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アサヒグラフ 1946(昭和21)年 1月 5日 第四十五巻 第一號
終戦の年、その暮れ12月6日。抑留先の米国よりジェネラル・ランデル(General George M. Randell)号(AP115)にて浦賀港に帰国。 その直後に記者が捉えた根自子さんのお写真が、翌'46年初1月5日号のアサヒグラフ誌に掲載されている。 欧州留学、その最後の何年かは正に熾烈な欧州戦線の戦火を掻い潜っての10年振りの祖国と相成られる・・・ 無下にも消毒殺虫墳の白い粉を頭部から噴霧されたのをスカーフで隠し、化粧っ気もなく…変わらずお美しいが頬は大きく痩け疲労の色は隠せない。 無遠慮な記者/カメラマンは容赦無く、質問を浴びせフラッシュを焚く…。 同誌には同じ船便で降り立ってそのまま巣鴨に連行となった大島元駐独大使の写真も、皮肉たっぷりの年初カルタとなって掲載されている。當然、自身が語っておられた通り「国をミスリードした」事実は紛れもないし、擁護する気もないがこのマスコミの掌を返した様なあからさまな扱い(根自子さんも後に別件で苦しめられる事となる‥)には、大島氏に限らず現代まで続きまったく・・・と思ってしまう。 まぁそのお写真(女性には酷な)をこうして掲載するのも同義だが・・・ 6日の日付に関せば、艦のwikiによれば「11月25日にシアトルを出港して12月10日に横浜港着」とあるので又改めましてその辺りも確認したいと思います・ #諏訪根自子 #nejikosuwa #帰国
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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トミカ 歴代名車 COLLECTION 11 MAZDA RX-7
朝日新聞社が発行するトミカのミニカーコレクションの内の1台です。 FD3Sとしては珍しく黒色ですがコスモスポーツも黒色!、朝日新聞社としてはマツダの車は「黒色」なのでしょうか?!。
コレクションブック トミカ歴代名車コレクション 朝日新聞社akira
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トミカ 歴代名車 COLLECTION 6 MAZDA COSMO SPORT
朝日新聞社が発行するトミカのミニカーコレクションの内の1台です。
コレクションブック トミカ歴代名車コレクション 朝日新聞社akira
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1936(昭和11)年1月19日 京都朝日會館 / 諏訪根自子嬢 渡歐告別ヴァイオリン獨奏會 プログラム/半券
一昨日で最初のアイテム掲載から丁度1年、ご来館者(アクセス)数も本日で丁度50,000を数えました㊗️🎉 ありがとうございます! 特別記念展示は昭和11年の1月23日、神戸港から鹿島丸にてベルギー(仏:マルセイユ港)に向け旅立たれる直前の一連の告別公演、その1/19 京都朝日会館における獨奏會のプログラム/入場半券です。 骨董品店さんよりオファー戴きました時はまさに小躍りしました^^ 写真up枚数に限りがありますので掲載しきれませんでしたが、根自子さん紹介ページとこの時点迄(SP盤9枚)のコロムビア・レコードの根自子さんディスコグラフィも載っています。 この一連の公演は以下の様のスケジュールで催されています。(*演奏曲目は写真ご参照くださいませ) 1/16 名古屋 朝日會館 1/18 大阪 朝日會館 1/19 京都 朝日會館* 1/21 東京 日比谷公會堂 ピアノ伴奏はロイヒテンベルヒ夫人 主催は朝日新聞社會事業團 ご帰国されたのが終戦間もない昭和20年の年も押し迫った12月でしたから、ほぼ丸10年。この旅立ちの時16歳の少女は幸せな研鑽の日々からまさに運命の渦中に放り込まれ戻られる事に相成るのです。その間のエピソードは枚挙に尽きず、萩谷さん/深田さんの書で是非!触れて頂ければと存じます。 (当館(㌻)は、視覚的にそれらのエピソードを捉える一助に成り得ればよいなぁ…と僭越ながら^^;) 当アイテムは、まさに「天才少女期」最後を飾る一品だと言えましょう。 不鮮明ですが、1/21 日比谷公會堂でのステージショットがありますのでまた改めて・・・ #諏訪根自子 #nejikosuwa #渡欧告別公演 #京都
プログラム 朝日新聞社 日本:骨董品店さんnine_o_nine
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アサヒカメラ 1950(昭和25)年 1月1日 第三十五巻 第一號 (新年號)
撮影:木村伊兵衛さん 撮影日:1949(昭和24)年11月7日 タンバール =1930年代に3,000本程が製造されたという所謂ソフトフォーカス・レンズ。で、捉えられた印象的な一枚。 戦後1950年(昭和25年) のアサヒカメラ誌1月號より。ちなみに表紙も根自子さんです♪ 稽古場で撮られたというショットは、表紙含むこの2枚の表情からも決まったポーズ撮影でなく演奏・合間の任意の瞬間を切り取ったものと推測します。'54年発売の『木村伊兵衛傑作写真集』にも一枚(P59)収められている様ですが、同一のものでしょうか?機会あればぜひ見てみたいです。 (別アングルのショットも存在しますので…) しかし、一見、ボケボケのこのお写真。少し視点を変えたり、離れてみたりする。また少し印象かわるか?・・・と言うか、淡いベールのかかった被写体を自分で妄想結像させたりする。 これがタンバールのやり口、木村伊兵衛さんポートレートの妙味なのか?わからないけど…。自身レンジファインダー愛用期に気になったレンズでありました。しかし沈胴式のマクロエルマー90mmを上手く使いこなせなかった事と、ミラーレス機でも少し離れた所からのポートレート用途にと導入した85mmも同様に手に付かなかったこの焦点距離、結果 50mmがメインで一番好きな画角だったから一念発起!ノクチルックスをチョイスしまして、嵌った時のその蕩ける様に滲む絵の悦楽を享受したものです。使いこなせるかは別としてきっとそんな別の桃源郷がこのレンズにもあった事でしょう。 どちらかと言えば研ぎ澄まされた何とかの如し印象のこの頃、その20代最後のお姿がやわらかく・・・ そんな意図もあられたのか?と邪推してみたりします。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #アサヒカメラ #木村伊兵衛 #タンバール #Thambar
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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アサヒグラフ 1946(昭和21)年 5月25日 第四十五巻 第十五號
「樂壇告知版」という見開き㌻の特集内の一枚です。 "渡欧十年・帰朝後未だ沈黙をまもり続ける諏訪根自子さん・持つは例のストラデ バリユース"(記載儘) と言う短い一文が添えられています。 帰朝第一回公演が10月の事ですから、その半年前のこと。ご養生中、ご自宅の居間にてのこのお写真は 大変リラックされた印象(*然し乍ら根自子さんは撮影の際、愛器(ヴァイオリン)と一緒でなきゃ…と言うオーダーもあったそうで)で、前年末ご帰国時に捉えられたショットからすると少しだけ頬にふくよかさが戻られた感もあります。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #アサヒグラフ
雑誌 朝日新聞社 アメリカ:古書店さんnine_o_nine
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アサヒグラフ 1946(昭和21)年 10月25日 第四十六巻 第十二號
『或る夜の音樂會』と題された、歸國第一回リサイタルの写真レポートです。 会場入りから、楽屋風景…お母様以外に唯一立ち入りを許されたアンナ先生、終演後のわやわや、そしてその脚で大阪へ向かわれるお姿まで、演奏、そして会場の情景描写など短いながらも細部に至るまでとてもリアルで雰囲気が伝わってきて秀逸。 (*会場の近衛秀麿氏と隣席の巌本真理さんを捉えたお写真も掲載されている!) 色々な評論から素晴らしい中にも、続く日程の公演と比較すれば若干硬さが見られたと言われるこの日の演奏だが、それも10年もの長き激動・戦火を乗り越えられてのご帰還/ご休養明けの初日とあらば当然でしょうか? …惜しむらくは紙質が良くないことでしょうか?折角の写真が残念ながら余り鮮明ではありません。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #歸朝第一回演奏會
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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アサヒカメラ 1937(昭和12)年 1月1日 第二十三巻 第一號 (新年號)
渡欧出発前日(*出帆は23日 神戸より)に撮影された息を呑む最高の一枚。 撮影: 安河内治一郎 撮影日: 1936(昭和11)年1月20日 薄いライティング、そしてテッサーの醸す雰囲気は絶品。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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アサヒカメラ 1935(昭和10)年 2月1日 第十九巻 第二號 (2月號)
掲載分は2枚目の如く残念ながらページで分割されてしまってます、とても魅力的なこのお写真、 (河村英一さん撮影) 元々は東京朝日新聞 朝刊 連載の『カレンダーを破るもの』より。 Adjust Photo Service Inc.(アジャストフォトサービス株式会社)さんの見事なレストアで 素晴らしい感激の一枚に仕上がっております。⬇︎ https://www.adjust.co.jp/service01/102/ *転載させて頂きました。不適切な場合は速やかに削除いたします。
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
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別冊アサヒグラフ 日米親善熱球譜 シールス野球團來訪記念号
#サンフランシスコ・シールズ が #来日 して #日米野球 を行った時の「 #アサヒグラフ 」ですね。 #東京駅 の #地下 に #古本屋 がありましてね、そこにあったんですよ。 そんなに高くなかったんだと思います。 高いと自分、買わないですから… で、 #シールズ来日 は #昭和24年 なので #1949年 ですね。 #日本プロ野球 は50年から #2リーグ制 になるので、この49年のオフはいろいろ大変だったんじゃないですかね。 この #遠征 では #日本チーム とは6試合で全勝しました。 ただ、1点差試合が2試合あって、日本側も頑張っていたんですよ。 以下、写真↓ (1枚目) 表紙 (2枚目) ようこそシールス軍… #来日フィー バー の様子など (3枚目) #別所毅彦 から #本塁打 を打った #ウエストレイク #JimWestlake (4枚目) #手塚明治 ( #巨人 ) #二盗 失敗 (5枚目) #最終戦 で本塁打を放った #スタインハウアー #RichardSteinhauer (6枚目) わが愛の記…選手の #奥様 や #家 族の写真など (7枚目) #ニッポン よいとこ…日本を満喫するシールスの選手たち (8枚目) #日本ツアー 6試合の記録
雑誌 別冊アサヒグラフ 日米親善熱球譜 San Francisco Seals 朝日新聞社naoto718
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アサヒグラフ 1933(昭和8)年 1月11日 第二十巻 第二號
『輝く音律 大家が折り紙つけた小さい音楽家』記事中 "天分に恵まれた 諏訪根自子さん"と紹介されている。 『……天才といふ言葉がありますが、彼の女の場合、この言葉は少しも誇張された言葉ではありません。私は彼女の演奏を聴く度にさう思ひます。彼女は音に對する素晴らしい感受性を持つておりますが、それに豐な理性と惠まれた器用さの三拍子が揃つてゐます。彼女がヴァイオリンを持つて立つたポーズには立派な樂人としての風貌があります。演奏の場合彼女の音程は正しく速度やリズムも大變明快です。只子供だけに多少熱に欠けてゐると云へば云へますが、ともあれもう彼女はもう第一流と云へるでせう……』 13歳の根自子さん、モギレフスキー教授と。同年この数ヶ月後、最初のレコードをリリースする事となる。 #諏訪根自子
雑誌 朝日新聞社 日本:その他nine_o_nine
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アサヒグラフ 1932(昭和7)年 4月13日 第十八巻 第十六號
『小さな音樂家』と題された記事中に「音樂で寝入った赤ちゃん 諏訪根自子さん」として紹介されています。 この有名なお写真、バイオリンを提げたセーラー服姿の印象的な一枚が掲載。当時、根自子さん13歳。丁度、神宮外苑の日本青年館で独奏會を催した頃(同月9日)で大喝采を博したとレポートがあります。 *注: 表紙(右下)には痛みがありましたのでレタッチしております。 #諏訪根自子
雑誌 朝日新聞社 日本:その他nine_o_nine
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朝日新聞社(創刊80周年)昭和33年元旦 宣伝広告ポスター
ポスター 昭和33年元旦 朝日新聞社 B2ケーシー
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南極観測隊第一次観測隊「朝日新聞社」宣伝広告ポスター
ポスター 南極観測隊 朝日新聞社 B1ケーシー
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南極観測隊 第一次観測隊のおみやげ「朝日新聞社」宣伝広告ポスター
ポスター 南極観測隊 朝日新聞社 B1ケーシー