独逸におけるパンクロック!(その2)

初版 2024/10/14 20:48

改訂 2024/10/14 21:03

独逸におけるパンクについては、前回(その1)で示した3バンド(Male, Mittagspause, Der KFC)とメジャーに行っても活動しているDie Toten Hosenが有名であり、彼等が持ち込んだ「パンクロック」は、独逸のシーンにおいても重要ではあった訳ですが、ただ、そう言った先達の連中は、所謂「古典的」パンク・サウンドから離れ、既にポストパンクと言われていたWireやGang of Fourのような音に瞬く間に変化していきましたし、また、独逸独特の電子音楽と結び付いたりして、独自を進化を遂げていきます(Die Toten Hosenは除く)。今回は、そんな中でも、独逸らしいパンクサウンドをやっていたバンドやレーベルについて書いてみたいと思います。

そのようなバンドの代表として、先ず、女性パンクでもあるÖstro 430 (エストロ430)を紹介したいと思います。

Östro 430

Östro 430は、独逸初の女性だけのバンドで、1979年にDüsseldorfで、Martina Weith (Vo, Sax),  Bettina Flörchinger (Kbd), Marita Welling (Drs), Monika Kellermann (B)によって結成されています。WellingとFlörchingerはDüsseldorfの大学の女子大学生のグループて知り合っており、Wellingは、Düsseldorfでパンクシーンの中心であったクラブRatingen Hof (ラティンゲン・ホフ)で、WeithとKellermannに知り合います。そして、Weithは、1978年に、David Bowieのコンサートでピーンときて、歌詞を書き始めています。それでバンド名は、女性ホルモンのエストロゲンとDüsseldorf市の中心地の番地と繋げて作った造語で、バンドの練習は、他のパンクバンドとシェアーしていた、Düsseldorf市のKirchplatzの下にある塹壕跡でやっています。1980年5月3日に、パンクファンジンSchemerが企画したNeuss市のクラブOkie Dokieでのフェスで、ライブデビューを果たします。その時に、Fehlfarbenと知り合って、国内ツアーを敢行していますが、その後3週間で、Kellermannが脱退し、代わりにOlivia Casali (B)が加入します。同年に、Östro 430は、3曲入りデモテープを作製し、レーベルSchallmauerに持ち込みます。その結果、1981年に8曲入りのファーストEP"Durch dick & dünn"を同レーベルから出しています。

Östro 430 EP"Durch dick & dünn"

このEPのリリース後、数ヶ月経って、Wellingが、そしてCasaliが脱退していきますが、交代にGisela Hottenroth (B)とBirgit Köster (Drs)が加入します。そして、彼女等は、X-Ray Spexの曲"Identity"をカバーしたりしています。それで、1983年末に、彼女等は、正式なスタジオ・アルバム"Weiber wie wir"を制作、Schallmauer-Recordsからリリースしています。

Östro 430 1st album "Weiber wie wir"

その時に、男性メンバーRalf Küpping (G)が加入するのですが、その後、レーベルが倒産した為、バンドはリリースもできず、1984年5月25日、地元のクラブFreizeitstätte Garathでのフェアウェル・コンサートでもって、Östro 430は解散してしまいます。その後のメンバーの動向はと言うと、Wiethは、1990年代の始めには、Family 5やProll HeadやDie ÄrzteでVoをとっており、同時に音楽誌の記者としても活動しています。Flörchingerは何と!産婦人科医になっています。Casaliは、1982年にFehlfarbenに既に入っており、バッキング・ヴォーカルや時には、Hans Maahanと共にベースも担当しています。Fehlfarbenは、独逸、オーストリア、オランダと3ヶ月のツアーをやっていましたが、1999年5月28日に、Casaliはこのバンドを脱退し、1999年5月28日、地元のクラブTor 3 で、Östro 430のリユニオン・ライブをやることになります。そうして、2019年に、Östro 430は、創設メンバーのWeith (Vo, Sax)とFlörchinger Kbd)以外に、新メンバーとして、Anja Peterssen (B)とSandy Black (Drs)と言うメンツで、2020年5月に、Tapete Recordsから、初期の音源のセルフ・コンピレーション・アルバム2枚組"Keine Krise Kann mich Schocken"をリリースしています。


Östro 430 album "Keine Krise Kann mich Schocken"より"Vampir"

更に、2021年8月に、新メンバーを入れたバンドの最初のライブはハンブルクで行われ、2023年9月には、新録アルバム"Punkrock nach Hausfrauenart"をリリースしており、完全復活しています。


Östro 430 the newest album "Punkrock nach Hausfrauenart"より"Fick Das System"

私はセルフ・コンピレーションと新録アルバムを聴いていますが、ギターレスでもパンクは出来るんだと言う事と、いつまで経っても、パンクは無くならないものだと言うことを実感しました。しかも、彼女達の演奏をYouTubeなんかで観ても、元気一杯で、寧ろVoのWeithがドスの効いた声で益々自信に溢れていますね。それと、ギターレスの編成が彼女達の一種のアイデンティティなのかもしれませんね。

お次は、Hans-A-Plast (ハンズ・ア・プラスト)について、書いてみたいと思います。Hans-A-Plastは、1978年にハノーファーで結成されたパンクバンドで、一番最初のメンバーは、Jens Meyer (G), Micha Polten (G), Renate Baumgart (B), Bettina Schröder (Drs, Vo)だったのですが、すぐさま、Annette Benjamin (Vo)が加わり、皆さんがよく知っている5人組になっています。

Hans-A-Plast

ちょっと話しが前後しますが、元々、1978年にHannover Badenstedtの青少年センターで行われた第一回No Funフェスに出演したくて、最初の4人組バンドの時、ドラムのBettina Schröderが、他のバンドでVoにやっていたAnnette Benjaminに自分達のバンドでVoをしてもらえないかと頼み込んで、BenjaminがOKしてくれたことでバンドの本格的活動が始まります。その理由の一つが、当時は、Schröderがドラムとヴォーカルをやっていたこともあって、彼女としてはドラムに専念したかったからだとも。それで、1979年に、セルフタイトルの自主制作アルバムをリリースしています。後にNo Fun Recordsからもリイシューされています。


Hans-A-Plast 1st album "s/t"より"Rock'n'Roll Freitag"

このアルバムには、ジャーマン・パンクロックのクラシックとも言える曲"Rock'n'Roll Freitag", "Amerikaner", "Es Brennt"等の名曲も収録されています。このアルバムは大手のプロモーション無しで20000枚も売れ、初期のジャーマン・パンク・アルバムとしては、Abwärts の"Amok Koma"と共に最も成功した作品となっています。そうなると、一方で、この成功により一部のパンクスからは非難されましたが、"Für 'ne Frau"や"Fuck Off, You Stink"等のフェミニズムを歌う曲などで、パンクス以外のリスナーにも支持されています。また、最初の2枚のアルバムでは、Benjaminは、英国のX-Ray Spexを意識したこともあって、サックスも吹いています。また、John PeelがDJをやっている英国のラジオ番組BBC Radio 1(通称John Peel Session)でも頻繁にレコードは掛けられていたようです。1981年には、セカンドアルバム"2"をNo Fun Recordsよりリリースしていますが、個人的には、ファーストアルバムもセカンドアルバムもパンキッシュな曲が目白押し、かつBenjaminの早口独逸語ヴォーカルが冴えていて、好きなアルバムですね。


Hans-A-Plast 2nd album "2"より"Reicher Vati"

その後、1983年には、サードアルバム "Ausradiert"をリリースし、"Schwarz & Weiß"や"Sacco di Roma"と言った名曲も収録されています。

Hans-A-Plast 3rd album "Ausradiert"

この時、Monster Dance というタイトルの自主制作MVが F1 テレビ番組で放映されています。しかしながら、事務員として訓練を受け、Hannover展示センターで働いたBenjaminが結婚を期に、脱退してしまい、それがキッカケでHans-A-Plastは解散しています。その後、Hans-A-Plastとしては、1988年に、コンピレーションCDを収録されたり、DrsのBettina SchröderのソロLP"Nacht"がリリースされたりして、今も、Hans-A-Plastの1/3として、音楽活動を続けている唯一のメンバーです。

Bettina SchröderのソロLP"Nacht"


そして、2005年に、Hans-A-Plastのレコード作品がリイシューされ、特にファースト・アルバムは高く再評価されています。それで、Benjaminは、独デス・ロックバンドてあるBloody Dead and Sexyと共に、Hans-A-Plastの曲"Monstertanz"を再録し、この曲は先述のアルバム"Narcotic Room"の限定盤に収録されています。


Bloody Death And Sexy album (2CDs) "Narcotic Room"より"Monstertanz"

しかしながら、No Fun Recordsの共同設立者でもあるJens Meyer(G)が2021年7月に65歳の若さで他界してしまいます。2020年に、Benjaminを中心に、DrangsalやBeatsteaksのドラマーThomas GötzとCharlotte Brande、Die NervenのJulian Knothから成るスーパーグループを結成され、Die Benjamins(ディー・ベンヤミンズ)名義で2023年6月にセルフタイトルのEPがTomatenplattenからリリースされています。

Die Benjamins EP "s/t"

その音楽性は、1980年代のポストパンクとNDWと色々なポップ・ミュージックが上手く混じり合っているのだそうです(私は未聴)。と言う訳ですが、Benjaminのヴォーカリストとしての才能は中々貴重かつ特徴的で、独逸語の歌詞と上手く合っていると思いますが、まさか、Bloody Death And Sexyなるデス・ロックバンドともやっているとは思いませんでした。

Hans-A-Plast self compilation album "Barfuß In Scherben (Werkschau 1979-83)"

あと、他界したJens Meyerを偲んで2枚、Hans-A-Plastのライブ・アルバムも出ていますし、セルフ・コンピレーション・アルバムも2枚出ていますので、Hans-A-Plastの人気が想像できますね。

その次は、Nichtsなのですが、このバンドについては、「独逸のパンクロック!(その1)で、Der KFCの項目で詳細は書いていますので、そちらを読んでみて下さい。

Nichts

Nichts 1st album "s/t"

それで、お次は、Der Moderne Manについてなんですが、こちらも別項「ZickZackとその周辺、1枚のコンピから広がるNDW!」の項目で1枚だけ書いておりますが、今回はもう少し深掘りして書いてみたいと思います。

Der Moderne Man

Der Moderne Man (デァ・モダーネ・マン)も1980年代初頭のNDWの中から出てきた、Hannoverのパンクバンドです。その前身はThe Worstと言うパンク・バンドだそうです(このバンドについては不明)。彼等のレコードは主に、No Fun Recordsからリリースされていますが、そんなレコードを最初に放送したのが、英国Radio BBC 1のDJ John Peelでした。結成は、1979年で、結成時のメンバーは、Ziggy XY (Vo; 本名Michael Jarick), E.K.T. (G; 本名Eckart Kurtz), Tomas Brandt (B), Claudius Hampelmann (Drs)でした。それで、彼等は、ファースト・アルバム"80 Tage Auf See"を、1980年に、No Fun Recordsから出しています。


Der Moderne Man 1st album "80 Tage Auf See"より"Telefonlied"

ただ、この後、VoのZiggy XYがもっと実験的ロックをやる為にKosmonautentraum (コスモナウテントラウム)に注力し始めてしまいます。その代わりに、Mattus (Vo)に交代しますが、Mattusも、より混沌としたサウンドを求め、バックの演奏もそれに従っていきます。バンドは、1981年に、セカンド・ミニアルバム"Verstimmt"をNo Fun Recordsより出しますが、これには、Mattus (Vo, Synth), E.K.T. (G), Jens G (B), Fe Wolter (Drs)に、ゲストで、Tonio Scorpio (Sax)が参加しています。もう、既に、パンクと言うよりもニューウェーブに違いですね。

 Der Moderne Man 2nd live mini-album "Verstimmt"より"Sinnloz"

そうして、1982年に、サード・アルバム"Unmodern"をNo Fun Recordsから出していますが、この時のメンバーは、Mattus (Vo, Synth), E.K.T. (G, Synth, B-Vo), Tanio Scorpo (Sax, Synth)と言う編成で、ドラムレス(ドラムマシンを使用?)になっています。


Der Moderne Man 3rd album "Unmodern"より"Blaue Matrosen"

その翌年の1983年には、4枚目のミニアルバム"Neues Aus Hong Kong"を同じレーベルNo Fun Recordsより出しますが、この時は、Mattus (Vo), E.K.T. (G), Axel Wicke (B), Tonio Scorpio (Sax), Thomas Constien (Trumpet), Holger Thenert (Trombone), Fe Wolter (Drs)と言うホーンを中心とした編成になっています。

Der Moderne Man 4th album "Neues Auf Hong Kong"


なので、各アルバムによって、音がかなり異なっています。恐らく、パンクと言えるのは、ギリギリ、ファースト・アルバムだけかもしれませんね。1983年3月8日に、独音楽TV番組Rockplastに出演した時には、ボーフムの炭鉱でのライブを放送しています。音楽メディアは好意的に取り上げてくれましたが、バンドとレーベルは、押し寄せるNDWの波に対抗できず、1984年に解散してしまいます。また、初代ドラマーのClaudius Hampelmannは、プレッシャーの為か、1981年にバンドから脱走し、1988年8月18日に自死しています。バンドの共同創設者の E.K.T. ことEckart Kurtz は、しばらくの間、Beatklubで演奏はしていたものの、中流階級相手に演奏するだけのプレーヤーになってしまい、バンドは自然消滅してしまいます。パンクに始まり、ヴォーカリストの意向でアルバム毎に音が変わっていった稀有なバンドですが、その変遷を聴くのもまた楽しいですね。

それで、まぁ、パンクと言うのは、一旦流行り出すと、雨後の筍の如く現れてくるものなのですが、後、1バンドだけ、初期からやっていたバンドについて書きます。ずばり!Abwärts (アブヴェルツ)です。これもZick Zackの項目で書いていますが、パンクと言えるかどうかも含めて、もうちょっと深掘りしたいと思います。

Abwärts

結成は1979年とされ、始めからパンクと言うよりもポストパンクに近い音を出していました。初めて、姿を確認できたのは、1979年12月29日にハンブルクで行われた伝説的なイベント「Noises For The 80sフェス」でした。


Abwärts 1st single "Computerstaat"

そうして、1980年に、ZickZackから、デビューシングル"Computerstaat"をリリースしていますが、このシングルは1年間、独Sounds誌のインディペンデント・チャートで1位を独占しています。このシングルでは、当時の軍隊やテロについて歌っており、それは今日でも然程変わっていないと思われます。

Abwärts 1st album "Amok Koma" (裏ジャケ)

そうして、名作であるファースト・アルバム"Amok Koma"を1980年にZickZackから出します。この時のメンバーは、Frank Z (G, Vo), Margita Haberland (Vln, Vo),  F.M. Einheit (Synth, Effects, Vo), Marc Chung (B), Alex Dill (Drs)です。当時は、インディーズでの契約や録音、制作、カバー、配給、ライブのブッキング等は全て自分達でやっていたそうですが(どこの国でも同じですね)、しかしながら、彼等の場合、割と上手くやっていたようです。その後、2本のライブカセット作品(このカセット作品は迫力満点!)と1枚のシングル"Roboter In Der Nacht"を出しています。これを聴くと、中々激しいパンキッシュな曲を演奏していますが、もろパンクと言うよりもポストパンク寄りの音で、より実験的な試みをしていますね。


Abwärts 2nd single "Roboter In Der Nacht" 

2年後には状況はやや好転し、セカンド・アルバム"Der Western Ist Einsam"と12インチシングル"Beirut, Holiday Inn"をPhonogramから出しています。なお、この時には、Margita Haberlandは脱退しています。

Abwärts 3rd single "Beirut, Holiday Inn"

それで、彼等はThe Cureのサポート・アクトをしたりしていましたが、Die Toten Hosenは、Abwärtsの前座をやっています。この頃から、NDWと言う言葉はメディアの為の便利で陳腐な音楽用語になってしまい、内容は空洞化していったようです。そんな時に、F.M. EinheitとMarc ChungはEinstrützende Neubautenに加入する為、バンドを脱退し、また、薬物の問題もあって、Abwärtsの活動は一旦停滞します。


Abwärts 3rd album "s/t"より"Alkohol"

そうして、休息後の1988年に、セルフ・タイトルのサードアルバムをレーベルNormalから出し、同時にシングル"Alkohol"をリリース、このシングルはバンドとしては大ヒットとなります。この時のメンバーはFrank Z (B, Vo, Kbd), Peter Horn (G, B, Back-Vo), Horst Siewert (Kbd, Drum Programming)で、ゲストにStephanie Lange (Back-Vo)が加わっています。そして、共同プロデューサーとしてJohn Cafferyが加わっています。Die Toten Hosenとは、音楽的にも全く違っていましたが、彼等とは何度も衝突があったようです。

Abwärts 4th album "Ich Seh Die Schiffe Den Fluß Herunterfahren"

1990年には、4枚目のアルバム"Ich Seh Die Schiffe Den Fluß Herunterfahren"をVirgin Records傘下のレーベルTotenkophからリリースされ、色々なフェスやツアーができるようになります。このアルバムには、Frank Z (Vo, G), Uwe Bastiansen (G), Michael "Elf" Mayer (G),  Jochen Hansen (B), F.M. Einheit (Drs, Synth)が参加しています。同時期にリリースしたシングル"Sounderzug Zur Endstation"に対して、Spiegel誌では、「ハンブルクの意地悪ロッカー」と中傷されていますが、人気は急上昇しました。しかしながら、そのお陰で、Playboy誌からは、「Playboy誌のバニーガールの写真に悪意を持って使用している」と訴えられて、身に覚えの無い25万マルクの損害請求も受けたりしています。そんな感じで、音楽メディアからは嫌がらせを受けつつも、バンドは比較的コンスタントにCDやレコードを出し続けています。


Abwärts latest album "Superfucker"より"Allein Unter Flaschen"

現時点(2024何4月)での最新作がアルバム"Superfucker"で、Frank ZことFrank Zieger (G, Vo), Rod González (G, Kbd), Björn Werra (Drs, B), Martin Kessler (Drs, B)によって録音されています。しかしながら、リーダーのFrank Zは、2024年1月24日に他界しています。ただ、AbwärtsのHPを見ると、Frank Z死後もバンドはツアーをやっているようです。この最後のアルバムでも、よりソリッドなノリの良いロックをストレートに演奏しています。最初の2枚のアルバムは確かに、ポストパンクですが、近作はどちらかと言うと、独逸語歌詞を使ったストレートでタイトなロックで、やはりNDWの生き残りは凄いなあと感心してしまいます。

NDWとGerman Punkの関係は微妙で、極初期のバンドは確かに、音的にもパンク・ロックなのですが、その後の1980年に出てきたバンドは、もろパンク・ロックではなく、やはり、ニューウェーブっぽかったり、ポスト・パンクぽかったりして、中々、正面切って「パンク」とは言えないバンドが多く、また、そこら辺の具合が独逸っぽいなと思う訳です。そこら辺のの事情を汲み取ってもらえると、こちらとしても幸いです。

あと、レーベルなんですが、大体、この時期のGerman Punkを扱っていたのが、Rondo, Schallmauer, No Fun Records, Totenkopf辺りでしょうか。

Rondoは、独Düsseldorfに位置して、1979年から運営されている自主制作レーベルで、オーナーはFranz Bielmeierで、彼はパンクバンドMittagspauseやCharley's Girlのメンバーでもありました。結構、初期から、パンク系バンドのシングルなどをリリースしていましたが、1982年にレーベル活動に終止符を打ちました。MittaguspauseやMale, ZKなど(珍しいところではAqua Velvaも)をリリースしています。

Schallmauerも、独Düsseldorfに位置していたレーベルで、パンク/ New Wave系のバンドのリリースを行っており、オーナーはLothar RiegerとEckhard Riegerの兄弟で、1980年〜1983年の間、レーベル活動をしていました。Der KFCやNichts, Östro 430などのリリースをしています。

No Fun Recordsは、独Hannoverに位置するインディーレーベルで、Hollow SkaiとJens Meyerによって、1980年3月〜1983年の間、パンク/New Wave系のリリースをしていました。Meyer自身がメンバーであったHans-A-PlastやDer Moderne Manなどをリリースしています。

Totenkopfは、独Düsseldorfに位置するレーベルで、元々が、Die Toten Hosenの自身のレーベルで、1995年に、Jochens Kleine Plattenfirma (JKP)と改名しており、Die Toten Hosenとコンピのみをリリースしています。

German Punkは、MaleのようにモロUKパンクなサウンドから、Mittagspauseのような独逸独自のサウンドまで幅が広いのですが、パンクから始まっても、直ぐにポスト・パンクやニューウェーブな音に変化していったりしたこともあって、短期間しかパンクバンドとして活動していない場合も多く、またサウンドの変化が早く、パンクとして認識されていない場合も多いかもしれませんね。そして、独逸語で歌うか英語で歌うかと言うこともジレンマであったようです。個人的には、独逸語の語感が好きなので、独逸語で歌っているバンドは、やはり好みですね。後、紹介してきた他にも、パンクバンドはチラホラあったようですが、短命で終わったり、UKパンクと然程変わらないサウンドだったりで、今回は紹介したいませんので、悪しからず。なので、取り敢えず、「独逸のパンク」についての項目はここで締めさせて頂きます。

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Dr K2

ノイズ歴約40年のDr.K2が今まで聴いてきた音楽(主に地下音楽)を出来るだけアナログ縛りで紹介していきます。ご興味のある方はどうぞご自由に観て聴いていって下さい。アングラのコンサルジュ。

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