、決勝でも着実にポジションアップをはたし見事に優勝をさらったのです。さらに第4戦富士では4位に入賞、続く第5戦TIでは予選でフロントローにならび、決勝でも3位表彰台をゲット。決勝レースでの強さに予選の速さが加わって、この年のチャンピオン候補の一角と目されたのです。
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PENNZOIL NISMO GT-R #1 JGTC’99 (1/24 Tamiya)
鮮やかなイエローのボディカラーに加えて各部にペンズオイルの文字が大きく描かれた、アメリカン・ストックカーを思わせる異色のカラーリングで1998年の全日本GT選手権に参戦したペンズオイル・ニスモチームのスカイラインGT-R。開幕戦で優勝を飾るとともに、安定した速さを見せてこの年のシリーズチャンピオンを獲得して大きな注目を集めました。翌99年、ディフェンディング・チャンピオンのペンズオイル・ニスモチームはニューマシンを投入。ベースはこの年1月にフルモデルチェンジをうけたニッサン・スカイラインGT-R(R34)。先代モデルよりホイールベースを短縮するなどコンパクトに仕上げられ、車体剛性が高めらた市販モデルの特長を生かして開発されたGTマシンは、いっそうの戦闘力アップを実現しています。ボディはルーフ以外全てカーボンファイバーで作り直され、前後のフェンダーがいっそうワイドこ張り出し、リヤには湾曲した大型ウイングを装備。迫力あふれるフォルムは空力的にも優れた仕上がりを見せています。エンジンは熟成の進んだRB26DETT型と呼ばれる総排気量2708ccの直列6気筒DOHCツインターボ。このエンジンにXトラック社製の6速シーケンシャルミッションが組み合わされ、後輪を駆動します。ドライバーはエリック・コマスと前年のフォーミュラ・ニッポンチャンピオンの本山哲のコンビ。第1戦鈴鹿は2位、第2戦富士は5位第3戦菅生は6位と着実にポイントを重ね、第4戦の美称では予選8位に付け上位入賞のチャンスを狙います。ミスのない確実な走りと上位マシンのトラブルもあって徐々に順位を上げたペンズオイル・ニスモGT-Rは、迅速なピットワークも功を奏して終盤には2位までポジションアップ。トップを走行するカストロール・スープラとの距離をしだいに縮め射程距離に捉えると、テール・トゥーノーズ、サイド・バイ・サイドのデッドヒートを展開。レース史上に残るほどの激戦を制して優勝を飾ったのです。
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CALSONIC SKYLINE GT-R #12 JGTC’03 (Tamiya)
サーキットに映える鮮やかなカルソニック・ブルー。1990年、ニッサン・スカイラインGT-R(R32型)が全日本ツーリングカー選手権に参戦して以来、このブルーのマシンは数々の勝利を上げてスカイラインGT-Rのイメージリーダーとしての座を確立しました。1993年からは全日本GT選手権に活躍の場を移し3年連続のチャン ピオンを獲得するなど、カルソニックブルーのスカイラインGT-Rは常にレースの主役を務めたのです。もちろんライバル達もただ指をくわえていたわけではありません。スープラ勢、NSX勢共にマシンの開発を進め、ポテンシャルは拮抗。レースは混戦の度を深め、2002年はGT-R勢は1勝もできないという屈辱のシーズンとなってしまったのです。翌2003年はニッサン創立70周年という記念の年。それだけに、新型GT-Rの開発にはこれまで以上の熱意が込められました。03年型GT-Rは市販タイプのGTR(R34型)のイメージを残すものの、実際は全く別物と言っていいほどの改造が加えられ、市販車のパーツをそのまま使っているのはキャビンのみ。 室内にロールケージを装備しているのは言うまでもなく、前後もパイプフレーム構造を採用。エンジンは3リッターV6ツインターボのVQ30DETTを搭載し、トランスミッションはリヤデフと一体化してトランスアクスル化。サスペンションはプッシュロッドタイプの4輪ダブルウィッシュボーンとなっています。これらの改造 により再び速さを取り戻した03年型GT-R。3台が参戦した中でもチームインパルの12号車、カルソニック・スカイラインはB.トレルイエと井出有治両選手がドライブ。第4戦富士は雨、しかも初の2ヒート制という難しい展開の中にあって両ヒートを制して完勝。さらに最終戦鈴鹿では7位スタートながらソフトタイヤを装着して 猛烈な追い上げを展開。ピットインを挟んで首位に立つとそのままトップを快走。2003年をもって全日本GT選手権の活動を一時休止するスカイラインGT-Rの最後を飾る大活躍を見せたのです。
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CALSONIC SKYLINE GT-R #12 JGTC’99 (Tamiya)
1970年代の日本のツーリングカーレースで無敵を誇ったニッサン・スカイラインGTーR。その栄光の名前がサーキットに帰ってきたのは1990年のこと。2.6の直列6気筒ツインターボエンジンを搭載し、4WDを採用した2台のR32型スカイラインGTーRが6戦全勝し、圧倒的な強さを見せつけました。中でもブルー色にカラーリングされたカルソニック・スカイラインは5勝をマークしてシリーズチャンピオンとなったのです。93年はGTマシンに改造されたカルソニック・スカイラインが全日本GT選手権にも参戦、95年まで3年連続のチャンピオンマシンに輝いたのです。また、この年のシーズン途中からR33型スカイラインGT-Rを投入。ベース車輛の市販モデルは4WDとなっていますが、レースマシンは後輪駆動に変更されたのです。スカイライン同志とはもちろん、多くのライバルマシンの出現により、99年の全日本GT選手権には、この年の1月にフルモデルチェンジをうけた市販モデルをベースとした新型、R34型にマシンをチェンジ。R33型よりホイールベースを短縮するなどコンパクトに仕上げられ、車体剛性を高めた市販モデルの特長を生かして開発されました。ボディはルーフ以外を全てカーボンファイバーで作り直し、リヤには湾曲 した大型ウイングを装備。迫力あふれるフォルムは空力的にも優れた仕上がりを見せています。エンジンは90年に登場して以来熟成が進められてきた直列6気筒DOHCツインターボ。このエンジンにXトラック社製の6速シーケンシャルミッションが組み合わされ、後輪を駆動します。また、3台が参戦したR34型スカイラ インGTーR勢の中でカルソニック・スカイラインは唯一、重量が重くてもパワーを稼ぐことができるセッティングを選択しているのが特長です。ドライバーは星野一義と影山正美。第1戦鈴鹿は雨の中一時はトップを激走して観客を大いに沸かせ、第2戦富士は3位入賞を飾るなど、シーズンを通して活躍したのです。
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection