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哺乳類博物画のヴァリエーション@明治後期の女学校用動物学教科書
1900年代の女学校向け動物教科書に載っている哺乳類の博物画の中から、細密銅版画のものをご紹介。順に、「おつとせい」「むささび」「やまあらし」「となかい」「じやかうじか(=ジャコウジカ)」「ざとうくぢら」「かんがる」「かものはし」。どれも身近にはいなさそうなものばかりなのは、女の子たちの興味を惹くためなのかもしれない。反対に、(当時は)そのへんにうろうろしていそうなネコとかウシとかは、それぞれ1章設けられているのに姿は載っていない(ただし猫については頭骨と、それから前肢の鉤爪を出し入れできる機構のところの骨格図だけはある)。なおネズミについては、別の意味で間近でしげしげと観察しづらいためか、麦の穂を齧っているヤツが載っているのだが、今回は敢えて省いた。 生き物は特に、直接にではなくとも写真とか剥製標本とかで「本物」を目にしたことがあるかどうか、というのはそれを精確に描くに当たっては重要だとおもうのだが、この8枚の博物画にしてもそのあたりの差が如実にあらわれているのではないだろうか。動物の場合、殊に眼のあたりの描写がテキトーだと、なんだか異様な印象になる。明治期に描かれたものは、古いものほど非常にうまく描けている図版とそうでないものとの落差が激しい傾向があるようにおもうが、やはりそれは視覚的情報源の多い少ないがおおいに関係していたのだろう。ちなみに、目が変! と感じる図はなぜかたいがい、まるで吉田戦車氏お得意のキャラのよーに三白眼で、ちょっと怖い。どうせよくわからないんだったら、もっとかわいく描けばいーのに……(そーゆーモンダイじゃないかww)。 それにしても、明治期以降の動物博物画を数多く眺めていて感じるのは、今でもそうそうお目にかかれるものではないカモノハシが、押し並べて結構それらしく描かれている、ということ。明治から大正にかけて何度も博覧会が催され、その流れで常設の国立博物館が成立したりしたのだが、そのような場でかなり早くに大判写真なり剥製標本なりがもたらされていたのかもしれない、などと想像するものの、今のところその辺はちゃんと調べていないのでよくわからない。
女子用動物教科書 明治42年(1909年) 明治37年(1904年) 銅版+活版刷り図版研レトロ図版博物館
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果樹の幾何学的な仕立て方@明治の果樹栽培書
明治晩期の果樹栽培法の本に載っている、樹形のいろいろな仕立て方の図。 我が国では明治にいたるまで果物の大規模な栽培はおこなわれておらず、19世紀も終いになってようやく、ヨーロッパやアメリカで当時の最新技術を学んできた園芸家がその知識や技術をひろめ始め、各地で果樹園が作られるようになった。また一般市民も経済状態がよくなって広い庭付き一戸建てを持つようになり、そこで果樹や草花を育てる園芸趣味が流行った。この本はそうした時代に数多く出された園芸書のひとつだが、当時のヨーロッパやアメリカで流行していたこのような幾何学的な整枝法は、実益と趣味とを兼ね備えた仕立て方として紹介されたにもかかわらず、一部を除いてはほとんど広まらなかったのではないかとおもわれる。 それでもこんな人目を惹く果樹の仕立て方が、20世紀の初めに日本へ図解入りで紹介されていたことには興味をそそられる。
實用園藝學 果樹篇 明治41年(1908年) 明治37年(1904年) 木口木版刷り+活版刷り図版研レトロ図版博物館